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夏の日の、日常

 目を覚ますと、夏にしてはやけに冷たい自室の床の上で俺は仰向けになって寝転んでいた。周囲に配置された二つの目覚まし時計と携帯端末一台からは異なった音がそれぞれ発せられ、キンキンと響くけたたましい音が三重奏となって鼓膜を振るわせてくる。

 時計はどれも8時を示していた。開け放たれた窓の外では、幾重にも折り重なった蝉たちの鳴き声が、まるでこの部屋に集中砲火を浴びせかけているかのように響いている。どうやら昨日はあのまま眠ってしまったらしい。上体を起こし、周囲の床をまじまじと見回してみる。そこには昨日見たような意味不明な文字もなければ、目を侵すほどの眩い光源もなかった。おそらく昨日のアレも夢だったのだろう。若干肝を冷やしたが、そうと分かると少し気が晴れた。

 そのまま立ち上がり、本棚の上、勉強机の上にそれぞれ置いてある、依然やかましい音を鳴り響かせている目覚まし時計を止め、最後に枕元に置いてある携帯を手に取ってアラーム機能をオフにする。自分はどうにも昔から時間通りに起きるのが苦手なので、こうして何個も目覚まし時計を置いている。一個ずつ止めて歩き回ってたら眠気も息を潜めるだろうという魂胆からだった。ちなみに今は夏休みだが、起きる時間だけは毎日きちんと守っている。ついでに通知がないか確認してみるが、生憎なんの通知もなかった。まあ、まだ朝の8時だし、特に何もないのは当然だった。まあ、夏休みだし。

 俺は気を取り直してシャワーでも浴びることにした。冷水でも浴びてさっぱりしよう。季節は夏。夏の暑さで火照った体に冷水はよく効く。善は急げとばかりに洗面所兼脱衣所へ駆け込み、カギを掛けて衣服を脱ごうとした時に俺はある違和感に気付く。

 服を着ている。昨日の夜、パンツ一丁のままで寝てしまったはずだ。束の間の逡巡を経て我に帰り、心臓が早鐘を打っているのを感じながら、洗面台に付いている少し大きい鏡に目を移す。

 俺は思わず絶句した。


「は?」


 眼前に広がる光景に思わず唖然とする。 

なんとそこには、髪がボサボサでムキムキの、全身を一風も二風も変わった鎧らしきもので身を包んだ、ちょっとカッコい……、じゃなくて痛々しい風貌をした男がいたのである。上半身、下半身はともにぴっちりとした、しかし、何とも丈夫そうな布地で覆われており、所々に鎧のような金属があてがわれている。ちゃんと身に纏っているという認識はあるのだが、まるで素っ裸でいるような心地がして清々しい気分だ。断っておくが、常日頃から素っ裸を謳歌しているわけではないので悪しからず。鎧の部分には特別な意匠が施されているようで、素人目に見てもその価値の高さが分かってしまう。しかし、取り分け異様なのは腕部で、まるでそこだけが図られたかのように露出していて………


 「え、何、これ......ええ!?ええ!!?」


 口をパクパクしながら鎧を外して鏡を凝視する。鏡に映る俺は幾度となく死地を潜り抜けたであろう壮年の武芸者から滲み出るはずのソレを湛えている。つまり、かなり強そうだ。見事な肉体を備えている自分の姿を見て俺は目眩を覚える。しかし、特筆すべき点はまだある。既に治ってはいるようだが、服の下の肌には胸に、腹に、背中に、足に、腕を除いた体中のあちこちに血の気が引く程の傷が刻まれていたのである。どのような傷かは分からないが、数え上げてもキリがない。僕は慌ててパンツの中を覗いた。よかった。ちゃんとついている。これほどの傷だ。大事なところにも傷が及んでいるのではと少し心配になったがどうやら杞憂だったようだ。

 いつだ? 一体いつ、これほどの傷を? 今までにこれほどの傷を負う程の状況に身を投じたことがあったか? いや、ないないない。


「ちょっと、どうかしたの!?」


 俺の悲鳴が聞こえていたのだろうか。脱衣所の扉を母さんがドンドンと叩いている。磨りガラス越しからでも心配そうな顔が見て取れた。俺はなんとか平静を装って応える。


「せっけんが目に入っただけだから!」


 我ながら苦しい言い訳ではあったが、やはり母さんはやや腑に落ちない様子で、ちゃんと洗い流しておきなさいよ、と言ってリビングに戻っていった。

 危なかった。これは黙っていよう。こんなものを見たら卒倒してしまいかねない。俺は恐る恐る自分の体に刻まれた傷を指でなぞってみる。これほどの傷ではあるが身体機能が損なわれているといったようなことは特にない。おそらく私生活には支障はないだろう。幸い顔には目立った外傷はないのでなんとか誤魔化せるはずだ。俺はほっと息をついて額に滲む汗を拭う。しかし、矢継ぎ早に生じる疑問の数々は拭い切れずにいた。



