08 初めてのダンジョン
お待たせしました。ようやく本編開始です。
石の壁、石の床、石の天井……。現代の地球人が想像するもっとも平凡なダンジョンがイオリの目の前に広がっていた。
「ハナちゃん……これ、シードさんが作ったの?」
『いいえ、補修はしておりますがマスターは買い取っただけです。このダンジョンは、およそ800年前の魔導師が引き籠もる為に制作したものと言われております』
「引き籠もり……」
色々と言いたいイオリはぐっと我慢する。確かにダンジョンらしくて期待は裏切られていないが、天井の所々に付いている申し訳程度の光を放つ水晶球が『裸電球』に見えて違和感が酷い。
ギギィ~と、また音がして、背後の扉が安らぎの世界から遮断する。
「………」
『さぁ、行きましょう。イオリ様、装備は宜しいですか?』
「う、うん」
そう言われて初めて呆然と立ち尽くしていることに気付き、『武器は装備しないと意味がないぜ』と言う武器屋のおっさんの幻視が見えたイオリは、慌てて左右の手に弓とナイフを構えた。
『ナイフは弓で飛ばせません。ご注意下さい』
「そうだよねっ」
悩んだ結果、イオリは弓を装備することにした。
鉄の矢は18本。MPを対価にして【物品創造スキル】で矢を作れば余裕を持ってあと10本程度増える。
「そう言えばMPって0になると、どうなるの?」
『MPは魔力を使う為の精神力です。MPが0になると昏睡状態になり、数日は目を覚ましません。それ以前に半分以下になりますと徹夜したような精神状態になり、判断力と理解力が低下します。ご注意下さい』
「うわぁ……」
余裕を持って行動するのなら、半分以下にならないようにするのが当たり前らしい。
イオリの場合は一度に魔力値である15までMPを使う事が出来て、その使用できる分のMPを『魔力』と呼ぶ場合もあるようだ。
精霊や悪魔のような精神生命体は、魔力=MPであり、使用制限はない。その替わりに魔力を使い切れば存在そのものが消滅してしまう。
『ですが、イオリ様はハイエルフでいらっしゃいますので、MPは人間より多いはずですから、三割以下にならないようにすれば平気かと思われます』
「ほっ……良かったぁ。魔法使いさんには大変な世界だね……」
『魔法スキルがあれば消費MPの軽減が出来ますので、それほど困らないでしょう』
上級者なら…と、ハナコは声に出さずに続けた。
実際、人間の初級魔法使いは、魔法を1~2回撃ったらほとんどのMPを使い切るので実戦ではほとんど役に立たず、魔法スキルをあげるのがかなり大変なのだ。
「そうだっハナちゃん、魔法のこと教えてよ」
『それはダンジョンを出てからいたしましょう。時間も掛かりますし、このダンジョンには魔法を使うモンスターはおりません』
「そっかぁ、じゃ、頑張らないとね」
単純なイオリは、ハナコが魔法に憧れを抱かせ、それを餌にしてモチベーションを上げてくれたことにも気づかず、耳をピコピコ上下させる。
ハナコはイオリが何故かやる気を下げていることに気づいていたが、それを口にはせず、イオリの意識を外に向けさせることにした。
可愛いイオリを外で撮影する為に。
『このダンジョンは地下五層構造で、50メートル×50メートルの広さがあります。ダンジョンとしては小規模です。この階はマスタールームがありますので、他はボス部屋とその手前の小部屋しかありません』
「…え? ボスモンスターが居るの?」
『このダンジョンのボスはマスターですから無人です。脇道はありませんので、上の階まで進みましょう』
「う、うん……わかった」
薄暗い通路をイオリはおっかなびっくり歩いて行く。モンスターは居ないと聞かされても、平和しか知らない日本人からすれば怖いものは怖い。
通路の抜けてボス部屋の扉を開けると、広い部屋の向こう側に同じような扉が見えたが、イオリは焼け焦げた床や壁の戦闘跡を見て息を飲んだ。
「……これ、シードさんが戦ったの?」
