06 彼が彼女になった理由
なかなか旅が始まりません……。
着替え終えたイオリがリビングのテーブルに着くと、お風呂上がりのアイスティーを用意した【伊の壱号】はスキルの説明を始める。
『まず、イオリ様の『女体化』の原因ですが、特殊スキル【自動復活】の影響かと思われます』
「……え?」
『イオリ様は【自動復活】について、どのように認識しておりますか?』
「……記録した『場面』から、記憶を持ったままやり直せるって」
『その固定制約については?』
「…確か、身体能力が下がって、体力が最低値に……」
『はい、文献でもそうなっております。そしてイオリ様の鑑定結果もHPが1しかありません。これは生物としてあり得ないことです』
説明を受けるにつれ、イオリの顔が青ざめていく。
この世界で知的生物の『平均値』と言われる『人間』のステータスは。
HP:100 MP:60
筋力:12
防御:10
敏捷:10
器用:7
魔力:8
これがこの世界『テス』に住む人間成人男性の平均値である。
産まれたての赤ん坊でも『HP:5』はあるので、イオリの『HP:1』は、転んで足首を挫く程度で『死亡』することになる。
「で、ででで、でも、防御力の高い装備を付ければ…」
『ここで身体能力低下が影響します。イオリ様の『筋力:3』は、人間の五~六歳児程度の筋力です。先ほどお渡しした革のマントは、薄手ですが2キロの重さがあります。重く感じませんでしたか?』
「…………うん」
確かにイオリはあのマントを重く感じていた。マントだけならそうでもないが、全身装備に荷物を含め、その上に武器も装備すれば、まともに動けるギリギリだろう。
『イオリ様にとっての問題は、身体能力が下がった事による弊害よりも、下げる為の弊害でしょう』
「え? …どういうこと?」
『先ほど少し言いましたが、人間でその能力値は生物上あり得ません。人間のままでは呪いを掛けたとしても『HP:10』『筋力:5』を下回ることはないはずです。ですから、知的生物の中でもっとも『体力』『筋力』『防御力』が低い『ハイエルフ』として再構成される必要があったのです』
「え……ええええええええええっ!? それじゃ女の子になったのは…」
『はい、男性と女性では、どちらが体力が少ないか、お分かりになると思います』
「そんな……」
イオリが思っていたよりも凶悪な制約だった。
最低値まで下がるのではなく、最低値まで下げるのだ。
このスキルを生み出した天才魔導師も、ハイエルフで女性だったらしい。
この世界では生まれたばかりの赤ん坊は精霊に近いと言われている。その認識を利用し、知的生命体の中で精霊に近い妖精族である『ハイエルフ』を、赤ん坊に近い数値にまで能力を下げることで、一時的に精霊に近い存在にして世界の理に干渉させるスキルだった。
「……どうしようもないのかな? スキルを解除するか、制約を弱めるか…」
『スキル解除は歴史上実例はありません。スキルがある限り、そのスキルの制約も変わりません』
「でも、ほらっ、スキル強奪スキルとか」
『……それは神の領域ですね。神が存在するのなら…です。人の身でそんなことをすれば、魂は耐えきれず消滅してしまうでしょう。……ですが』
「何かあるの!?」
『マスターの研究に『基礎体力増強』がありました。まだその研究は完成しておりませんが、『体力が最低値』と言う前提を崩すことが出来ればあるいは……』
このスキルを解除、もしくは無効化できる可能性がある。
「マスターさんは!」
『強盗勇者を毒殺しに向かったまま戻っておりません』
「……そうでした」
まだ目的を達していないのか、ダンジョンマスターである『シード』はまだ戻ってきていない。それどころか、返り討ちに遭っている可能性もあるのだ。
「……他にその研究をしている人は?」
『一般的な研究ではありません。これは所謂ドーピング魔法の類ですので、HP10以上増やそうとすれば、筋肉が崩壊してダメージを受けます。治癒魔法を併用すれば使えるかも知れませんが、HPを多少増やす為に、身体を癒す為の治癒魔法を常時使用するのなら、怪我してから治すほうが合理的ですので』
「だったら、マスターさんはどうして…?」
『マスターはお歳を召していましたから…』
「それなのに、勇者を追いかけていったんだね……」
どうやら『シード』氏は、アクティブなご老人だったようだ。
それでもわずかに希望が見えてきた。
体力を上げることが出来ればスキルを解除して、男に戻れるかも知れない。もし戻れなくても体力が上がるだけでも有り難い。
イオリが求めた異世界生活とはまったく違う様相になったが、それを求めることを最初の目標にしてもいい。
「ボク……マスターさんを探しに行くよ」
そうしてイオリの初めての旅が始まろうとしていた。
『どうやってですか?』
一瞬の間もなく水を差された。
「……えっと、普通に旅をして」
『イオリ様はハイエルフです。普通のエルフならともかく…』
「ちょっと待ってっ、エルフとハイエルフってどう違うの!?」
