二十一話目~モンゴリアンデスワームのコンビニ店員さん~
「全く、何やってたのよ」
「面目次第もございません」
帰り際、俺はピティから糾弾されていた。コメットの尻尾に触ったことについてだ。彼女は大層取り乱し、危うく通報されるところをピティが間に入って取り持ってくれたのだ。
正直、自分でもなぜあんなことをしたのかわからない。強いて言えば、あのもフモ負の尻尾を見ていると昔飼っていた犬を思い出して懐かしくなり、気づけば手が伸びていたのだ。
……うん。どう考えても俺に非があるのは明らかだ。
女性の体に不用意に触れたのだ。あの程度で済んだことがむしろ幸運と言わざるを得ないだろう。俺は深いため息をつきながらピティに頭を下げた。
彼女はジト目で俺を見つつ、わずかに距離を取る。それが無性に俺の心を傷つけた。
「いい? 私たちみたいに尻尾を持つ種族はそこがとても敏感なの。それを不用意に触るってことは、本来なら極刑よ?」
「……すいませんでした」
ピティは最後に大きなため息をついた後で、すっとこちらに身を寄せてきた。
「何かあった?」
正直、言うのは躊躇われた。が、ここで言わねばそれこそ不敬に当たるだろう。俺は頷き、ひっそりと告げた。
「実はさ、振り分けが行われるらしいんだ。ピティたちがこっちに本格的に留学してくるってなった時にね。その場合、今担当しているコーディネーターと離ればなれになる可能性がある」
「私たちも?」
「いいや。ピティは俺のところに割り振られるみたいだよ。まぁ、嫌だったら言ってくれ」
彼女は俺の言を鼻で笑い、拳で俺の腹をちょいと小突いてくる。
「マイナス思考になってるわね。何言ってるのよ。私はあなたのことが好きよ。もちろん一人の人間としてね」
「それはどうも。俺もピティのことが好きだよ。一人の女の子としてね」
ピティは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後で、顎に手を置いて考え込む仕草を取ってみせた。
「……なるほどね。リリィも苦労しそうだわ」
「何か言った?」
「別に。それより、お腹が空いたわ」
ピティは強引に話題を逸らし、周囲に視線を巡らせた。そこには、小さなコンビニエンスストアがある。全国展開ではなく、ローカルだ。が、人外でも入りやすいような設計になっており、評判はそこそこ高い。
俺はチラリと中を見やり、それから彼女の手を引いた。
「じゃあ、行こうか。ただし、買いすぎないように。夕飯が入らなくなるからね」
「あら。私の胃袋はそんなにやわじゃないわよ?」
「……今は持ち合わせが少ないのでちょっとだけにしておいてください」
「それでいいのよ」
彼女はどこか見透かしたように笑みを浮かべてみせる。流石に数日間一緒に暮らしているだけあって、彼女も俺のことがわかってきているようだ。そう。いくら経費で落ちるとはいえ、今持っている分しか俺は使えない。見栄を張ろうとしたが、それは無駄のようだった。
俺は彼女の後を追っていき、それから店内に視線を巡らせる。すると、まずレジに立っている褐色の少女が目に入った。見た限り……中学生のようにも見える。非常に若い……というか、幼い印象を受ける少女だ。彼女はこちらに向かって律儀に頭を下げ、それからホットスナックの補充に返した。
俺も彼女に会釈を返し、ピティについて歩く。彼女がまず向かったのは、コンビニの本売り場だった。彼女は興味深そうに視線を巡らせている。
「やっぱり、日本はすごいわね。こんなに本が置いてあるなんて」
「ピティのところは違うのか?」
返されるのは、首肯。彼女は真剣なまなざしで本棚を見つめていた。
「そうよ。私たちの国ではこんなに本は置いてないわ。特に、漫画ね。ファッション誌なんかは多いけど」
それは俺も聞いたことがある話だ。海外ではほとんど漫画はコンビニに置いてないらしい。ファッション誌、それから情報誌などは多分に置いてあるそうだが。
にしても、ピティはずいぶん熱心に見ているな。もしかして、漫画が好きなのかな?
