十三話目~ドラゴニュートの留学生さん~
八月の初頭。セミたちが最も活発に動き始めるこの時期に、俺は電車に乗ってある場所へと向かっていた。そことは、空港だ。
俺は電車の中の窓ガラスを使って自分のスーツ姿を確認する。つい先日クリーニングに出したばかりか、ノリも効いてパリッとしている。これなら清潔感を損なうこともないだろう。
と、そうこうしているといつの間にか目的地の空港が近くなってきた。俺はスマホを取り出して、改めて場所と時間を確認する。国際ターミナルに十時か……。
現在時刻は九時。まだまだ時間はあるから、少しだけゆっくりできそうである。
しばらくして空港に到着するなり、俺は目的地へと向かう。その後で、俺は持っていた鞄から書類を一式取り出す。そこには、今日来る留学生の情報が書かれていた。
曰く、ヨーロッパからの留学生らしい。ただし、かなり高貴な身分にあって気難しいところもあると聞く。今回は試験的な留学ということもあり、短期だそうだ。期間としては、一週間。もう少しいてくれてもいいのだが、今回はそういうシステムらしい。
チラリと見れば、辺りに俺と同じ服装の人たちが見える。あの人たちも、留学生のホームステイ先に選ばれたホストファミリーなのだろう。いや、より正確に言うならコーディネーターか。
確かに、まだ一般人は人外との共同生活をした経験が少ない。その点、俺たちコーディネーターのほとんどは相互理解の一環として人外たちと住んでいる。それなりに知識もある方だし、万が一不慮の事態が起きた場合には同居している人外に助けを求めることもできる。賢明な判断だろう。
「さて、そろそろか」
時計はすでに十時近くを指さしている。基本的に人外たちは特徴的な外見をしているからわかるはずだが……今のところは見当たらない。
もしかしたら、入国審査などで戸惑っているのかもしれないな。リリィや他の奴らも苦労したというのは聞いている。
「あ、あれじゃないか?」
ふと、誰ともなくそんな声が上がる。周囲をきょろきょろと見渡してみれば、前方からある一団が向かってきていた。身長も肌の色も何もかもが違うが、共通することが一つ。彼らは皆、人外だった。
身長が山のように高い『巨人』の女の子や、背中から昆虫の羽を生やしている子もいる。まだ俺の知識が不十分なせいか、全てを判別することはできないが、少なくとも全員が欧米由来の人外だ。
その先頭に立っているスーツ姿の女性――一見すると人間のようにも見えるが、額からは小さく角が出ている。おそらく『オーガ』か何かだろう。彼女はこちらに対してぺこりと頭を下げる。
「日本のコーディネーターの皆様。お集まりくださってありがとうございます。こちらにいる方々が今回の留学生たちです。みんな日本に来るのは初めてですので、よくしてあげてください。プログラムなどはお渡ししているものに従って、それ以外は個人の判断にお任せします。それでは、皆さん。それぞれの担当のところに行ってください」
その女性が手を打ち合わせると、人外の少女たちはひとりひとり俺たちの方にやってくる。緊張しているようだったが、みんないい子そうだ。これはいい関係が作れると思う。
「ちょっと、あなた」
ふと、そんな声が耳朶を打つ。見れば、俺の目の前には一人の少女が立っていた。その背中からは蝙蝠のような翼が生えている。しかも、よく見れば首の回りや手の甲に赤い鱗のようなものが見える。
どうやら、彼女が俺の担当らしい。確か……。
「えぇっと……ピツーラさん、ですよね?」
「敬語はいらないわ。私たちはあくまで対等な関係を結びたいの」
「日本語がお上手です……いや、上手いんだね」
ピツーラは高慢そうな笑みを浮かべ、肩まで伸びた金髪をサラリと払う。すると、ふわりと花のような甘い匂いが漂ってきた。脳がとろけそうな感覚に、俺はごくりと息を呑んでしまう。
