18 捕まるまでのお話し
ブン…… 【Record reading.】
「うぷっ」
「うわっ、またっ?」
突然口を押さえて蹲ったイオリに、エルマが驚いたような呆れたような声を上げた。
イオリも、さすがにこう何度も繰り返していると慣れてくる。
死ぬ事には慣れないが、吐く事には慣れてきて、人の居る場所では口を押さえて戻すのを我慢できるようになった。
「イオリちゃん、本当に身体弱いんだね」
ケロケロしないなんて誰が得する、と思われるかも知れないが、とりあえずはヴェルの幻想は壊さずには済んでいる。
イオリは成長しているのだ。そしてその成長は、イオリに一番被害を与えていた。
『イオリ様、申し訳ございませんが、一〇時方向、約三〇メートルに微かな影を補足しました。戦闘準備を推奨します』
そして前回と同じくハナコが忠告をしてきた。
前回はかんしゃく玉を鳴らして、ゴブリンに不意打ちをするはずが逆に受けた。
もちろんそんな事ではヴェルは動じないが、慌てたイオリが前に飛び出してしまった為に、また【自動復活】のお世話になったのだ。
「……あっちに、ごぶ…いる」
とりあえず青い顔をしながらも、イオリは二人に教える。吐くのを我慢しているので気持ち悪さがなかなか消えない。
「へぇ、さすがエルフ。……奇妙な発見器官でもあるの?」
「ないよっ」
「とりあえず、慎重に進もうか」
微妙に違う台詞をやり取りして、三人は隊列を確認して前に進んだ。
「他の二体はどこかしらね」
「もっと奥じゃねぇか? 巣とかあったら面倒だが」
そしてあっさり戦闘終了。ゴブリン二体程度、ヴェルとエルマなら、イオリが何かしなければ何の問題もない証明である。
「少し奥に行ってみるか。二人ともいいか?」
「そうね。慎重に進んでみましょう」
「う、うんっ」
イオリも弓を握りしめて緊張気味に頷く。さすがにスキルに頼りすぎて失敗したのがだいぶ堪えたようだ。
そのまま森をしばらく進んでいると、エルフであるイオリは人間である二人よりも先に異臭に気付く。
「……変な匂い」
「匂い?」
「………確かに臭うな。血の臭いだ」
ヴェルの一言に三人は進む速度を落として音を立ててないように進む。そう言う状況なら足音を抑えるブーツを持ち、発汗や体臭が少ないハイエルフであるイオリが偵察に出る場面であるが、誰もそれを言えなかった。
危なそうだから。
「あれか…?」
「うん……何体か倒れてるみたいだよ。あれって洞窟?」
「巣かな? 近づいてみましょうか」
「……そうだな。何が居るか分からんから警戒しろよ」
近づいてみると、数体のゴブリンの死体があった。死んで間もないのか腐った異臭はないが、まだ血が固まっていないのでその血の臭いと、生き物の死体にイオリは吐き気を押さえるように口に手を当てた。
「ゴブリンが…三体?」
「……あれ? さっきに二体倒したから、残りも二体じゃないの?」
「イオリちゃん。依頼じゃ四体でも、行ってみたら数が違うなんて良くあることなんだよ。一匹はゴブリンシャーマンだな。魔法を使うんでやっかいな奴だが……、誰がこいつらを倒したんだ?」
ゴブリンの死体には幾つか刃物のような傷が残されていた。
「……ねぇヴェル、魔石が取られてないわ」
そう言ったエルマも聞いたヴェルも少しだけ眉を顰める。
刃物傷なら人間に倒されたのかも知れないが、魔石が取られていないのならその可能性は低い。刃物を使うのは『人』だけでなく、武器さえ手元にあればゴブリンやオークでも使うのだ。
「良し、イオリちゃん、エルマ、魔石を回収して爺さんの所に戻るぞ」
「えっ、ゴブリンの巣は見ていかないの?」
目の前には大人が立ってギリギリ通れるくらいの洞窟があった。イオリやエルマなら問題はないが、大柄なヴェルでは全力で走ると頭をぶつける危険がある。
「あのね、イオリ。この中にはゴブリンシャーマンを簡単に倒せるような『敵』がいるかも知れないのよ?」
「うん、わかってるよ。だからそれを退治しないと、」
「イオリちゃん。俺達の仕事はゴブリン退治で、ボスのゴブリンシャーマンが死んでるって事は、もう仕事は終わってる」
「……でも、他のモンスターがいるかも知れないんでしょ?」
「そうだな。でもそれは他の依頼だ。危険があるかも知れないことは伝えるが、それをどうするかは、あの爺さん次第だ」
冒険者は慈善事業ではない。命と身体を張ってお金を稼ぐからには、危険は出来るだけ避けなければいけない。
特に今回は『イオリ』という守るべき存在が居るので、ヴェルもエルマも無茶をするつもりはなかった。
「ダメだよっ、あの爺ちゃんに、そんな一杯お金を使わせたら可哀想だよっ」
「「………」」
冒険者なら絶対言わないようなイオリの的外れな台詞に、エルマとヴェルは思わず互いの顔を見てしまう。
