55 決着とそれぞれの思惑
主人公は空気。
決着はついた……ように見えた。
ナギトは剣と鎧を砕かれ、その動けない彼にスバルが剣を向けている構図だが、実際はスバルのほうがダメージが大きかったりした。
「(……痛ってぇえええっ!)」
スバルはナギトの剣技を相殺したように見えたが、半分ほど相殺しきれず余波をその身に受けている。
それは竜人の強靱な身体が耐えてくれたが、見よう見まねで使った【付与魔術】は加減がまったく付かず、初めての魔術によって魔力も枯渇し、要するに瞬間的に襲ってきた全身打撲と全身筋肉痛と重度の二日酔いのような状況に陥っていた。
今動いたら吐く……。
そんな極限状態で剣を構えている訳だが、そんな事はナギトの知ったことではない。
「……くっ、」
まるでオークに鎧を破壊されるような攻撃を受けたのに、何故か肌には傷一つなく、服だけ破けた女騎士のように呻いてナギトはスバルを睨み付けた。
そんな顔は若干そそるモノはあったが、スバルは腐ってはいても『鑑賞系』なので、そんな18禁のような展開にはならない。
一瞬だが、この状態のナギトをその手の趣味があると噂のある【大地の勇者】――身長2メートルのおねえ系――に託してみたい誘惑にも駆られたが、今のスバルにはそんな余裕も無いのだ。
ナギトは今の状況が信じられなかった。
中学生の頃、この世界に召喚されたナギトは勇者として認められ、スキルやステータスなどを見せられて、このゲームのような世界に来たことを歓喜した。
ゲームではない……先輩である水の勇者にそう言われたが、心のどこかでまだゲームでないことが信じられなかった。
そうでなければ中学生だったナギトが生き物を殺し、また殺されるかも知れない現実に耐えきれなかったであろう。
そう思うことでナギトの精神は、自分の“心”を現実から守ってきたのだ。
ゲームの勇者なら、何をしても許される。
ゲームの主人公なら、絶対に負けるはずがない。
イベント戦で、序盤で魔王のツンデレ側近と戦うような状況ならともかく、こんなサブクエストで負けるなんてあり得なかった。
ナギトもこの世界で二年ではあるが【勇者】として戦ってきた誇りも意地もある。
ナギトはこんな所での敗北を認めることが出来ず、【勇者の秘術】に記されていた、生命力を精霊並みの“純魔力”に変換する最後の技を試みようとした。
……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ。
ナギトの全身から魔力が溢れ始め、遺跡が微かに震え出す。
「お前まだっ、」
「俺はまだ負けてないっ!」
あきらかに限界以上の力を使おうとしているナギトにスバルが声を上げたが、ナギトはそんな同情などいらないと、それに被せるように雄叫びを上げた。
ちなみにスバルの声は、無理な力を使おうとするナギトへの同情ではなく、ただの保身である。
このままではどちらにとっても良くない結果になるだろう。
その時、
「駄目ぇええええええええええええええええええええええええっ!」
小柄な影が二人の間に飛び込んで声を上げた。
「い、イオリっ!?」
スバルとナギトが都合良く飛び込んできたイオリに目を見張る。
恐怖に震えるように怯えながらも、小さな身体でスバルを護るように両手を広げるイオリの泣きそうな瞳は、ナギトを敵として見ておらず、それどころかナギトの身を心配しているかのように不安げに揺れていた。
「……イオリさん」
ナギトから溢れていた魔力が消えて、遺跡の鳴動が止まる。
イオリの行動にナギトは気付かされた。
スバルを護るような行動は、ナギトへのイオリの“答え”なのだと。
そして、怒りにまかせてイオリの知り合いを倒そうとした自分を、イオリは責めることもせずに自棄になったナギトを心配までしてくれた。
イオリの優しさと清らかさに打たれ、ナギトは思わず両手を床に付く。
「……俺の…負けです」
この世界をゲームだと信じていた少年の、これが初めての現実だった。
「…………」
実は少し前からイオリは正気に戻っていたのだが、接吻の衝撃が大きすぎて、恥ずかしくて動けなかった。
なんとか決着がついて安堵した瞬間、ナギトから見るからにヤバい気配が溢れたのを感じて、ここで死んだらまた何度も【自動復活】のお世話になるのかとゾッとしたイオリは、慌てて二人を止めに入ったのだ。
スバルを庇ったのは単純にスバルの顔をまだ見られなかったので背を向けただけで、泣きそうな顔は普通に怯えていただけ。
……とは、とても言える空気ではなかった。
***
「ほんっとうおおに、すみませんでしたぁああああああああああああっ」
勇者ナギトが石床に額を擦りつけるようにして土下座していた。
「………ん、まぁ、分かればいいんだよ。あんまり、やんちゃするんじゃないよっ」
そんな風に下手に出られると、さすがのタネの言葉もどこか歯切れが悪い。
あの後、追いついてきたタネ達と合流し、そのタネがイオリの祖母であり、以前強盗まがいのことをしてアイテムを奪ったダンジョンのマスターだと聞かされたナギトは、青くなった顔で全力の謝罪をしていた。
知らなかったとは言え、国家に登録したダンジョンを襲うのは立派な犯罪である。
