19 脱出してみましょう
「……なん…だと…?」
ディートリヒは我が耳を疑う。あの金貨30枚の映像で見た、黒髪のエルフが冒険者ギルドに現れたというのだ。
彼はあの映像を見た後、そのまま着替えもせずにシードのダンジョンへと走った。これ程真剣に走ったのは、単独でドラゴンに出会ってしまい命がけで渓谷を駆け抜けた時以来であった。
何故か一層のボス部屋に一番強いモンスターが配置されるダンジョンを前回よりも早く攻略し、前回と同じように出迎えてくれたサブコアの『ウメコ』に映像の不備を訴えると、ウメコは事もあろうか仕様だと言い張り、『完全版』は金貨100枚だと言ってきた。
金貨100枚。日本円にして約一千万円である。
いくら学術的に貴重な映像であろうと、普通はそこまで出せない。
だがディートリヒは一晩悩んだすえ、生体の神秘に迫る為、これまでの冒険で溜め込んだ、王位を狙う為の資金である貴重なアイテムや宝石を抱えて、再度シードのダンジョンに乗り込んだ。
若さは真の意味で罪である。
いや、この場合はそれをさせたエルフの少女と、商売上手のダンジョンコアが一番罪深いが、ディートリヒがそれを悟るにはまだ若すぎた。
そしてディートリヒがマスタールームに辿り着くと、出迎えたのはウメコではなく、普段表に出てこない魔導具製作工房のコアである【阿の壱号】だった。
『ようこそおいで下さりました、ディートリヒ王子。【伊の弐号】はデータ整理のため機能をこちらに戻した【伊の壱号】によって、システムがダウンさせられました。よって現在はアイテムの売買は行われておりません』
ちなみに【阿の壱号】は、ジョセフィーヌチヨコと名乗ったが、愕然として床に両手と両膝をつくディートリヒには聞こえていなかった。
「ほ、本当に黒髪のエルフだったのかっ!?」
「おうよ、この国にあんな騙しやす…純朴そうな若いエルフの娘なんて滅多に見ねぇから、みんな興味津々って顔してたぜ。確か……イオリとか言ってたな」
「イオリ……か」
ギルドの建物内で山の向こうを見るように遠くを見るディートリヒを、会話をしていた年嵩の冒険者は気持ち悪そうに顔を顰めた。
ディートリヒはこのキリシアール国の第三王太子であるが、公式の場でも大抵は隅っこにいるので国民から顔も名前もほとんど覚えられていない。
それが良いのか悪いのか分からないが、冒険者として活動するのなら都合良く、気持ち悪い笑みを浮かべても悪い噂が立たないという利点があった。
「それで、彼女はどこに住んでいるんだっ!?」
「し、知らねぇよ。だが確か『鮮血の憩い亭』で働いているらしいぜ。そこのエルマが一緒に来たから間違いねぇだろ」
「分かった、『鮮血の憩い亭』だなっ、助かった、礼を言うっ」
「お、おう」
若干引き気味の冒険者に礼を言ってディートリヒが席を立った時、冒険者ギルドの扉が勢いよく開かれた。
「……あれ、エルマじゃねぇか」
誰かのそんな声が聞こえて、赤い髪の少女はそのままギルドの受付まで行って何かを話し始める。
ディートリヒは、その少女がイオリの行方を知る者だと気付いて、逸る心を落ち着かせて近づいていくと、その話し声が聞こえてきた。
「……あの依頼主はギルドでも調査はしましたので、怪しい訳では、」
「あのお爺さんが怪しいとか言ってないわよっ。依頼内容がギルドの告知と違っていたんだから、救助隊を出して欲しいのっ」
「依頼の途中で違う魔物が出るのは良くあることですよ? あなたも冒険者でしょ」
「山賊の罠に突っ込ませておいて知らんぷりっ? このギルドって冒険者支援団体でしょうがっ」
どうやら依頼と違って山賊か何かが居て、罠に掛けられて仲間を拉致されたらしい。
確かにギルドの調査不足とも言えるが、そんな小さな依頼の裏の裏まではとても調べられない。だからこそ、様々な場面に対応できるように『冒険者』という荒事専門の職種があるのだと、ディートリヒは憐れみの視線をエルマに投げかけた。
だが、
「ヴェルがまだ閉じ込められたままだし、このままじゃ捕まったイオリがっ」
「なにぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」
エルマの言葉の中に『イオリ』の名を聞いて、冒険者ギルドにディートリヒの叫びが木霊した。
***
「ぶひひ、良い格好だな。やっぱりハイエルフはこういう格好がよく似合う」
「………」
イオリは豚殿下の言葉に耳まで赤くして裾を必死に下に引っ張る。
イオリが身体を洗われてから数時間して豚殿下がやってきた。イオリが“乙女”であることが証明されてすでに金銭が払われたのか、イオリを売った山賊っぽい男はかなりほくほく顔をしていた。
ちなみにイオリのお値段だが、どれほど支払われたのだろうか?
