人間界
そこは都会だった。
学校、病院、洋服店と街には建物が立ち並んでいる。若者は皆、個性的な服に身を包んでいた。
「すげー」
「都会ね......まずいわ」
すると、洋服店の店員の中年女性がこちらに近づいて来た。
「あらあら、そこのお二人さん。そんな格好で、こっちの方がよくお似合いですわよ?」
そう言って、店員は 《 I fool 》と書かれたTシャツをカゲンに合わせた。
「いえ、いいわ。私達、急いでいるの」
「あーら、そうかえ?」
そう言うと、店員は洋服店に戻って行った。
「おばさん。それ、いくらするの?」
洋服店に若い二十歳前後の男性が訪れた。
「今日だけ特別、2000円だよ」
二人は、店員から免れたところで我に返る。
「カゲン、冷静にね」
ジュノはカゲンの耳元に口元を近づけて言った。
「ここでストーンを預ける人間を探すのは危険だわ。私達が神とばれれば、騒ぎになりかねない。あなたはあの学校へ、私は病院へ行くわ」
「あぁ」
「それから、ストーンを預けたら直ぐに元の世界へ戻りましょう。ここはアムールとは打って変わった世界、油断は禁物よ。分かっているでしょうけど、人間は神の力に慣れていないわ。必要以上に力は使わないことね」
彼は、人があまり通らない場所を探し続け、このつまらない公園にたどり着いた。
全体は楕円形。ブランコが4つ並んでいる。
その隣にあるのは......誰も処理をしようとしない犬の尿がかかったのり馬だった。
......それは人気が少ない訳もわかる。
「理子、いっしょに帰ろうよ。
だってほら、家も近いしさ」
「......ほっといて」
「わ、分かったわよ」
その後、彼女はなに食わぬ顔で歩き続けていた。
「............いつもそうなのか?」
彼女は背後に振り向いた。
白い肌に艶やかな金髪、切れ長の瞳。こんな美男がこの当たりにいれば直ぐに気が付くものだが......。
妙に、薄気味悪く感じた。
「あなた、誰ですか?」
彼は一瞬にして姿を消した。
「......え、うそ」
思わず目を丸くした。
「エンデュだ」
突然近くから声が掛かり驚きながら振り向くと、さっきの男の人だった。
まるで、瞬間移動のようだ。
「あなた......何者なんですか?」
「......いい質問だ。何者と言われれば、人間ではない。......驚かせてすまなかった」
「人間じゃ、ないって............」
「信じられないのか?」
「当たり前じゃないですか。......って言うか、人間じゃないなら一体何者なのよ」
「知りたければ、頼みを聞いてはくれないか?」
「分かった、いいわ」
「一つ言っておくが、これは他の人間には絶対に知られてはならない事だ。............それを約束しろ」
彼女は黙って2、3回頷いた。
「俺は、思いやりと無を操る力を持った神だ。だが、このままでは俺は神ではなくなってしまうだろう。その為には、君のような心を持った人間の力が必要なんだ。だからこの世界に来た。
......たった今、君は俺の頼みを聞く約束をしてくれたお陰で助かったよ」
「え?ちょっと待ってよ。別に私は......」
「君は頼みを聞けと言ったらいいと言った。......決まりだ。」
「わ、分かりましたよ......」
「では、理子。......ここよりもっと人が寄り付かず、安心して過ごせる場所に案内してくれないか?。これから君に頼むことは、他の人間にばれてはならない」
「じゃ、じゃあ。家来ますか?」
「......いいだろう」
とりあえず、都忘れ学校の玄関に入ると玄関の板の上でずっとうつ向いて座っている暗い雰囲気の男子生徒がいた。
玄関の先の廊下に出ると彼は足を止めた。
「そこで何をやってるんだ?」
「......座ってるだけだよ」
そう言いながら彼は、カゲンの方に顔を向
けた。
カゲンは踵を返して彼の方を振り向いた。
男子生徒は、イケメンとは言い難いが整った顔立ちをしていた。
ゆっくり彼の隣に同じように座る。
「............って、そんなことは見たらわか
るだろ。 ただ、悩んでる様に見えたから」
「俺のことより、自分の心配した方がいいよ? お兄さん、強そうなのに何かが欠けてる。元気がないしね」
嫌味のような言い方で言った。
「何?!」
彼はつい、カッとなった。