「勉強したもの。私はかの高貴なズメイの王女なのだもの」
聞いてはいたけど、いかにもなお嬢様だ。それにしても、かなり流暢な日本語だ。彼女の種族『ドラゴニュート』は知能が高いとも言われているが、彼女はその中でも特に頭がいいのだろう。彼女の期待に応えられるか、不安なところだ。
「それと、私のことはピティと呼んでちょうだい。家族たちはいつもそう呼ぶの」
「わかったよ。ピティ。それで? これからはどうする?」
「プログラムではここから自由解散ね。明日からは近隣の大学に行って講習を受けるみたいだけど」
ふぅむ……なるほど。今回はやはり下見のようなものらしい。夏季休業中で大学は休みだから、その間にある程度の雰囲気を掴んでおこうという魂胆かもしれないな。
まぁ、そこは置いておくとして。とりあえずは、彼女をエスコートしなくては。他の人たちも思い思いの場所に行っているようだし、俺たちもここに長居することは時間の無駄だろう。
「じゃあ……そうだな。何か食べないか? 長旅で疲れただろう。少しゆっくりしていくのもいいと思うけど?」
「そうさせてもらうわ。どこかいいお店を知っているの?」
俺は肩を竦めながら、彼女の抱えていたスーツケースを持つ。それを見て、彼女はわずかに頬を緩めた。
「意外ね。日本ではまだ男尊女卑の考えが根付いていると思っていたから、こんなに紳士的な行為をしてくれるなんて考えもしなかったわ」
「そんな考えはもうないよ。むしろ、尻に敷かれている奴の方が多い」
ふと、俺の脳内に以前出会った濡れ女と牛鬼のカップルが脳裏をよぎる。あの二人は日本由来の人外だったのだが、嫁の方が旦那を尻に敷いていたのだ。あの時、ボコボコニされていた牛鬼の顔が忘れられない。
ピティは首を傾げながらも、俺の後をついてくる。ドラゴニュート族特有の長い尻尾は体にでも巻きつけているのか目立っていない。まぁ、翼があるだけ十分目立つとは思うのだが。
俺は空港内部にある大きな喫茶店に入る。ここは人外が来るということもあってかつい最近改装されたばかりの新店だ。すでに中には先ほど見かけた人外たちの姿が見える。やはり、行き着くところはここに落ち着くらしい。
ピティは店内の雰囲気を見て、満足げに頷いた。
「意外にいい所ね。まぁ、及第点といったところかしら?」
結構ずばずば言ってくる子だ。でも、この方がやりやすい。本心を隠されるよりはぶつけてもらった方が対処もしやすいというものだ。
俺たちは近くの席に腰掛け、メニュー表を見やる。ピティは読めないのではないかと思ったが、彼女はすぐさま近くにいたウエイトレスを呼び寄せる。朗らかな笑みを浮かべて注文を持っているウエイトレスの女性に、ピティは静かに告げた。
「とりあえず、このハンバーグプレートを頼むわ。あぁ、飲み物は……そうね。処女の閾値はあるかしら?」
「え?」
「冗談よ。トマトジュースをお願い。デザートにはチョコレートパフェを」
「か、かしこまりました……そ、そちらのお客様は?」
面食らった様子のウエイトレスの女性。まぁ、それもそうだろう。彼女なりのジョークだったかもしれないが、俺でも驚いてしまったくらいなのだから。
「俺はサンドイッチとコーヒー」
「かしこまりました」
そそくさと去っていくウエイトレスを見て、ピティはクスクスと笑う。
「真面目ね。お国柄かしら? ジョークにジョークで返してこないんだもの」
「いや、あれはジョークに聞こえないだろう……」
「まぁ、こんな外見だものね」
ピティは自分の背に生えている巨大な翼を見やりながら楽しげに笑う。初めて来る場所だろうに、ずいぶんリラックスしているな。まぁ、ドラゴニュートは力も強く思慮も深い。そんな彼女たちからすれば、こんな島国は脅威でもないのだろう。
「ところで、あなた。夏樹……といったかしら?」