『ハイエルフはエルフ種の『原種』です。ハイエルフが人間と交わることでエルフが生まれ、人に近い魔物と交わることでダークエルフが生まれたと言われております』
「人間とその……しちゃったら、ハーフエルフが産まれるんじゃないの?」
イオリの顔が少し赤くなる。
『普通のエルフ種と人間が交わればハーフエルフが産まれます。ハイエルフが産まれるにはハイエルフ同士の交わりが必須…でもありませんが、肉体的にエルフよりも弱いハイエルフは、この千年ほどでほとんど居なくなりました』
「ひょっとして、ボクって絶滅種…?」
『そうではありません。エルフ同士の交わりにより、先祖返りでごく希に…約0.1%の割合で、ハイエルフが産まれます』
1000人に一人。
珍しいがまったく見かけない訳でもない。
それでも存在自体に希少価値があり、人間社会では無駄に人目を引きやすいのだとイオリは理解した。
「エルフとハイエルフって、見かけが違うの?」
『ハイエルフは通常エルフ種より華奢で、耳が少し長いと言われていますが、マニアでなければ判別は出来ないでしょう』
「……マニア。いるのか」
どんな世界にもエルフ好きは居るらしい。
「身体が小さいのはエルフの特徴? それともハイエルフだから?」
イオリはついでに気になっていたことも聞いてみる。
元から華奢だったがさらに華奢になり目線も低くなった気がするのは、女の子になったからだけとは思えなかった。
高校生だったイオリの見た目は、中学生くらいまで下がっているような気がする。
『エルフ種全体の特徴ですが、永遠の命があるハイエルフは、それが強く表れるようです』
「永遠っ!? ずっと死なないの!?」
『そう言われておりますが、寿命で死んだ者を確認できていないだけです。普通のエルフは五百年ほどの寿命があり、17歳前後までは人間と同じように成長し、二百歳までに三十歳前後の見た目となって、五百歳では四十歳程度となっているようです。ですがハイエルフは、二十代以上の外見になった者はいません。人間の15~6歳ほどの外見になるにも三十年近く掛かり、そのせいか永遠の命があると思われています』
光の精霊がやけに『寿命対価系』を進めていた意味がようやく理解できた。永遠とも言われるハイエルフの寿命なら、大きな問題にはならないのだ。
知っていたのなら説明して欲しいとイオリは思ったが、所詮は生物外なので細かな気遣いを求めてはいけない。
「幼くなったように感じたのは気のせいじゃなかったのか……。他に違いはある?」
『その他には、ハイエルフは美しい外見をしていると言われていますが、私には違いが分かりませんでした』
「あ、それなら大丈夫だよっ、ボク、すっごい美人じゃないし」
そんな理由だったら人攫いにも狙われないだろうとお気楽に考える。
元男性であるイオリは、元の顔立ちが残っていることで自分を低く見積もっていた。
そしてイオリは気づいていなかった。
ダンジョンコアである【伊の壱号】に人の美醜が理解できていないことを。
コアの持っている情報は偏っていて、近年『光の勢力』が劣勢となり、ひ弱なエルフは森の奥に引き籠もって、エルフ自体が人間社会では珍しくなっていることを。
黒髪のエルフなど存在していないことを。
「それに今は弱くても、レベルさえ上がれば…」
『レベルですか? 一般スキルにはレベルがあって、上がれば技能も向上しますが、特殊スキルにレベルはありません』
「違う違う、ほら、経験値を溜めて、肉体のレベルを上げるんだよ」
『…………………検索を終了しました。勇者の『秘術』の一つに、イオリ様が言われていた『肉体レベルシステム』と同様のものがございます』
「ほら、それだよっ、………勇者の秘術?」
『光の加護を受け、強靱な肉体と魔力を持つ勇者にだけ許された『秘術』で、倒した相手の気力や魔力を吸収し、一定以上集めることで身体能力を段階に分けて向上させるようです』
「…………」
『普通の人間では負荷に耐えられないでしょう。肉体崩壊か精神崩壊をすると推測されます。そもそも、経験を積んだ程度で筋力や体力が倍加するなど、生物としてあり得ません』
この世界は見た目はファンタジーなのに、変な部分で妙に現実的な世界であった。
この世界はゲームではなく『現実』なのだ。
安易なチートなど存在しない、中二病患者には厳しい世界だった。
『この世界はイオリ様にとって危険です。このままマスターがお帰りになるまで、お待ちいただくのを推奨いたしますが』
「…そ、そうだね」
『ですがイオリ様の決意を理解できました。私もマスターには無事にお帰りいただきたいので、イオリ様のご意志を尊重し、出来る限りのサポートをさせていただきます』
「…え? あ、」
まさか今更、『外は怖いからやっぱりいかない』とは言えない。
機会音声っぽいが、綺麗な女性の声でお世話になった存在にそう言われたら、今は女の子だが、男の子として情けない姿を見せる訳にはいかなかった。
「ま、任せてっ、マスターさんをちゃんと連れ帰ってくるからっ」
イオリは強い子、元気な子。顔で笑って心で泣いて、こうしてイオリの旅は始まろうとしていた。
次回、イオリ専用の武器を貰います。太っ腹ですね。