「見ればわかるよ」
それを言われると、すっと力が抜けた。
そして、ため息をつく。
「やっぱり俺は、本当に力が......」
「力って?」
「お前には関係ないことだ」
そう言うと鼻を触った。
「......嘘ついてるだろ。俺は心理学に詳しいんだ。そうやって鼻を触ってくれると嘘か本当かがすぐにわかる」
ずっと鼻を触っていた手にカゲンは言わ
れてからようやく気が付き、離した。
「何か用があって来たんだろ?」
............トントントン
2人の後ろ側の方から、足音が聞こえてき
た。
「 黒川 隼人! こんな所にいたのね」
二人は後ろに振り向いた。
「......やばい、佐藤先生だ」
「なら、行けばいいだろ」
「早くしなさい!!」
佐藤先生は、こちらへ勢いよく歩いて来る。
カゲンは隼人に接近して彼の耳元でつぶや
いた。
「いいか? 隼人。 昼休みになったら屋上で
話の続きをしよう」
先生は 抵抗する直人の腕をつかみ連れてい
こうとしている。
「わ、分かった」
隼人は先生に腕を掴まれた状態で教室へと向かって行った。
相変わらず、轟音過ぎるチャイムの音は、鳴り響いた。
この度、隼人は耳を塞ぎ込む。いい加減にしてくれと、胸の中で呟き、歴史の教科書を使い古した雑巾のように薄汚い机の中にしまい込んだ。
教室で浮いている隼人は友達が少ない。
お陰で直ぐに屋上へ行けると思っていたのだが......。
「ねぇ、隼人君っだっけ?」
振り向くと、それはくるみだった。
別に美人ではないが悪い子ではない。
「だっけ......って」
「あ、ごめんね。今日、私他に食べる人いないから一緒にどう?」
要するに、俺は昼食を食べる人がいない時の最終手段って訳かよ......ふと、そう思う。
「............あ、あぁ」
二人は、食べながら会話をする。
いや、くるみがペラペラ喋っているだけだ。
「......でねでね、美代子がさぁ」
「............ごめん、くるみ。もう行かなくちゃ」
そう言うとすぐさま片付け始めた。
「えー......」
人間界の屋上の景色はいい物だ。気持ちがいい。
それにしても、人間界を屋上から見渡す景色は、アムール城のてっぺんから見渡す景色とはまるで違うのだろう。
もちろん、彼が城から見える外の景色を見た事がある訳ではない。そんなにもお偉い身分の者ではないからだ。
だけれど、心してそう思うのだ。
何故なら、この景色、緑の一色も感じやしない。人の手で、人の勝手な都合で作り上げられた、世界なのだから。時々、草木がぽつぽつ、見られると言ったところだろう。
だから、自然の力を持つ神々が精一杯に力を尽くし、頑張っている。それでも、これだ。
どうやら、人間には、呆れるほどに、自分勝手な者がいるらしい。
すると、誰かの足音が背後から聞こえて来た。
スタスタスタ。
振り向けば、そこに、隼人の姿があった。
食いしばった表情で、額には、たらりと汗を垂らしている。急いで来てくれたのだろう。
「ごめん、遅くなって」
二人は、この場所から、外の景色を見渡しながら、話す。
「で、話って?」
「信じないと思うから、見せるよ……だが、驚くなよ」
そう言い残し、カゲンは、屋上の中央へ立たずんだ。
すると……
ボッ!
真っ赤な火の塊がメラメラと、彼の手の平の上に灯り出した。
ドサッ。
隼人は足を崩す。目を瞬き一つせず見開き、体はかちりと固まり、立ち上がる事を忘れていた。
何なんだ、一体、この人は……。
「こんなもんじゃないぜ?」
そう、さらりとカゲンは言うと、見る見ると手の平に灯った火は、大きくなっていく。
ふと、頭の中で、誰かに言われた言葉が過ぎった。
“必要以上に力は使わないことね”
しかし、我に返ったカゲンは、調子に乗り、どんどん火の塊は大きくなった。
ジュワジュワ……。
が……突然、火は燃え尽きた。
調子に乗り過ぎた俺に、天の神から罰が下ったのか、それとも、やはり力が弱まっているせいなのか。
いずれにせよ、もう、人間界で必要以上、力を使うことはしないとしよう。それが一番安全だ。
「カゲンって、何者?」
腰を落としたまま、隼人は言った。
「ふん、良くぞ聞いてくれたな」
上から目線の口調で、カゲンはそう言った。
「火と戦いの神だ」
隼人は、耳を疑った。
神……?