――と、思ったがどうやら違うようである。彼女はそれらをあらかた見終えると、すぐに別の棚に移った。どうやら、ただ珍しかったから見ていただけに過ぎないらしい。花より団子、という言葉が不意に脳裏をよぎった。
ピティが寄ったのは、お菓子が並んでいる棚だ。彼女はかなりのスイーツ好きである。ドラゴニュート族は肉を好むが、彼女はその他のものも愛好している。中でも、チョコレートには目がないらしいのだ。彼女はずらりと並ぶチョコ製品を見て目を輝かせている。
思えば、彼女は最初に比べていろいろな表情を見せてくれるようになった。最初は高慢な性格かと思っていたが違ったし、これも打ち解けてきたからだろう。彼女と会えてよかったと、いまさらながらに思う。
彼女がここに引っ越してくれば、きっと楽しくなるだろう。他の人外たちとも楽しく暮らせるに違いない。それは俺が保証する。彼女も、他の奴らもいい奴ばかりなのだから。
「夏樹? 難しい顔をして、どうしたの?」
どうやら、顔に出ていたらしい。ピティは不思議そうに俺の顔を覗き込んできていた。俺はそんな彼女を安心させるように笑みを作る。
「いや、なんでもないよ。それより、買うのは決めたか?」
彼女は苦笑交じりに肩を竦めてみせる。
「まだよ。どうしても、決めきれないのよね。種類が多すぎて」
「確かに。難しいよな」
日本に置いてある菓子の量は他国から見れば異常だとも聞いている。チョコレートに限定しても、たくさんの種類があるのだ。これの中から選ぶのは大変だろう。
などと思っていると、ピティが不意に手を打ち合わせた。
「ねぇ、夏樹。オススメはどれかしら?」
「俺の? 参考になるかはわからんが……これなんかは結構好きだぞ」
俺が指差したのは、シンプルな板チョコだ。これは子どものころから慣れ親しんできた者であり、はずれがないのはわかっている。それを見て、ピティは静かに頷いた。
「じゃあ、これを買うとするわ。後は……これね」
彼女が手に取ったのは『ドリアンチョコ』という明らかな危険物だった。だというのに、彼女は満面の笑みを浮かべながらレジへと向かおうとする。
その時だった。彼女の羽が、棚に引っ掛かり商品が雪崩のように落ちたのは。慌てて拾おうとしたものの、すでに遅い。大量のチョコが床に散乱する羽目になった。
「ご、ごめんなさい! ど、どうすればいいのかしら……?」
ピティは珍しく狼狽していた。自分の不注意が許せないのだろう。彼女はわずかながら悔しそうにしていた。
けれど、そんな時新たな声がこの場に生まれる。
「大丈夫ですよ」
その声を発したのは、レジにいた少女だった。彼女はこちらに笑みを向けた後で、すっとレジから身を乗り出してみせる。その時見えた彼女の下半身を見て、俺はギョッと目を剥いた。
彼女の下半身は、巨大なミミズのようなものだったのだ。確か……『サンドワーム』族。巨大なミミズの下半身を持つことで有名な種族だ。彼女はズリズリとこちらまで歩み寄ってきて、落ちていた商品を陳列しなおす。
唖然とする俺たちに向かって、彼女は困ったような笑みを向けた。
「申し訳ありません。お見苦しいものを見せてしまって」
彼女が言っているのは、自分の下半身のことだろう。だが、俺とピティは首を振った。
「いや、そんなことはないですよ。どうもありがとう」
「そうよ。どこが醜いの? むしろ、私も相当なものだと思うけど」
少女――胸元につけられているワッペンを見るに、メゥというそうだ――はニッコリと笑ってみせる。快活な笑みだ。この笑顔を向けられたら、大半の男は落とされてしまうだろう。
彼女は陳列を終えた後で、ピティに視線を寄越す。そして、小さく首を傾げた。
「見ない顔ですね。最近越してきた方ですか?」
「いいえ。今は短期留学でこっちに来ているの。でも、近いうちに来ると思うわ」
「そうですか。その際は是非、このお店をよろしくお願いします」
中々に商魂たくましい少女だ。メゥはニッコリと微笑み、それから俺に視線を移した。
「そちらは、コーディネーターの方ですね? はじめまして、私は『モンゴリアンデスワーム族』のメゥです」
「モンゴリアンデスワーム? サンドワームじゃなくて?」
俺の言葉に、メゥは頷き答えを寄越す。
「はい。よく間違われるんですが、私はモンゴリアンデスワーム族です。具体的な違いとしては……そうですね。ほら、この通り」
彼女は口を大きく開いてみせる。すると、何本もの触手じみた舌が俺の視界に映った。それはうねうねと蠢き、こちらまでゆっくりと伸びてくる。
驚いたのは、歯がないことだ。彼女は歯を持っておらず、その触手のような舌しか口内には存在していない。
彼女は伸びていた舌を口内まで戻した後で、口元に手を当てる。
「失礼しました。この通り、私は歯を持たない代わりに触手舌というものを持っているんです。サンドワーム族は強固な歯を持っているのに対して、私たちは物を嚥下することに特化しているのですよ」
「聞いたことがあるわね。サンドワーム族は固い岩をかみ砕くために進化し、モンゴリアンデスワーム族は口内から出る毒液で物を溶かすために進化したと」
「その通りです。ですから、外見的には似ていても本質的には少し違うのですよ」
なるほど……こればかりは、俺の知識不足だったか。ピティはそれを見透かしたかのようにニヤニヤと笑んでいる。反論できないのが辛いところだ。
俺はメゥに向きなおり、彼女に対して問いかけた。
「ところで、君はここで働いているのか?」
「えぇ。私の主人と一緒に」
彼女は左薬指に光るリングを見せてみせる。ピティは心底驚いたように口笛を鳴らしていた。
そういえば、人外の中には子どものような外見でも年齢的には成人という者たちがいるらしい。以前であった吸血鬼のヴェルディもその一人だ。彼も年齢的には成熟している。精神面はどうか知らないが。
「それにしても、ごめんなさい。大事な商品を落としてしまって」
「いいですよ。人外は、大変ですよねぇ……特に狭いところだと」
「そうそう。日本は小さいのよねぇ……」
二人はうんうんと頷き合っている。この店も改装を重ねているようだが、日本は地理的に小さいので改装にも限界がある。
何だか申し訳なくなり、俺は二人に頭を下げることしかできなかった。




