4章(1)
翌日美子は、写真を持って家を出た。昨日とは違いちょっと寒いぐらいだ。
日差しはほとんど射していない。野口がそろそろ、迎えに来る予定時間だった。
美子が表通りまで出てみると、既に野口の車は止まって美子を待っていた。
美子が近づくと、野口が降りて、ドアを開けてくれた。里美も後部座席で待っていた。
「おはよう。眠れた?」
里美に聞かれて、美子は首を振った。
「そう、私も眠れなかったわ、一度は眠りについたけど、夢で起きたの」
「夢で?どんな夢だったの」
里美に振り向き美子は尋ねた。夢など誰でも見るもの、それほど気になった訳ではないが、
会話が切れそうな気がして尋ねた。
「それが、変な夢だったわ」
里美は思い出すようにゆっくりと昨夜見た夢を話し始めた。
「え?私も、私も同じ夢を見たわ!」
二人は、話し合った夢の内容に驚いた。同じ時刻にほとんど同じ夢を見ていたのだ。
しかも、里美まで大仏を見に行ったときの写真を持ってきていた。
通行人に頼んで撮ってもらった、唯一、三人で写っている写真だった。
野口も運転しながら驚いていた。酒田の家に着くと、酒田もすでに玄関先で待っていた。
酒田が助手席に乗り込むと、美子は夢の話を酒田に聞いてみた。
「どういうことかしら」
酒田は写真を一枚受け取り、目を閉じた。
「会いたいけど、会いたくない。そんなところかしら」
酒田はそれ以上言わなかった。その後、酒田は念仏を唱え始めた。
美子と里美は黙って座っていた。
商店街を通り抜け、坂を上り始めたところで、急に酒田の念仏が止まった。
「ここでいいわ。相手は貴方に気がついた。危険だわ。これ以上近づかないで」
酒田は野口を見た。その表情には険しさが伺えた。
野口はその表情から、恐怖さえ感じ額から流れる汗さえ感じた。
そして路肩に車を止め、三人を下ろすと、ゆっくりとUターンして坂を下り始めた。
野口は振り返り里美を見たが、悲しそうな目だった。
そして野口の口が『きをつけて』と、動いた時に、酒田が急に大声で叫んだ。
「止まって」
その時酒田には、助手席に座る弘子の霊が見えたのだ。
その顔は不気味に笑い、その視線は野口を飛び越え酒田に向けらた。
鋭い眼光を光らせて『お前には助けられない』そんな言葉が酒田の頭に響いた。
しかし、野口には酒田の叫びは聞こえなかった。バックミラーに映る里美を見ていたのだ。
そして、バックミラーから前方に視線を移した時、脇から現れたトラックの横腹に、
野口の車はそのまま突っ込んだ。野口は即死だった。
丁度、前輪と後輪の間に突っ込み、荷台の下まで入り込んでしまったのだ。
そしてフロントガラスごと車の上部が、後ろに飛ばされ、車の中には、
野口の下半身だけが無残に残された。
榊が署に来た時、里美は気が狂いそうなほど泣いていた。
美子は里美を抱きしめるだけで、精一杯だった。酒田は念仏を繰り返し、恐怖に震えていた。
「何があったのですか」
榊は近くの警官に尋ねた。警官は榊の手帳を見て、敬礼してから答えた。
「野口刑事が亡くなりました。トラックに突っ込んだのです。
三人は、その直前までその車に同乗しており、一部始終を見ていました。
しかし事情を聞こうにも、榊刑事を呼んでほしいとしか言わないのです」
「どこか部屋は空いていますか」
榊は尋ねた。
「用意します」
警官はそう言って、その場を離れた。榊はじっと三人を見つめていた。
しばらくして、さっきの警官が戻り、空き部屋に皆を案内してくれた。
部屋にはいると、榊は鍵をかけた。邪魔されたくない。そう思ったのだ。
それよりも、誰が聞いても信じないと考えたのだ。里美は部屋の長椅子に寝かされた。
少しは落ち着いたようだが、時折、背中を向けたまま鼻をすすっていた。
榊が椅子に座ると、美子と見慣れぬ婦人が腰を下ろした。
「そちらは?」
榊の問いに、美子が答えた。
「霊能力者の酒田さん」
「榊です」
酒田に挨拶したが、酒田は念仏をやめなかった。そしていきなり