冗談、だよな。彼の頭の中は混乱している。
「ただ、お前に願いたい。このために来たんだよ」
そう言って、カゲンはレザーズボンのポッケから、一欠片の真っ赤なストーンを取り出した。
「願うって何を……」
それは、震えた口調だった。
「コレを、預かってくれ」
隼人は、カゲンの手の平にのった真っ赤な宝石の欠片の様なものを見つめた。
……意味が分からん。ただの石か何かだろう。一体、この人は何がしたいんだ。
「何なの?」
「神の力を宿す石。なんでも、ストーンが溶けると神は神でなくなる。そう、聞いた」
真っ直ぐな瞳をカゲンは向けた。
……だから、俺に何とかしろと……言っているのか?
隼人の顎はプルプル震えていた。
「じっとしていてくれよ」
そう言って、カゲンは腰を抜かして座り込む隼人に近づいた。隼人の心臓の音は恐ろしさでバクバクと跳ね上がる。
……この人は、一体、何を?
彼は、隼人の胸元にストーンを押し当てる。すると、ストーンは熱を帯びながら彼の中に溶け込んでゆく。
……ジワー。
それは、何かを焼く時の様な音と似ている。
彼の胸は焼けるように熱くなっていた。そして、真っ赤なストーンは彼の中へと消える。
「ストーンは今、お前の心の中に宿っている」
そう言い残すと、カゲンは踵を返して屋上から出て行った。
隼人は、おもむろに立ち上がると、呆然とした表情を浮かべ、立ち尽くす。
「......俺、保健室行った方がいいかな。ついに精神病になったか..................」
普通の総合病院の中をジュノは見渡しながら歩いていた。
「翔に話したんだろ? ......俺も翔に顔を出して来るよ」
「今はやめておいた方が......」
「わかってはいるが......これから仕事が忙
しくなるんだ。今のうちに会っておきた
い」
病室の扉が開く音がして彼は振り向いた。
「............翔............父さんは仕事でしばら
く逢えなくなるかもしれない。
......だから、言っておくよ?
お前は、俺にとって自慢の息子だ。
こんなに優しくていい子を持ったことはす
ごく幸せだと思っている。
......だから、病気に負けるな!
打ち勝ってくれ! ..................頼む............頼む......翔」
涙声で息子に言った。
「父さん......出ていって」
「......翔............」
今にも枯れそうな悲しい涙声だった。
「............一人にさせてくれ」
乾ききった口を開き、その一言だけを彼は言った。
横山 翔 と書かれた病室の前から出てくる男性とすれ違って少しだけ目が合った。
ジュノは、妙にその病室が気になり扉を開いた。その先に、いたのは中学生くらいの少年だった。
............青ざめた表情。
こちらに気がついた少年は振り向いた。
「......っ」
さっきまでの表情が嘘のようだ。彼は顔を赤くしてジュノの体をじっと見つめていた。
「......何をそんなに見つめているの?」
「いや......」
少年は目を逸らす。
「いいのよ? 見たいなら。....................................なんちゃって」
小悪魔っぽく微笑んだ。
「だ、誰......なの?」
「ジュノよ」
「な、何の用事ですか?」
「私、困っているの......頼み事をしてもいいかしら?」
翔はただ黙ってジュノを見つめている。
「預かってもらいたい物があるの」
ジュノは胸元にしまい込んでいたひと欠片のストーンを取り出した。
「......これよ」
「何それ......ただの、ただの、ガラクタじゃないか」
「それじゃあ。この、ただのガラクタを少しの間預けさせてもらうから」
「何故、こんなものを?」
「……いいから、横になりなさい」
その方が都合がいい。
睡眠薬ならすでに、目に指した。それは、目薬の様に目に指すタイプのものであり、この睡眠薬をさせば、たちまち、この目に目を合わせたターゲットは横になれば直ぐに眠りにつく。
しかし、そう上手くいくものではない。彼は戸惑っている。