ハイエルフの女性であることで、基本が金貨100枚。
少女期のハイエルフと言うことで、追加が金貨50枚。
30歳までがハイエルフの少女期であるが、そこから1歳ごとに金貨10枚増えるので、15歳のイオリはさらに金貨150枚。
そして“乙女”と言うことでそれが倍額。
しかも珍しい『黒髪』だったので、希少価値からさらに倍額。
合計して、金貨1200枚。日本円にして一億二千万円という、売る側も買う側も、あまりにもアホな金額だった。
そして肝心のイオリの服装であるが、拘束は解かれていたが、エルフが森で良く着るという貫頭衣を着せられていた。
だが、とても上質な薄手のシルク製で、裾丈が股下5センチほどしかなかった。そしてもちろん、下着はない。
ちょっと身を屈めるだけで色々丸見えだ。
イオリの『男の子』の心は、男共のいやらしい視線が脇や脚に注がれることが気持ち悪かったが、同時に『女の子』として身体を隠そうとしてしてしまう自分に目眩がする思いがした。
「おっと、アレを忘れてたな。着けさせろ」
「はい」
そう言って一人の女性が前に出て、イオリに何かを着けさせる。
「ひ、」
「暴れないで。痛くなるわよ」
慣れた手つきであっさりとそれを着けられて、イオリは絶望に顔を青くする。
「異界の勇者が求めていたような、奇妙な機能は無いわよ。簡単には外れないけど」
イオリが着けられたのは革の『首輪』であった。
ピッ……【●REC】
そして何故か聞こえるシステム音。
その首輪は着けるだけで行動を抑制する『呪い』のような、たかが奴隷に使える便利機能は無いらしいが、それよりもイオリは目の前で微笑むその女性に違和感を覚える。
「……あ、あれ?」
「思い出した? ギルドで会ったでしょ」
「ああっ」
良く見れば、イオリの登録手続きをしたあの受付嬢だった。
驚くイオリに彼女はクスッと嗤うと、山賊の頭の側に戻って寄り添う。
受付嬢は山賊と裏で繋がっていた訳でなく、この山賊に見えた男は現在もシルバーランクの冒険者であり、仕事を選ばす汚いことを平気でする冒険者だと、他の冒険者達に嫌われていた男だった。
まさかそんな男でも違法奴隷売買まで行っていたとは誰も思わず、そんな男に受付嬢が情報を流していたとは、ギルドさえも気付かなかった。
「むふふ、良いなっ」
貫頭衣に首輪のみという“いかにも”な、ハナコが思わず撮影してしまう程の素敵なイオリを見て、豚殿下が満足そうに嗤う。
「ぶひひ、お前は、後宮に連れて帰ってから、たっぷり可愛がってやるからな」
「ひぃ、」
芋虫のような指で頬を撫でられて、イオリがゾッとした顔で後ずさる。
とりあえずはこの場で手を出されることはなく、豚殿下達はイオリだけを残して部屋から出て行った。
格子付きの窓から見える空はもうすっかり暗くなっている。
おそらくは明日になったらあの豚殿下の言う後宮とやらに連れて行かれるのだろう。
この世界の後宮がイオリの知っている後宮と同じ意味かは分からないが、そこまで連れて行かれたら、逃げ出すのは難しいだろう。
『脱出するのなら今晩しかないでしょう』
「うん……。それとハナちゃん、この首輪、外れないんだけど……」