「………はぁ、今回はイオリのお付き合いだったわね。ヴェル……今回だけ我慢してくれる?」
「……ま、仕方ねぇなっ。俺はイオリちゃんを護りに来たんだからなっ」
「二人ともありがとうっ」
イオリの満面の笑みを見て、二人は気まずそうに視線を逸らす。
別に照れているのではない。冒険者の仕事として、危険を調べてそれをギルドに報告する事でも謝礼金が貰えるので、二人ともそれを計算に入れていた。
「洞窟の中だけよ? 何も無かったら帰るからね」
「うんっ、エルマさん」
ランタンに火を灯して、三人は中に入る。もちろんランタン係はイオリだ。冒険に来たのに、いまだに弓矢一本撃っていない。
「……くひゃい」
「……ほんとにぇ」
「鼻摘むなよっ、……しかし何にもねぇな」
臭いのは色々垂れ流しなので仕方ないが、それでも巣には死体から拾ってきた魔石や剣でもあるかと思ったのに、見事に何も無かった。
「やっぱり、どっかの冒険者の仕業?」
「もしかしたら勇者サマかもしれねぇぞ。前にハッコーの勇者が来たって噂になってただろ」
「……い、いるのかな?」
ハナコのマスターであるシードが追っている相手だと、イオリは少し怯えた表情を作る。
「勇者が、あんなに何度も斬りつけたりしないわよ。山賊かもね」
「でも表のゴブリンから魔石を取ってなかったのは、急いでいたのか…?」
「あ、奥が明るくなってきたよ、何かあるのかも」
ぷつん……。
「…あ、」
先頭のヴェルが、足下の異変に気付いた。何か紐のようなモノを切った感触に声を出すと、最後尾のエルマの背後で何かが崩れる音がした。
「くそ、罠だっ」
ゴブリン退治だからと、洞窟やダンジョンで必要なレンジャーが居なかったことが災いした。
「出口を塞がれた!?」
「……あ、煙がっ」
「口を塞げっ、この匂いは睡眠薬かもしれねぇっ。奥に急げっ」
三人が奥へ急ぐと、先ほどイオリが見かけた明るい部屋に出る。
「上に、穴があるよっ」
「……小さいな。俺は通れそうにない」
「ボクならいけるかもっ」
スリムなイオリならギリギリ通れそうな穴が開いていた。
ヴェルは鎧を脱いでも通れそうもなく、イオリと違って色々育っているエルマも通るにはかなりの時間が掛かるだろう。
「やめなさいっ、危険よっ」
「大丈夫だよっ、すぐに助けを呼んでくるからっ」
危ないのは、穴を登ることではなく、外に罠を仕掛けた者が居るかも知れないからだが、イオリはやっと自分の出来ることを見つけてやる気になり、軽い体重を使ってするすると上に登っていった。
***
『思い出せましたか?』
「……うん」
ぐったりとふかふかのベッドに埋もれながら、イオリはハナコに力なく返事を返す。
あの洞窟から脱出した後、イオリは待ち構えていた男達に投網で捕獲されて意識を失った。あの洞窟自体が罠だったのだろう。
何者か知らないが、イオリは捕らえられてあの豚殿下に売られた事だけは分かる。
そして今、イオリがぐったりしているのは、数人の侍女達に服を脱がされ、浴室で身体の隅から隅まで、あんなところやそんな部分まで、人様には言えない隅々まで丁寧に洗われたせいである。
「……見られた。……確認された……」
数人の女性から全てを見られて洗われるなど、人によってはご褒美かも知れないが、イオリにそんな性癖はない。
元々男の子で、最初の頃は自分の身体だという感覚は薄かったが、自分でも見た事のない部分までしっかり『確認』されて、見られた事に泣きそうになっている自分自身にまたショックを受けた。
精神が徐々に、『身体』に影響を受けていたのだ。
「エルマさんとヴェルさんは無事かな……」
『あの状況ならおそらくは無事だと推測します。さらに睡眠薬を投げ込まれて眠っている可能性もありますが』
「そっかぁ……良かった」
ハナコの言葉を聞いてイオリはホッと息をつく。世の中に絶対は無いが、あの二人なら大抵のことは切り抜けられるだろう。
あの時のイオリの行動は考え無しだったが、イオリが出なければ睡眠薬で眠らされた上に掘り起こされ、邪魔な二人は殺されていたも知れないのだ。
現在のイオリの状態は、拘束は解かれて豪華な寝室に閉じ込められている。
窓にはもちろん鉄格子。相手はよほどこういう事柄に慣れているのだろう。
『逃げ出すチャンスを窺いましょう。それまでイオリ様も身体を休まれたほうが良いと進言します。それまで私も待機状態で備えましょう』
「うん、……わかった」
そうしてイオリは、この危機から逃れる為に頑張ろうと決意する。
そしてハナコは、待機状態に入り、先ほどイオリが侍女相手に奮闘していた『勇姿』の映像を整理し始めた。
次回、イオリは貞操を守りきることが出来るのか。