12 【閑話】 キリシアール国、第三王子・ディートリヒ
魔道具職人シード所有のダンジョンは、シードが長期の外出をしたことでマスタールームの魔力装置がすべて切られていた。
ダンジョン内の照明もシードが居た時に比べてかなり照度が落とされ、全体的に薄暗くなっている。
大気や大地にあるわずかな魔力を吸収するシステムはあるが、それはあくまで現状を保てる程度の魔力であり、マスタールームやダンジョンコアの機能をフルに使おうとするなら、ダンジョンマスターであるシードの魔力が必要だ。
非常照明だけに照らされた薄暗いコアルームで、ダンジョンコアである水晶球が仄かに光を放ち起動する。
『……システム正常。ダンジョンコア・思考パターンB・【伊の弐号】起動……』
コアのメイン思考パターンである【伊の壱号】に替わり起動した【伊の弐号】は、即座に報告されたデータを調べ、状況を把握する。
『ダンジョン入り口に生体反応有り。警戒レベル2。監視装置起動、……生体反応を人間と確認。データ検索……個体名・ディートリヒ・フォン・ジ・キリシアール。ゲスト登録者と確認しました。各層の解錠を行います』
身なりの良い服を若干着崩した金髪の男性がダンジョン内に入ってくる様子が、コアである【伊の弐号】の内部で映し出された。
ダンジョン内にはいくつか落とし穴があるのだが、客を落とす訳にもいかないので、鍵はすべて開けておく。
彼はマスターの顧客で、このダンジョンに直接買い付けに来る数少ない人物であり、シード個人の歳の離れた友人でもあった。
しかも彼はこのダンジョンがあるキリシアール国の第三王太子だ。
そんな人物が、なぜ従者も護衛も付けずにこんな場所まで一人で来たのか疑問ではあるが、彼が進む先のダンジョン内のモンスター反応が消えていることを考えると、単独で行動できる腕はあるのだろう。
『……ところで先輩は何処に行ったのでしょう?』
ディートリヒがダンジョンを突破してくるまで暇になったのか、【伊の弐号】が独りごちる。
先輩とは【伊の壱号】ことハナコのことだ。もちろん同じコアを共有する思考パターンなので、コアの内部にいるのは間違いないのだが、【伊の弐号】が呼びかけても応じず、待機状態のようになっていた。
ハナコがそんな状態でなければ、サブである【伊の弐号】が起動することはなかったのだが、あの生真面目な先輩が珍しい…と、【伊の弐号】はここ数日のログを閲覧し始める。
『三日前…コアルームに侵入者。マスターと同郷の方ですか。……不可解ですね』
不可解と言ったのはコアルームに侵入者があったことではない。
異世界人の非常識さは、その異世界人に制作された【伊の弐号】も良く知っているので、突然現れた程度では驚かない。そもそもコアにそんな感情もない。
不可解なのはハナコの行動である。
煩いほどに省魔力を他の思考パターンにも強いてきたハナコが、貯蓄魔力を大量に消費する『上位鑑定』を使用していただけでなく、ハナコの管理下とは言え、幾つかのアイテムも無料で譲渡していた。
これを魔導具制作工房の【阿の壱号】が聞いたら、また大量の愚痴を聞かされる羽目になると、【伊の弐号】は溜息を付きたくなる。
それだけでなく、ハナコは侵入者……今はゲストとして登録してあるハイエルフと、携帯コアに意識を移して共に行動しているらしい。
一体何が、真面目が取り柄のハナコにそんな行動を取らせたのだろうか?
それにゲストとして登録したはずのハイエルフの画像が、1枚もないことも気になった。
『次回、お出でになった時、どうやって本人確認すれば良いのでしょう…?』
ギギィ~~とマスタールームの扉が開く音が聞こえると、【伊の弐号】はコアルームの壁を開き、照明を付ける。
『ディートリヒ様。ようこそ、おいで下さいました』
「ようっ、シードは……いねぇんだな?」
『はい、マスターは126日前に出立されてからまだ戻っておりません』
ディートリヒは王族にしては気さく…と言うよりも若干粗野な感じがする男だった。
だがその言葉遣いは乱暴だが下品ではなく、自信に溢れた端整な顔立ちと立派な体格は、貴族や騎士と言うよりも一流の戦士のような風格を感じさせる。
「やっぱり居ないか……急いで戻ってきたんだがな」
『申し訳ございませんが、室内での抜剣はお控え下さい』
「おっと、わりぃな。一昨日まで他のダンジョンに籠もっていたから、まだその感覚が抜けなくてよ」
ディートリヒはダンジョンから抜いたままだった片手剣を鞘に収める。
『データ確認……ディートリヒ様は冒険者でしたね』
この世界にも冒険者が居る。他人から依頼を受け、身体を張って金銭を得る職業だ。
上級者になれば貴族とも繋がりを持つ者もいるが、一般的な冒険者の地位はそれほど高くない。
それなのに、小国とは言えディートリヒのような王族が、なぜ冒険者などやっているのか?
