02 少年はどこかに旅立つ
時間は少し遡る。
伊織は、どこにでも居るような健全な男子高校生として、徒歩二〇分程の公立高校に通っていた。
青少年として健全なのではなく、『男子高校生』として健全なのだが、この微妙な違いを理解して貰いたい。
すでに社会人である歳の離れた兄や姉が、まるで叔父や叔母のように伊織を甘やかしたせいで、伊織は多少暢気な性格に育ってしまった。
良く言えば大らかな性格で、悪く言えば考え無しとも言う。
普段ならアホな友人達とアホな話題で盛り上がり、アホな遊びをして放課後を過ごすのだが、本日の伊織はるんるん気分の軽い足取りで家路を急いで帰る。
なぜならば、本日は某FPSコンバットゲームの発売日であり、何の問題もなければ某密林販売から宅配便で届いているはずなのだ。
「あれぇ、イオリ、早いじゃんっ」
ぶろろん、と軽い排気音が聞こえ、それを上書きするような若干ハスキーな声に伊織が振り返ると、そこには海外の有名スクーターに乗った女性の姿があった。
「あ、スバルちゃん、大学もう終わったの?」
「ちゃん付けで呼ばないでよ、柄じゃないんだから」
彼女…昴は伊織の従姉妹で、大学に通う為に近くで一人暮らしをしている。
最初に伊織の家に居候する話もあったのだが、年齢も近い男女が一緒の家に住むのは良くないと、結局一人暮らしとなった。
だがその大人の理論はきわめて杞憂だったと言っていい。
昴も歳の離れた兄姉がいる末っ子で、従兄弟内で年齢が近い者は二人だけだったので本当の姉弟のように育ったからだ。
一回り程度歳が離れているのならともかく、弟に甘い姉などという存在は非常に希であり、甘い幻想など存在しない非常に厳しい世界なのだ。
それ以上に二人にはコンプレックスがあり、互いをそう言う存在とは思えなかった。
伊織は歳の割には華奢で、運動してもいくら食べても増えない筋肉や体重に、最近焦りを感じていて、体格の大きい人間を苦手にしていた。
昴は昴で、モデルのように背が高く、顔立ちは可愛い系と言うより綺麗系だったが、残念なことに骨太であった。冬場の厚着をしている時はモテるのに、夏になって薄着になるとモテなくなり、乙女心が華奢な人間に嫉妬してしまうのだ。
それでもバイトをして可愛い服を買っては似合わない自分に愕然とし、可愛い物を着たいという欲求を、小柄な伊織に着せることで晴らそうとした。そこに慈悲はない。
本気で嫌がる伊織を見て、昴に奇妙な感情が芽生える。
伊織を可愛らしく着飾ってあげたい、と言う非常に迷惑な感情だ。
その外見的特徴から、昴は女子の後輩から手紙を貰うほどにモテていたが、女性が好きだったり、ニューハーフが好きな訳ではない。
ある意味、昴は『男好き』だ。♂×♂が大好きだ。
昴が本当に見たい物は、女装した伊織ではなく、可愛らしく女装した伊織が嫌がりながらも『男性』に襲われると言うシチュエーションで、彼女は非常に熟成発酵された趣味嗜好の持ち主であった。
だが弟同然に思っている伊織にそんなマネをさせたい訳でなく、昴は想像だけで愉しんでいる。
普通の性癖しか持たない健全な男子高校生である伊織は、偶に奇妙な視線を向けてくる昴に訳の分からない寒気を感じることはあったが、暢気な伊織はその意味に気づいていない。
「ああ、イオリが早く帰るのはゲームか」
「そうそう、FPSの新作が出たんだよ」
「またFPS…? イオリすっごく下手じゃない」
「…うっ、べ、別にいいじゃんっ、スバルちゃんだって、無双系ばっかりなくせに」
「あの剣で血肉が飛び散る感じがいいのよぉ」
昴のうっとりとした顔に伊織がゲンナリとした顔をする。
姉弟同然と言っても親戚同士の寄り合いで会うことが多いので、そんな時は二人で遊ぶことも多い。
当然遊びのジャンルも似ることになり、二人はかなりのゲーム好きであった。
幼い頃はアクション系やファンタジーRPG系で遊んでいたが、年齢が上がるとその趣味も違ってくる。
伊織は男子にありがちな溢れる中二心で、銃器などを扱うコンバットゲームに傾倒して、軍の銃器や爆弾などを雑誌やネットで調べてニヤニヤするような少年に仕上がっていた。
どのくらい中二心が強いのかと言うと、突然学校にテロリストがやってきて生徒達を人質にする中、逆にテロリストの武器を奪って撃退して、クラスの可愛い女の子達からチヤホヤされる、非常に痛々しい妄想をするくらい強かった。
聞くだけで心がざくざくと斬られるような痛みを感じるのは、伊織と同じ人間だ。
昴は多少サド気質があるのか、18禁の無双系ゲームを好んだ。
18禁と言ってもエッチィ表現があるゲームではなく、首を斬り飛ばしたり、手足が吹き飛んだりする、日本では規制が掛かる暴力系海外ゲームだ。
人間の慣れとは恐ろしい物で、昴はリアルなゾンビの頭を爆散させながら、青い顔をしている伊織の横で、平気で肉を食べる。
「スバルちゃんもやってみる? もう届いていると思うから」
「だから、ちゃん付けで呼ばないでよ。叔父さん達のところで食費浮かすのは魅力的だけど、私、これからバイトなのよね」
「そうなんだ。スバルちゃん頑張ってね」
「……まぁいいけど、後で覚えときなさいよ」
「なんでっ!?」
良く分かってない伊織の叫びを置いて昴はスクーターで走り去り、それを伊織は羨ましそうに見送る。重ねて言うが伊織は健全な中二心溢れる男子高校生として、バイクのような乗り物系にも興味があるのだが、まだ16歳の誕生日も迎えていない伊織にはどうしようもなかった。
機械系も好きだが、ファンタジー系も好きなのでドラゴンにも乗ってみたい。
「でもゲームならともかく、現実じゃ『異世界召喚』でもされない限り無理だよなぁ」
溢れる中二心は、その発想自体が『現実的』ではないことにも気づかせなかった。
おバカは、場合によってはとても罪深い。
「………………」
そんな伊織が歩く少し先の路面に、何の脈絡もなく『魔法陣』のような光が浮かび上がっていた。
神の悪戯か悪魔の慈悲か……。どちらにしても碌なことではないと分かりそうなものだが、伊織の顔に浮かんでいたのは歓喜であった。
伊織は偏りまくった知識から、それが『異世界召喚魔法陣』であると察した。
おそらく伊織さえも気づいていない才能を感じ取り、勇者として召喚しているに違いないと考えた伊織は、
『向こうへ行ったら戻ってこられないかも知れない』とか、
『もう家族に会えないかも知れない』とか、
『折角買ったゲームはどうする』とか、
『チートがなかったら絶対碌な目に遭わない』とか、
若干興奮状態に陥ったイオリはそんなことを思いつきもせずに、とりあえず魔法陣に足を踏み入れた。
チュドン…ッ!!
そして地雷の罠のように爆発した魔法陣に巻き込まれて、伊織は15歳と言う若い命をあっさりと散らした。
おバカは罪である。
次回は、魂だけが召喚されたイオリにお話しがあります。