10 初めてのボス戦
若干追加しました。
「(オ、オーク戦士?)」
聞き慣れない単語にイオリが声を潜めて聞き返す。
一般的にオークの名を日常的に聞くような高校生活を送っていない、とかそう言う話ではなくオークは知っているが、オーク戦士とはどのような存在なのだろうか。
それとまたパソコンが唸るような音が聞こえたが、それよりもまずイオリは目の前の存在が気になった。
『オーク戦士は戦士系のスキルを持ったオークの上位種です。スキルの影響で身体能力が増し、身体も大きくなっています。戦闘能力は普通のオークとは比べものにならないほど強力です』
「…………」
そんな相手をどうすればいいのだろうか。
イオリは目を凝らして部屋を彷徨いているオーク戦士を凝視する。
頭部はイメージ通り豚に近い。豚に近いけど骨骼は人間の形状にも近い。そして目付きが悪すぎる。とてもじゃないがお友達にはなれそうもない。
普通のオークがどのくらいの大きさか知らないが、オーク戦士の身長は2メートルを超えて、その上半身に古びた鎧のような物を付けていた。
鎧と武器と大きな身体。それがオーク戦士を見分ける目印だった。
上半身は鎧を着けている。……上半身は。
あれだけ上は防御を固めているのに、下半身はぼろぼろの腰巻き一つで、脚の間にイオリの腕くらいの物体がぶらぶら揺れていて、イオリの表情が歪む。
『イオリ様、オークの生態をご存じですか?』
「(……何となく分かるから言わないで…)」
そう、オークと言えばアレである。
他種族の♀を見ると、アレしちゃってアレしちゃうアレである。
そしてイオリは自分が今、女の子になっているのを思いだして顔色を悪くした。
『戦わないようにこっそり抜けましょう』
「(……うん)」
ハナコの声にイオリが小さく頷く。
出来るだけ見つからずに突破できればそれに越したことはないが、最悪の事態に備えてハナコも準備を始める。
本体の記憶装置にアクセスして、いつでも録画できる空き容量を確保した。
イオリはこっそりと呼吸さえ抑えて隠密行動を開始する。
心臓はすでにドッキドキ。こちらに背を向けたタイミングを計って通路から部屋に入り、オーク戦士の背になるように少しずつ移動した。
これはオープンワールド系ゲームなら正攻法の技である。足音さえ消してしまえば、視界に入らずに面倒な敵をスルー出来る。
だが、ここはゲームの世界ではない。
『ブヒィ』
「……え?」
オーク戦士があっさりと振り向いた。広めではあるが所詮は15×15メートルの狭い部屋で、女の子であるイオリの匂いを感じさせないほど大きくはないのだ。
『ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
「えええ!? なんでぇええ!?」
オーク戦士が棍棒を振りかぶった瞬間、イオリは外部に通じるもう一つの扉へ叫びながら駆け出した。戦うという選択肢は最初から無い。
オーク戦士の動きは速かったが、鎧のせいで走る速さは互角くらいか。
扉にはわずかに先に走り出したイオリが近いが、扉を開ける時間があるだろうか。
「もう少し…」
『イオリ様っ!』
ハナコの声と共に風を切る音が聞こえ、背中に衝撃を受けたイオリは声を出す間もなく視界が暗転する。
その衝撃がオーク戦士が投げた棍棒だと気づくことなく、イオリのHPは0になって二度目の死を味わった。
ブン…… 【Record reading.】
「…ぅぷっ」
『イオリ様?』
イオリは壁に寄りかかり、その隅にケロケロと胃の中の物を戻した。
おぞましい『死』の感触。日本で死んだ時はすぐに霊体になったから分からなかったが、即座に復活したせいで身体が『死』の感触を覚えていた。
凄まじい寒気と嘔吐感。ガタガタと震えながら床に腰を落とすイオリに、ハナコが控えめに声を掛ける。
『……イオリ様、推測いたしますが、【自動復活】が発動したのでしょうか?』