「……ほら……早く」
彼女は翔の胸元に軽く手をあてて、呟いた。
翔は、彼女のおもむろな瞳を見ると、ようやく、ゆっくりと横になった。
ジュノはベッドに手を付けると翔の顔
に顔を接近させた。
「............私の目を見なさい」
彼は、ジュノの目を見詰めた。
赤紫色に変色した彼女の目は、昔、よく絵本で読んだ暗森の吸血鬼さんによく似ている気がする。
......やがて、彼は眠りについた。
直ぐ様、ストーンを彼の胸元に押し当てた。
その時、廊下から、誰かがこちらへ向かって来る足音が聞えて来て、ジュノは振り向いた。
スタスタスタ。
焦りから、彼女の額からは、ひんやりとした汗を足らりと流れる。
ジワー……。
じんわり焼けるような音が立つ。
早く…しないと。
紫色のストーンはやがて、彼の胸の中へ溶け込んでいき、消えていった。
ジュノは、ふうっと息をついた。
廊下の方から聞こえる足音は、先程よりもかなり近づいている。
「……行かないと」
焦った表情を浮かばせると、彼女は踵を返した。
理子の家は普通の一軒家だった。
「エンデュ......ってもしかしてギリシ
ア神話に出てくるエンデュミオンだったり
する?」
「さぁな」
ここ最近の彼らしい、冷たい口調だっ
た。
「もしそうなら......」
そう言うと、彼女は本を取り出してきた。
「この本の通りに、月の女神 セレネに愛さ
れていて、不老不死になったってお話は本
当なの?」
「..................セレネ」
聞いたことがある様な......無いような名前だ。
だが、突然あやふやに記憶が甦って来た..................。
..................金髪のピュアな雰囲気の女性。
美しい草原で素敵な笑顔をこちらに向けている。
その場所には見覚えがある......。
部屋に飾られていたあの草原で自分と
一緒に写っていた女性だ。
..................だが、
思い出したのは、それまでだった。
「エンデュ?」
理子は、顔色をうかがった。
「あぁ......神話は ......ただの、作り話
だ」
「やっぱりそうなんだ......」
「......理子。一つ君に聞きたい。本当に頼みを聞く気があるのか、無いのか」
「あ、あるわよ」
「......ならいい」
すると、ひと欠片になってしまったストーンを理子に見せた。
「これを預かって欲しい。......君の心の中で」
「え? ......それって、どういう事ですか?」
「神の力を宿す石を元に戻すには、神の力と人間の心を結びつけるしか手が無いそうだ。......その為に、君にこれを頼みたい」
「............え」
「嫌か?」
「ち、違いますよ。ただ......」
「......なんだ?」
「どうやって、心の中に?」
「......簡単なことだ。胸元から入れるか口から入れるか。君はどちらがいい?」
「............む、胸元って。............嫌、絶対に嫌です」
理子は顔を赤くした。
「なら、決まりだな。ただ飲みこめばいいだけだ。......簡単だろう?」
「え。これを、飲み込むんですか?」
「理子、俺に手間をかかせないでくれ。ただ飲み込めばそれでいい」
すると、ドアが開く音がした。
それは里親の美香だった。
「理子、いつまで友達といる気なの?もう遅いわ。帰らせなさい」
「う............うん」
美香はそれを言うと部屋を出て行った。
「ごめんね」
「......謝るな。しかし、君が俺に手間をかかせた事でこうなってしまった」
「ほ、本当に、ごめんなさい」
「だから......謝るな。後日に会いに行く。............いいな?」
「うん......」
するとエンデュは立ち上がり、出て行く。
「......待って」
理子はエンデュのほうへ駆けつけた。
エンデュは、冷静に顔色ひとつ変えず
凛とした表情で理子に振り返る。
「途中まで、送って行きたいの」
「......いや、大丈夫だ」
それは、冷たい口調だった。
そして、そのまま彼は立ち去って
行った......。