「そう。四宮夏樹。改めて、よろしく」
「えぇ。よろしく」
俺と彼女はがっしりと握手を交わす。彼女の手は絹のようにすべすべとしていて、とてもひんやりとしていた。心地よい感触に目を細めながら、俺は質問を口にした。
「ところで、ピティはどうして日本に来たんだ?」
「決まっているじゃない。日本に興味があったからよ」
「それは……文化にかい?」
俺の言葉に彼女は首を振り、それからこちらに身を寄せてそっと耳打ちしてくる。
「それもそうだけど……龍人伝説によ」
龍人伝説……ドラゴニュートとは違うが、日本にも似た種類の人外が存在する。彼女が興味を持つのは無理もないだろう。
だが……。
「なるほど。でも、悪いけど俺の知り合いに龍人はいないんだ」
そう。俺はこの仕事に就いて長いが、龍人に出会ったことはない。だから、彼女が望むように引き合わせてあげることはできないだろう。
だが、ピティはなぜか楽しそうに笑みを浮かべた。
「予想はしていたわ。だって、龍人は激レア中の激レアだもの。でも、いいの。私は自分の手で見つけるためにここに来たんだから」
「なんか、意外だね。インドア派っぽいのに」
その言葉に、彼女は皮肉ったような笑みを返す。
「その認識は間違ってないわ。だって、私の国は地下深くにあったんだもの。これぞ、究極のインドアよね」
と、その時。先ほどのウエイトレスが料理を持ってやってくる。それを受け、ピティは嬉しそうに微笑みながら胸元から千円札を数枚出して、彼女に押し付けた。
「ありがとう。さっきは悪かったわね。これは迷惑料と思ってちょうだい」
ピティは彼女の手の甲に淡いキスを寄越す。その女性は顔を真っ赤にしながらパタパタと厨房の方へと戻っていってしまった。
「シャイな子ね。もっとお話ししたかったのに」
「……もしかして、ピティは女性が……?」
「ふふ、性的対象としては見てないわ。捕食対象、の方が適切かもね」
なんだか、意味深な言い方だ。ピティは蠱惑的な笑みを浮かべながら唇に人差し指を当てている。彼女は意外にもジョークを好むみたいだし、これもその一環かもしれないな。
などと思いながら彼女に向き合っていると、不意に後ろの方から誰かが手を置いてきた。何事かと思い見やればそこには……一人の女性が立っていた。
その女性を見て、俺は頬を綻ばせる。
「どうも、オーリエさん」
そう。俺の肩に手を置いていたのは、サイクロプスのオーリエだった。彼女は俺とピティを交互に見渡した後で、首をちょこんと傾げてみせる。
「夏樹さん。その方は?」
「あぁ、こっちは留学生のピツーラ。見ての通り、ドラゴニュートですよ」
「ピティよ。よろしく」
ピティはオーリエと固い握手を交わした後で、彼女の観察に移る。
「へぇ……サイクロプスね。あなたも日本に住んでいるの?」
「えぇ。眼鏡屋をやっているの」
オーリエは特注の巨大一眼眼鏡を押し上げてみせる。それは一つ目の彼女のために作られた特注品だ。旦那さんが結婚を申し出る時にあげたらしい。
あれ、そういえば……。
「今日は、どうしてここに?」
「あぁ。私の両親が来るんです。別に、離婚したわけじゃありませんよ。今でもアツアツですから」
彼女は証拠を示すように自分の左薬指に光る結婚指輪を見せてみせる。その様子を見て、俺は苦笑した。惚気られるとは、予想外だった。
どうやらオーリエは会計に向かおうとしている途中だったようだ。彼女は領収書を掲げながら、ピティに視線を送る。
「よかったですね。夏樹さんはいい人ですよ。私が保証します。こう見えても、人を見る目は確かですから」
「でしょうね。あなたの目なら、心まで見れそうだわ」
互いにウィットにとんだジョークを言い合い、クスクスと笑い合っている。
俺もそんな二人を見て、つい笑みをこぼしてしまった。