「……うん…たぶん」
先ほどまでのことを何も覚えてなさそうなハナコに、涙目になったイオリはそれだけしか言えなかった。
死の感覚がこれ程おぞましいものとは思わなかった。
物語でゲームのように軽い失敗で自分から命を絶って復活する者は、かなりのマゾに違いない。
「ハナちゃんは……やっぱり覚えてない?」
『イオリ様が死亡した記録はありません。それにしてもどうしてここで復活なされたのでしょうか?』
「ここって……」
イオリの問いに答えるように、背後の扉がバンッと叩かれた。
そこは二層から逃げて辿り着いた扉の内側だった。どうしてこんな所にいるのか。イオリがセーブを願った場所はかなり手前の安全な場所だったはずだ。
「あ、もしかして…」
『何か分かりましたか?』
ここまで来る途中、少なくとも三回、パソコンが唸る音のような振動が、イオリにだけ感じられた。
それをハナコに話すとハナコは仮説を立ててくれる。
『おそらくですが、【自動復活】の記録機能は、【自動記録】だと思われます』
自動で復活するように、復活する場所は『生命の危険』がある場所に限定されて、自動で記録される。
これは世界に『理』に干渉する為のリミッターのようなものだろう。
もし自由にセーブとロードが出来るのなら、人は必ず自分の欲望の為にそれを使う。
その度に少しずつ世界に『歪み』が溜まり、いずれは世界の補正力によって存在そのものが世界から消滅してしまうだろう。
沢山の対価を払い、一時的に精霊の属性を得たイオリでさえギリギリだった。
だが、現状の問題はそこではない。
「……もしかして、これ詰んだ?」
『…………』
背後ではゴブリン達が飽きもせず扉を叩き続けている。
来た道を引き返すのは不可能で、イオリは正面からオーク戦士を突破するしかない。
オークだって生き物なので食事もすれば眠りもする。その隙にこっそり出て行くという方法もあるのだが、
『ブヒィ♪』
「ほら来たよっ!」
長い時間をハナコと話し合っていたが、叩かれる扉の音に気づいて、イオリが隠れている通路にオーク戦士がやってきた。
「いや、ちょっとまっ、」
『ブフヒヒッ』
オーク戦士はイオリを捕まえると、熟練された職人のような慣れた手つきで服を剥いでいく。
「やだやだやだっ!」
『ブッヒィ♪』
ブン…… 【Record reading.】
「うぷっ、」
『イオリ様?』
唐突にケロケロしだしたイオリにまたハナコが声を掛けた。
死の感触には慣れそうもない。それだけでなく男の子として大事な何かを失ったような気がして、思わず虚ろな眼になるイオリだった。
『……イオリ様、推測いたしますが、【自動復活】が発動したのでしょうか?』
「…うん、そうなんだよ……はは……」
物語では夢のようなスキルだったのに、実際は悪夢のように心を折ってくる、とんでもないスキルだった。
イオリはとりあえず、さっきまでハナコと話していた内容をハナコに話した。
『不思議なものですね。私ならそういう仮説を立てると思いますが、それが記録に残っていないとは……』
「……仕方ないよね」
『では、襲われる前に動かないといけないのですね』
「そ、そうなるね……」
襲われると聞いて、前回のことを思い出したのかイオリの顔が蒼白になる。
『それでは行きましょう』
ピッ…【●REC】
「あれ? ここでも聞こえるんだね……」
『システム音ですから当然です』
きっぱりと言い切るハナコを不思議に思いながらも、イオリは弓を構えてこっそりと動き出す。芋スナの本領発揮である。
狙いは頭……と言いたいが、命中補正がある『そよ風の弓』でもヘッドショットは難しく、あの死体撃ちで生き物の命を奪うことにまだ抵抗があったイオリは、ある種のお約束として『膝』を矢で狙った。
ヒュン……ッ、と飛んでいく矢は上手いことオーク戦士の膝の裏側に突き刺さる。
『ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』