タネはそんな小童をお仕置きするつもりだったが、勇者ではなく現代の中学生だった常識を思い出して、本気で反省している青少年をこれ以上いたぶるつもりはない。
とは言え損害はあるのだが、強奪したアイテムは消費したり、他人に二束三文で譲渡した物も多く、ナギトはそのアイテムを適正価格の倍額で買い取り、譲渡した貴族達にはシードのアイテムであることを宣伝することで決着した。
まだ多少のわだかまりはあったが、その場の雰囲気からナギトがイオリに失恋したと察して、誰もそれ以上何も言えなかった。
それよりも……
「「「…………」」」
イオリとスバルの態度から、スバルが抜け駆けしたと気付いたディートリヒとリリーナのジトっとした視線にスバルは冷や汗を流す。
だいぶ回復はしたが、今の状態でこの二人を敵に回したら、あっさりとボコボコにされるだろう。
この旅の中で単純にイオリのストーカーから追っかけ状態にまで更生出来たリリーナはともかく、ディートリヒの気持ちは複雑だった。
偶然が重なり冷や飯食いの第三王子から第二王子になって、王位を狙える立場にまでなったが、ディートリヒは以前ほど王位に興味が無くなっていた。
その根本にあったのが、王位に就けばハイエルフであるイオリと結婚出来なくなるからだ。
多分だがエルフでも側妃ならば可能だろう。
だが、愛していない貴族令嬢との子に継承権を与え、エルフの血を引くからと愛する人との子を蔑ろにすることに耐えられなかった。
こう見えて、ディートリヒはロマンチストなのだ。
そんな訳で王位にそれほど未練はなくなったが、イオリはまったくディートリヒに興味を持ってくれず――元は男の子だから当たり前なのだが――兄と慕うスバルとばかり良い雰囲気になっている。
今にして思えば、ディートリヒがエルフ好きになったのは、宮廷魔術師であるエルフ女性のせいだろうか。
何年経っても幼く見えるエルフ女性であったが、実際はかなり無理して若作りしているロリ○バアだと気付いた時に、イオリが持つ本物の若さを見て、一瞬にして傾倒していったのだ。
イオリへの恋は、ある意味トラウマを引きずった若さ故の暴走に近いが、イオリの幸せを願うくらいの理性は残っている。
そんな感じで、主人公そっちのけで各自の思惑が入り乱れ飛び交っていたが、それが落ち着くまで事態は待ってくれなかった。
………ぱら… ぱら…
「……え?」
「全員、退避っ! 急いでっ!」
何か破片が落ちる音と、それに気付いたのは、一同の様子を冷めたような呆れた目で見守っていたエルマであった。
エルマはあの聞こえてきた爆音がイオリの仕業だと直感した時、一瞬で最悪の事態まで脳内でシミュレートしていた。
こんな魔物を封じ込める為だけに適当に造られた古い遺跡が、あの爆発で無事で済む訳無いと考えていた。
この中で一番イオリの被害に遭っているエルマは鍛えられている。
それが分かっていて友人として付き合っているのだから誰にも文句は言えないが、可愛いおバカな妹分の為にエルマが即座に指示を出すと、全員が即座に駆け出した。
「……え? えっ!?」
「さっさと来いっ、生き埋めになるぞっ!」
ただ一人状況に対応出来ずにおたおたするナギトを、スバルが叱りつけるように襟首を掴んで走り出した。すでにもう片方の腕にはイオリを米俵のように担いで確保済みである。
「…………」
「…………」
そんなスバルを、ナギトが驚いたように多少キラキラした瞳で見つめていた。
スバルはスバルで、そんなナギトの視線に気付き、嫌な予感がして放り出しそうになったが我慢して手を放さなかった。
「みんな急いでっ!」
「ガキ共、遅れるんじゃないよっ!」
ガラガラと堰を切ったように崩れ始め、まだ残っていた魔物の悲鳴が響く遺跡の中を駆け抜ける。
軽装で身の軽いエルマはともかく、その彼女と同じ速さで駆ける老婆の背中を見て、追いつけない若者達はどこか切ない気持ちになった。
「危ないっ!」
「きゃっ」
悲鳴をあげたリリーナは、落ちてきた大きめの石を盾で弾き飛ばし庇ってくれたディートリヒと思わず見つめ合う。
「あ、ありがとうございます、殿下……」
「…あ、いや、無事なら良い」
お互いにここまでイオリ一辺倒で、相手の顔をまともに見ていなかった二人が初めて互いを意識する。
自他共にハイエルフマニアと認めるイオリストーカーのリリーナであるが、見かけの良いエルフばかりチヤホヤする男共に幻滅していても、男性に興味がない訳ではない。
イオリをぺろぺろに愛でたい気持ちは本気だが、リリーナは危機を救ってくれたスバルにも興味を持っていた。
それはあまり男性らしくないスバルだったからと言う理由もあったのだが、その淡い気持ちは、それなりに更生する為のリハビリにもなっていたらしい。
リリーナにとってディートリヒは、男性と言うよりはイオリを想う“同士”のような感覚だったと思う。
二人はここまでの旅でイオリとスバルの結びつきの中に自分が入れないと感じ始め、ようやく身近な人物に目を向けることが出来たのだ。
「さ、さあ行くぞっ!」
「は、はいっ」
二人は協力して瓦礫を避けるようになり、数分後、一同は完全に崩れそうになった遺跡から脱出することが出来たのだった。
次回、イオリのスキルのお話し。