「恐ろしい、恐ろしい」
とわめきだした。やがて榊の手をとると、
「貴方も狙われる」
と言い、そのまま気を失い、テーブルにうつ伏せた。
榊には、意味が分からなかったが、美子が静かに話し始めた。
「昨日、榊さんも、黒い霧に襲われましたね。その時、悪霊に取り憑かれたそうです」
美子はため息をついて、話を続けた。
「今日は酒田さんもアパートが見たいというので、四人で向かいました。
しかし、野口さんは狙われると言うので、アパートには近づかない予定でした。
坂の途中で私たちを降ろし、野口さんはUターンしたのです。しかし、遅すぎたようです。
私たちには見えませんでしたが、酒田さんは、助手席に座る弘子の霊を見たそうです。
急いで止まるよう叫びましたが、野口さんには聞こえませんでした。
そしてそのまま、トラックに衝突したのです」
その時、ドアがノックされた。絶妙なタイミングで榊は一瞬驚いたが、
直ぐに気を取り直し部屋のロックを外した。
「事故の詳細です」
警官は持ってきた書類を渡すと、黙って部屋を出て行った。榊は書類を見て驚いた。
上半身をなくした野口の足は、救急車が到着したときもまだ動いていたそうだ。
通報から到着まで、その間十五分。信じられなかった。
その事実もさることながら、昨日まで話をしていた野口刑事が、ここまで、
無残な死に方をするとは、想像も出来なかった。
榊が書類から目を上げたとき、酒田は意識を取り戻し立ち上がっていた。
いつの間にか美子は里美に寄り添い、二人は長椅子で眠りについていた。
しかし、酒田の様子がおかしい。
歩いてもいないのに、なぜか近づいてくるように見えるのだ。
いや、近づいていた。その上、顔も酒田の顔ではなくなっていたのだ。
その顔は夜叉そのものだった。榊は叫んだ。声も張り裂けんばかりに叫んだのだ。
しかし、里美も美子も起きようともしなかった。慌てて振り向きドアを開けようとしたが、
しっかりとロックがかかり、びくともしなかった。夜叉は空中を滑るように榊に近づいた。
思わず榊は銃を発砲した。しかし榊の発砲した銃弾は、夜叉を通り抜け、
古びた壁に穴を開けるだけだった。続けて三発発砲したが、無駄だった。
しかし、それが幸をそうした。
警官が数人なだれ込んできたのだ。銃声に驚いたらしい。
しかし、警官たちが目にしたものは、更なる驚きを与えたようだ。
逃げ惑う警官と一緒に、榊も部屋から飛び出した。
夜叉は必要に榊を追い続けた。二人の警官が夜叉の前に飛び出した。
拳銃を構え夜叉に狙いを定めた。
「止まれ!止まらないと撃つぞ!」
「無駄だ!逃げろ!」
榊は叫んだ。しかし、二人の警官は発砲を始めた。確かに、銃弾は夜叉に命中した。
ところが銃弾は夜叉の身体を無情にすり抜けるだけだった。夜叉は二人を睨んだ。
二人は銃弾を撃ち尽くし、呆然と夜叉を見上げた。
おもむろに夜叉の手が伸び、警官の胸をえぐった。
胸に沈んだ腕に、一瞬力が入ると、警官は白目をむきその場で倒れ息絶えた。
もう一人は慌てて逃げ出そうとしたが、時既に遅かった、背中から沈み込んだ腕に、
同じように力が加わった途端、もう一人の警官もその場で息絶えた。
署内は完全にパニックに陥っていた。夜叉はどんどん榊を追い詰めたが、
皆は怖がり誰一人助けようとしなかった。実際に助けようがないのだ。
銃も効かない宙に浮く鬼に、非力な人間などなす術もないのだ。
壁際に追い詰められた榊に夜叉の手が伸びた。
その時、夜叉の背後で女の声が響いた。
「弘子、やめて」
美子の声が夜叉の動きを止めたのだ。振り向く夜叉の顔が、急に綺麗な顔へと変わり、
その目は悲しそうに美子を見つめた。
「お願い。弘子。もう止めて」
美子の頬を大粒の涙が流れた。
次の瞬間、夜叉の顔は酒田の顔に戻り、宙に浮く体が床に崩れ落ちた。
美子は泣いていた。その場に力なく座り込みただ泣き続けた。
警官も誰もその場から動けずに、時間だけが無情に過ぎていった。