『そうです。強盗勇者は主に風魔法を使っておりましたので、焦げた痕はマスターの魔法です。マスターは『鉈の鬼人』と呼ばれておりましたが、さすがに勇者には敵いませんでした』
「……豪快なご老人だね」
鉈と魔法がどう結びつくのか理解できなかったが、シードの二つ名に驚いてその疑問を忘れてしまった。
扉をまた開けて小部屋に進む。筋力が落ちているので鉄の扉が地味に重い。
本来なら扉には鍵が掛かっているが、それはハナコが管理者権限で開けてくれた。お客さんが来た場合もハナコが開けておくようだ。
小部屋の先には階段があり、そこから四階に上がれる。
『イオリ様、四階からはモンスターが出没します。お気を付けて』
「……大丈夫かな?」
『モンスターの位置はこちらで把握しております。私がご案内させていただきます』
「う、うん、よろしく」
だが位置が分かると言っても、正確に分かるのは外部録画機能がある五層とダンジョンの入り口だけで、それ以外はどの部屋に生命力が幾つあるか分かる程度で、部屋の何処にいるか、モンスターの種類が何なのかまでは分からない。
階段を上り、また薄暗い通路を歩くイオリの手はガチガチに弓を握りしめて、何かあってもまともに戦えるようには見えなかった。
ブン……
「ん? 何か…」
『どうなさいましたか?』
「何かパソコンの起動音…? ハードディスクが突然振動したような……」
『私には音も振動も探知できませんでした。周辺を再探査いたしますか?』
「……ううん、たぶん気のせいかな」
イオリは緊張しすぎたのかと息を吐いて肩の力を抜く。慣れていなくても上手くできなくても、この世界で生きる為にはこういう事も避けては通れない。
『イオリ様、この先20メートル前方右側に小部屋がございます。中に四体の魔物の反応がございますので、大きな声を出さず静かに通り抜けましょう』
「…うん」
ごくっと息を飲み込んで、イオリは静かに移動を始める。
抜き足差し足忍び足。へっぴり腰のイオリではほとんど隠密になっていないが、足音を抑えるブーツが上手く役立ってくれた。
その小部屋には扉が無く、2メートル程の通路が伸びて小部屋に繋がる。
「………」
そっとイオリが覗き込むと、薄闇の中に微かな物音が聞こえ、それがモンスター……ハナコが言った魔物の声だと分かった。
『どうやらゴブリンですね』
「ごぶ…」
『お静かに。中央奥寄りに三体。他の魔物を狩って食べているようです』
「(何で分かるの…?)」
ファンタジーの定番と言えばゴブリンである。それがどんな姿をしているのか、どんな風に見分けるのか興味があった。
イオリが念話のような感覚で口の中だけで呟くと、それでもハナコには通じた。
『言語に特徴がございます。魔物特有の単純な言語ですが、良く聞いてみると末尾にある単語が使われております』
「(単語…?)」
イオリはそっと耳を澄ます。
耳が長いから聞こえやすいと言う訳ではないが、エルフ種は元より視覚や聴覚が優れており、そもそもこの世界の住人は地球に住む現代人より目も耳も良い。
耳を澄ますイオリに、ゴブリン達の声が聞こえてきた。
『……щдз☆фゴブ』
『уъ△ъцゴブ』
「(……もしかして、ホブゴブリンって、末尾に『ホブゴブ』とか付ける?)」
『良くお分かりですね。それが名称の由来と聞いております』
「………」
ある意味合理的な命名だったが、出来れば知りたくなかった異世界の真実である。
魔物の中には言葉が不自由な種が居るのですべてに当て嵌まらないが、良く考えれば姿を見なくても分かるのだから分かりやすい。
それは別にオークなどは外見通りに豚のように鳴くらしい。
『こちらに気がつく様子はありませんので、このまま先に進みましょう』
「(……そだね)」
盛大に脱力してしまったが、そのおかげで緊張がほぐれて上手く気づかれずに通り抜けることが出来た。
次回、ダンジョンに慣れてきたイオリが目にした物とは