『魔道具の一種ですね。対象物から一定以上離れると、軽い電撃が流れるようです。軽くでもイオリ様ならその場でお亡くなりになるでしょうが』
「……だよね。さっきから【自動記録】が数分置きに発動してるよ……。対象物って、なんだろ?」
『一般的には、この建物でしょうか。基準になるアイテムが仕掛けられていると推測します。脱出の際にまずはそのアイテムを破壊する必要があります』
「うん、わかった」
イオリは逃げるために辺りを見回す。豚殿下が来るまでにある程度は調べていたが、室内には武器になりそうな物はない。ただ備え付けの何も無いクローゼットの隅から、銅貨が一枚見つかっていた。
「せめて銀貨だったら……」
100円程度ではほとんど何も出来ない。
『扉には取っ手に鍵が付けられているようですが、浴室には小さな窓がありました。イオリ様なら通れるかも知れません』
「格子はなかったの…?」
『子供が通れる程度で、子供には届かない位置にありました』
「……なるほど」
イオリは頷いて浴室に行ってみると、イオリが手を伸ばしてギリギリの高さに換気口のような窓があった。
「…………」
よじ登って窓から頭だけを出して、格子がなかった訳に気付く。そこは隣の部屋の同じような監禁部屋の浴室だった。
「入り口は扉だけか……あ、鍵を開けられるかも」
『何か思い付きましたか?』
「うんっ、任せて」
最初の部屋に戻ったイオリは、先ほどの銅貨をスキルで生み出した『爆弾販売機』に投入する。ランプが点いたボタンを押して出てきたのは、ある意味狙い通りの役に立たない『かんしゃく玉』だった。
ブン……
そして空気を読んだのか【自動記録】が発動する。
『……大丈夫ですか?』
「だ、大丈夫っ」
イオリはドアに近づくと、かんしゃく玉を鍵穴に詰め込んだ。現代のように小さな鍵は無いので、鍵穴は意外と大きい。手元にあった6個のかんしゃく玉を全て鍵穴に詰め込むと、イオリの動きが止まる。
「どうやって爆発させよう」
イオリはかんしゃく玉の火薬で鍵を壊そうと考えた。だがそれを爆発させる手段まで考えていなかった。
『戻ったら本格的に魔法のお勉強をしましょう』
「……うん」
『今回は私がサポートします。この状態の私はシステム魔法を使えませんが、イオリ様のMPを使わせていただければ、衝撃を与えることは出来るでしょう』
「ほ、ほんと?」
『イオリ様はスキルを使う要領で、意識を鍵穴に向けてください』
「うん」
イオリが鍵穴に意識を集中すると、少し精神が疲れるような感覚があって、鍵穴からボンッ、とくぐもった音が聞こえた。
「………」
『………鍵は壊れたようです』
計算通り鍵は壊れた。
だがかんしゃく玉程度で壊れる部分はたかが知れていて、取っ手は壊れず鍵の内部だけが壊れた為に、扉はもう開かなくなってしまった。
『幸い、近くに監視はいなかったようです。では、隣の部屋でもう一度脱出の為に頑張りましょう』
「そ、そうだねっ」
そしてイオリは隣の部屋に移って、鍵の掛かっていなかった扉から、あっさりと部屋から出ることが出来ました。
次回、脱出のオワタ式が始まります。