◇◇◇



 俺は件のコスプレじみた装備をベッドの上に放り捨てて素早く着替えを済ませ、髪の毛は依然としてボサボサのままであるが、今は母さんと一緒に朝ご飯を食べている。目の前の母さんは椅子に腰を下ろし、時々こちらを訝しげに一瞥しながら黙々と白飯を咀嚼している。正直、気が気じゃない。

 やがて、意を決したように母さんは口を開いた。


「で、おーちゃん、本当は何があったの?」


「なんでもないってば。あと、そのおーちゃんっていうのそろそろやめて欲しい」


 できれば本名の央真おうまで呼んでほしい。この年にもなってくると、ちゃん付けで呼ばれるのも少々キツくなってくるというものだ。


「まあ、とりあえずそういうことにしとくわね」


「......ん」


 返す言葉が見つからないので、取り敢えず生返事を返しておく。再び場を静寂が包み、なんとも居たたまれない空気が漂う。

 ベキョッ

 その時、手に持っていた箸がいとも容易くへし折れた。あれ、おかしいな。それほど力は入れていない筈なのに。一方の母さんはというと、ますます心配そうな面持ちを浮かべている。

 まずいな、息が詰まりそうだ。適当に話題を変えないと。


「そういえば父さんは?」


 俺の問いに、母さんは渡りに船といった顔をしながら乗ってきた。分かりやすいな、この人。


「真さんはまだ帰ってこないわ。もう少し掛かるそうよ」


「そっか」


 父さんはサラリーマンで、取引先との商談を上手く纏めるのに引っ張りだこらしい。国内外を問わず何かと出張が多いので、家に居ないことがしばしばある。まあ、仕方ないか。そのおかげで今日も飯が美味いわけだしな。あとすごくマッチョである。


 その後、俺は母さんと二言三言やり取りしながら、ようやく目の前のお膳にある食事を全て胃に収めた。

 なんだか今日は変だ。おかしなことにこうも立て続けに起こられると、どうも調子が狂う。今日は部屋で大人しくしていよう。


「ごちそうさま」


「もういいの? おかわりは?」


「いらない」


「じゃあついでに新聞取ってきておいて」


「分かった」


 俺は席を立ち上がり、洗い場に持っていこうと、皿に手をかける。


「ちょっと待って」


 ちょうどその時、母さんが俺を呼び止めた。母さんの方を見る。母さんは俺の頭からつま先までを満遍なく見ている。


「なんか逞しくなった?もしかして、筋トレとかしてたりするの?背も伸びてるような。あと、その髪はどうしたの?」


「いや、してないよ。髪の毛は寝癖かな」


「ほんと?真さんの遺伝かしら。でもこれはあまりに......」


「......もう、行っていい?」


 これ以上何かを指摘されるのが怖くなってきたので逃げるようにリビングを出た。

今着ているシャツは少々キツいかもしれない。もともと大きめのシャツだっただけに、やけにピッチリとしている今の着心地は違和感しか感じない。もしかしたら夏休みの間に急成長したのかもしれない。一応まだ高2だからな。それに今は夏休みだ。よく食べてよく寝ればさもありなんである。もっとも、最近食べているのはポテチやジュースといった到底身体に益はないであろうジャンクフードばかりだ。母さんはこういったものをあまり買ってくれないので自分の小遣いで買わざるをえない。おかげでサイフの中はスッカラカンだ。お小遣いもすぐに溶けてしまう。

 それにしても、なんだか体中を活力が駆け巡っているような気がする。神経はピンと張りつめている気もするが、心はいつになく落ち着いている。自分の身に何が起こっているのか甚だ疑問ではあるが、取りあえず今は新聞でも取りに行こう。


 玄関に向かい、扉を開ける。ポストに入っている新聞と何枚かのチラシを取り出しながら、俺はその隣にある表札に目を向けた。鈴木、と書かれている。年季が入っているのか、字が掠れてしまっていて鈴オと読めなくもない。いい加減買い替えればいいのに。そんなことを考えながら、俺は家の中に入って玄関の扉を勢い良く閉めた。

 バギンッ

 その拍子に小気味の良い音が高らかに家中に響いた。


「なんだ?」


 何かが右手の中にある。これはなんだろう。不思議に思い自分の手に握られているものに目を移す。

 手の中には、扉に付いていた筈のL字のドアノブが握られていた。


「......」


 うわああああああああああああ!!!!

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