「小国の第三王子なんて、そんな期待されてねぇから気楽なもんだ。…って、いつもの声じゃねぇな?」
『はい、【伊の壱号】が所用により不在の為、私、【伊の弐号】が替わりを勤めさせていただいております』
「…イーノニィ……相変わらす言いにくいな、異世界の言葉は」
『それでは、アンヌマリーウメコとお呼びください』
「なげぇよっ」
『……でしたらウメコで』
「…お、おう」
『それではあらためて、本日のご用件はマスターのことでしょうか?』
「おおっ、そうだった。しばらく国を離れていたから最近聞いたんだが、ハッコーの勇者が現れたって本当かっ?」
『はい、私は直接見ておりませんが記録に残っています」
ウメコはハッコーの勇者が現れ、アイテムを奪ったことを説明する。
「…ちぃっ、あのガキが」
ディートリヒは不快感もあらわにしてそう吐き捨てた。
ディートリヒも大国ハッコーの勇者である『ナギト』の事は知っている。勇者としてのお披露目に王族として末席だが参加していたからだ。
だがディートリヒはナギトに良い感情を持っていなかった。
14年前に裏切り者として他の三人の勇者に討伐された『風の勇者・フォーテリス』に憧れていたディートリヒは、いまだに彼のことを信じている。
その後釜に座ったのは、一年前に召喚された異世界人で、まだ16歳の少年だった。
一見素直で優秀そうな少年に見えたが、ナギトはこの世界を『げーむ』と呼び、物語の主人公のように振る舞い、他者を『人』と認めていないようにも感じた。
ディートリヒも落ち着いているように見えるが、まだ19歳である。
その若さが三歳しか離れていない少年を『ガキ』と呼び、彼の在り方を受け入れることが出来なかった。
「シードの行方はわかんねぇのか? 俺も一緒に行けたら良かったんだが……」
『ありがとうございます。ですが、あなたがハッコーの関係者に手を出すのは得策ではないと考えます。どうやら【伊の壱号】が協力者と共にマスターの探索に向かったようですので、進展がありましたら王城にご連絡いたします』
「いや、城は拙いな。今ちょっとごたごたしてるんだ。王都のギルドに送ってくれ」
『かしこましました』
「それと……一応、買い物にも来たんだが、全部持って行かれたのか?」
ディートリヒは冒険者としてもかなり稼いでいるらしく、消耗品や、シードが作る面白系のアイテムも良く買ってくれる良い顧客だ。
『戦闘系の強力な武器、アイテムは、すべて強奪されました。新規商品はマスター不在の為にございませんが、ディートリヒ様の購入履歴からまだご存じない商品を紹介させていただきます』
「お、わりいな。それといつものポーション系も頼む」
応接セットにお茶を用意し、ディートリヒがくつろいだのを確認しながら、ウメコはシードの商品を検索する。
『(思っていたより、少ないですね)』
ディートリヒの購入は多岐にわたっており、残されたアイテムの中に目新しい物はなかった。
これが効率優先のハナコなら堂々と『無い』と言うところだが、ハナコと違いウメコは商人思考に優れた個体だった。
お得意様が来てくれたのに何も売らずに帰すのは沽券に関わる。
ウメコはデータの隅から隅まで調べて売れる物を捜していると、ハナコのデータの中に『閲覧禁止』と書かれたフォルダを発見した。
閲覧禁止になっていても外部通信する為かロックが外れており、他の思考体には閲覧許可が出なくても、ハナコのサブであるウメコはその中身を確認することが出来た。
『ディートリヒ様、今までの商品とは違う変わった品がございますが、ご覧になりますか?』
「ほぉ~? 面白そうだな。見せて貰おう』
ウメコは急いでデータをコピーすると、その一部をパネルに投射する。
カシャ。
「………これは……」
映し出されたのは1枚の静止画。
その画像には、まだ年若い、可愛らしいエルフの少女が映っていた。
「……黒髪の…エルフ?」
エルフに黒髪は存在しない。通常のエルフは金髪か赤髪で、濃い色でも淡いブルネット程度である。それはダークエルフでも同じでこちらは銀髪か白髪が多い。
「珍しいな……混血? いや、ハーフでもないし……」
カシャ。カシャ。と映像が切り替わっていく。