突然の痛みに思わず叫びを上げるオーク戦士。
「やったっ」
膝を撃たれたらまともに動けないはずだと通路から飛び出したイオリは、怒りの形相で向かってくるオーク戦士と正面から対峙する羽目になった。
「え!?」
非力なイオリでは、裏側からでも膝を貫通出来なかったのだ。
ぷちっ。
ブン…… 【Record reading.】
「うぷっ!」
『イオリ様?』
盛大にケロケロしだしたイオリにまたハナコが声を掛ける。
そして定番になってきた説明。
『そうですか……記録に残ってないのが残念です』
自分ならオーク戦士に襲われるイオリの雄志を録画していたはずだと、ハナコは残念そうに呟いた。
ハナコはイオリを見守る者として、すべてのイベントをコンプリートするのが義務だと考えていたのだ。
「そうだねぇ…」
そしてそんな事を思われているとは知らずに、イオリも涙目になりながらぐったりした顔で同意する。
そしてまたイオリの挑戦が始まる。
「ひぃでぶっ」
「やだやだ、いやぁあああああああああああああああっ!」
「ひぃいいいいいいいいいいっ」
「そんなの見せるなぁっ!」
「げふぅっ」
「そんなとこ、舐め、」
「いぃやああああああああああああああああああああああっ!?」
「なっ、ちょ、そっちは違うっ」
ブン…… 【Record reading.】
「げふっ」
『イオリ様っ!?』
慣れることのない何度目かの死の感触だけでなく、男の子として耐えられない部分も狙われたせいで、イオリは復活早々盛大にケロケロして倒れ込んだ。
あまりにもサイズが違いすぎるせいで、事が起こった瞬間に何が起きたのかも分からず死んでしまうのが、巨大な不幸の中の小さな幸いだった。
これを見ているものがいたとしたら、何が『違う』のか、『そっち』はどっちだとか疑問に思われるかも知れないが、今はそれどころではない。
そして定番のハナコへの説明。いい加減、気の短い人間なら説明を省きそうなものだが、素直なイオリは毎回バカ丁寧に説明している。
「もうやだよぉ……ぐす…」
説明を終えると、さすがのイオリも心が折れ掛けて幼児退行し始めていた。
『イオリ様、方法を変えてみましょう』
「…ぐす…ほうほう?」
『そうです。イオリ様にはもう一つスキルがあります。それを使いましょう』
「……すきる」
イオリの瞳にわずかに光が戻る。
イオリのもう一つのスキル、【物品創造スキル】。
対価によってアイテムを15分間だけ創ることが出来るスキルだ。
主に弓矢のような消費アイテムを創るのが定番だが、今のイオリの魔力ではどんなに頑張っても『鋼鉄の矢』程度しか創れない。
なら他に何かを『対価』にして強いアイテムを創るしかない。
今のイオリに払えるものは、金銭かイオリ自身だ。でも自分の身体を対価にするほどマゾではなく、寿命なら対価になるかも知れないが、ハイエルフでもさすがにそれは怖かった。
そうなると残りは金銭しかない。
現在の手持ちは銀貨2枚、小銀貨17枚、銅貨5枚。
小銀貨ではイオリの使える魔力分のMPと大差なく、強力な威力が欲しいのなら銀貨以上に設定しておいたほうが良い。
間違えは許されない。一度設定したら二度と変更は出来ないのだから。
イオリは悩んだ。今までの15年の人生で一番悩んだ。
あまりにも悩むのに時間を掛けすぎて……
『ブヒヒヒィ♪』
「ひぃいやぁあああああああああああああああああああああああっ!?」
もう一度オーク戦士がやってきて襲われるまで悩んだ。
ブン…… 【Record reading.】
そして悩みまくったあげく、ようやく一つの答えに到着する。
異世界転生者である自分にしか作れない物。拳銃でもない。刀でもない。安価な物から高価な物まで種類も多いアレならば。
「いけるかも……?」
次回、イオリが決めた物は何なのか。この詰み状態から脱出することが出来るのでしょうか。