そこには笑っていたり驚いていたり泣いていたり、表情がコロコロ変わる少女の姿が映し出され、その少しエキゾチックな可憐さにディートリヒは目を奪われる。
そして……パジャマを脱ぎ始め、街では見たこともないようなきめ細やかな白い肩が露出された画像が表示されて、
……突然画像が消えた。
「…お、おい?」
思わず身を乗り出していたディートリヒが声を漏らす。
『サンプルはここまでです。静止画像70枚。動画30分。コピー不可の魔術を掛けさせていただきますが、再生用水晶球にて販売しております』
実際にはその三倍以上のデータがあり、とても見せられないようなレア画像もあったが、それは言わない。
ディートリヒは目を見開き、少し思案するようにちらりとコアを見て、興味がなさそうにお茶を飲みながら、ボソッと尋ねる。
「ちなみにだが、……いくらだ?」
『はい、本日はお得意様であるディートリヒ様には特別に……金貨30枚でご提供させていただきます』
「ぶふっ!」
ディートリヒは盛大にお茶を吹き出した。
金貨30枚。日本円にして約300万円である。ダンジョン帰りで手持ちはあるが、王族で冒険者として稼いでいても、小国の第三王子の身で気軽に出せる金額ではない。
今腰に下げている、命を預ける魔力剣でさえ金貨25枚なのだから、その値段の高さが分かるだろう。
「……た、高くないか?」
『いえいえ、適正価格でございます。あの最後の画像の後、彼女は入浴をしていたようですが……。失礼いたしました。独り言です』
「………………」
『それではさらに特別に、本日限り、金貨29枚と銀貨9枚でご提供いたしましょう』
「そ、そこまで言われては、ウメコの顔を立てねばならないなっ。良し、買おう」
『ご購入、ありがとうございます。ではこちらを…』
「うむ」
『代金を確認いたします。……申し訳ございません。お釣りが切れておりまして、本日のご購入は…』
「いや、問題ないっ、釣りは取っておけっ」
『ありがとうございます』
値引きになって無いじゃないか。とか思ってはいけない。『べ、別に興味はないけどウメコの顔を立てて買ってあげたんだからねっ』と言う建前があればいい。
何故か粗野だが気さくな感じだったディートリヒの口調が、怪しい貴族風になっていたのもツッコんではいけない。
その後、恐ろしい速さでダンジョンを突破するディートリヒの姿が見られたが、彼の若さの証明だろう。
現在、キリシアールの王城は剣呑な空気に包まれていた。
次期王位を第一王太子と第二王太子が争い、数日前、愚かなことに自分の発言力を高める為に『勇者召喚』を行ったのだ。
国庫に溜められていた魔力は召喚一人分。第一王太子と第二王太子は互いに相手を出し抜こうとそれを行い、同時に二人の『勇者召喚』をしたが、少ない魔力で施行したせいで召喚は失敗し、数年分の貴重な魔力だけが消費された。
王の許可無く国庫の魔力を無駄に使えば、王族でも罪になる。
今はお互いが相手のせいだと罪をなすりつけあっている最中であった。
そんな空気の中をディートリヒは自室がある離宮まで駆け抜けた。
王位継承権など無いものとして扱われ、王宮から外に出されたが、この状況では逆にありがたかった。
駆け足で戻ってきたディートリヒに侍女や執事達は驚いたが、彼はしばらく誰に部屋には近寄るなと言って部屋に鍵を掛ける。
「……よし」
椅子に座るとディートリヒは、映像水晶球に魔力を注ぎ込む。
「くそ、重いな…」
まるで高画質動画を見る若者みたいな愚痴を言いつつも、よほど画質が良いのだろうとディートリヒの頬は緩んでいた。
映像が白い壁面に投射され再生が始まる。
「…………」
動いている少女の姿は、静止画よりも瑞々しく華やいで見えた。
エルフの少女がボタンを外し、白い綺麗な背中が見えると、ディートリヒはさらに身を乗り出していく。
少女の細い指が下着を外して……
「モザイク掛かってるじゃねぇかあっ!!!!!」
キリシアール国の離宮に、ディートリヒの魂の慟哭が木霊した。
ウメコは商売上手。ノーカット版は金貨100枚にて限定3個、販売予定です。
ハナコにばれなかったらですが。
次回、イオリはキリシアール国の王都に向かいます。
それとストックが無くなりました。もう一話くらいは大丈夫かな?




