最後の日
「よ! 明日、試合なんだって?」
彼の背を叩き、そう言ったのは和田 朝陽だった。
相変わらずにボロボロの服を彼は身に纏っていた。Tシャツにはよく目立つ穴が空いている。
まぁ、卒業後に彼がいい職につけられたらこんな暮らしはおさらば出来ることであろうと、隼人はふと思った。
「あぁ」
「俺、見に行くから」
そう言ってもう一度、隼人の背を叩くと部活の為、校内へと朝陽は向かって行った。
......そうして始まるのは
部員たちからの冷たい視線と、自分の陰口、悪口である。
いつものことでありながら、悩みに悩んでいるこの事実。
未だ、部活動を辞めずに最後までやりぬこうとする自分がいる事に自分で驚く。
しかし、そんな自分があるのは勿論......カゲンがいるからだろう。他には考えられない。
こんな、辛い学校生活だったが、隼人には一つだけ変わったことがあったのもまた、事実。
「なぁ、隼人」
力強く背をたたき、そう言ったのは古賀 涼太郎だ。
カゲンがあの時、隼人を救い、古賀を恐怖に陥らせてくれたかいがあり、古賀はその日、その次の日、深く反省をした。
そうして、ある日、反省をした古賀は隼人に態度は微妙だったが一応は謝ったのだ。
なんて、単純な人なのか......とその時、隼人は心してそう思った。
その内、二人にはどういう訳がいつの間にやら絆が生まれ、虐めっ子、虐められっ子は親友の中に変わっていったのである。
「明日の試合に備えてるぞ」
「そうだな」
そして、二人は拳と拳を長時間もぶつけ合った。
二人は、普段、会話をあまり交わさない代わり、ジェスチャーや、背を叩いたり、拳と拳をぶつけ合ったりしていた。
周囲の部員たちは、その二人を見ては呆れていた。
「おい、またやってるぞ」
「勘弁してくれよな......。古賀も終わったな」
「それ、言えてる」
そんな声が聞こえても、耐えることが出来るのが、隼人であり、気にしないのが、古賀なのだ。
サッカーの練習のひと休みしていた頃だった。
ふと、聞きなれたハスキーボイスが隼人の耳に届く。
「隼人」
振り向くと、その先に立ち尽くすのはカゲンだった。
隼人は、グラウンドから少し離れた場所にいるカゲンの元へと走り歩きで進んで行った。
そこへ着くと、カゲンは笑顔で待っていた事が一目で分かった。
「隼人。明日の試合は、悪いが......」
一息ついてから、再びカゲンは口を開く。
「行くことができない。ストーンが、完成したんだよ。隼人、お前のお陰でな」
「......良かったじゃん! あぁ、ちょっと、残念だけど......でも、見守ってはくれるんだっけ?」
笑い混じりに隼人は言う。しかし、同時に涙を隠す様に笑っている様にも見えた。
「当たり前だろ。隼人が頑張る姿も恥ずかしい姿も全部しっかりと見ておくよ」
「それは、こ、困るよ」
隼人は、戸惑って言う。
「だから、遠慮するなよ。じゃあ、これよりストーンを返してもらうよ。いいな?」
隼人は、黙ってただ、深く頷いた。
「目は瞑っておけ」
そう言われるがまま、彼は目を瞑る。
すると、カゲンは大きく男らしい右手を隼人の胸元に伸ばす。
胸の奥深くまで、右腕は入り込んでいった。
そして......ストーンをつかみとった。
カゲンは、ゆっくりと右腕を隼人の胸元から抜き取っていった。
ふと、それは何時までたつのだろうと思った隼人は、ゆっくりと目を開いた。
目の前の光景に......彼は、思わず息を飲み込んだ。
誰もいなかった。
目の前にあるのは、校庭に植えられたまだ若々しい木々と、その少し先にある、アスファルトのみ。
目を疑ったが、直ぐに彼は我に返る。
「夢......か。夢だよな。どうかしていたよ。......本当に」
そう一言、口にすると彼は背後を振り向いた。
そこには、明日のサッカーの試合に向けて懸命に練習を続ける部員たちの姿と、鬼のような顔付きで、指導する教師。
それから......
「おい! 早く来いよ」
と、古賀 涼太郎。
彼は、隼人の姿に気ずつなり、笑顔でそう言った。
「あぁ!」
そして、隼人はその声に答え、グラウンドの方へと足を運んで行った......。
まるで、何事もなかったかのように。
............ピッピッピッピッ
翔の顔は真っ青で、窶れていた。
彼の、弱々しくなった身体は起き上がらる事さえ出来なくなっていた。
病室のドアの開く音が聞こえて、翔は首を傾けた。
「翔。あのね、ストーンが戻ったの......だから」
「も......う。さよなら......なんだ......ね」
掠れた声で、翔は言った。
「そう、そうよ」
ジュノは、そう言うと翔が横たわる病室のベッドに近づいた。
「返してもらうだけだから、いいわね?」
翔は、ゆっくりと頷く。
「......目を瞑って」
静かな声で、ジュノはそう呼び掛けた。
そうすると、翔は目を瞑った。
ジュノは、左手を彼の胸元に向けて伸ばす。
そのまま、胸の奥深くまで腕を入り込ませると......そこにストーンはあった。
そして、慎重にジュノは腕を抜いていく......。
彼女は、翔の体からストーンを抜き取ると、彼に言った。
「これまでも、これからも、ずっと......友達よ」
そうして......病院を出ようと踵を返そうとした時だった。
背後から......何者かが彼女の体をがっちりと掴み、ジュノは身動きが取れなくなった。
「離して」
ジュノは、そう抵抗するも、何者かは麻酔薬の入った注射器を素早く取り出すと、彼女の二の腕に打った。
「......何をっ」
必死に何とか逃れようと、その何者かの足を踏みつけたりしていた足は、段々と力弱くなってゆく......。
やがて、視界はボヤけていき、意識は遠のいていった......。
ただ、一つ、聞こえたのは。
「............ジュ......ジュノ」
翔が、決死の思いで力を振り絞り、枯れた小さな声を必死に出したその声だった。
......彼女の意識は段々と、取り戻していった。
そうして、重たく感じる、その瞼をゆっくりと開ける。
すると、段々とボヤけていた視界ははっきりと見えていった......。
そして、目の前に広がる光景、今ある自分の状態に気がついた彼女は......驚きを隠すことができなかった。
自分の手足、胴体は、壁に取り付けられた手錠、足かせ、胴体にもしっかりと嵌る頑丈な鉄にしっかりと嵌っていた。
周囲を見渡しても、鉄、鉄、鉄。
ここは、何処もかしこも鉄で出来ている建物だった。
恐らく、ここは数百年前に尊の国出身のアラハバキと言う名の変人と呼ばれた鉄の神が一人、孤独に住み着いていたあの家であろう。
アラハバキの死後、誰も居なくなったこの建物は廃墟となったのだ。
......こんな所に、なぜ私が?
と、言いたい所である。
そして、目の前に居るのは、ナキアと......もう一人はヘリオスだった。
彼女の口は重たくなり、言葉が出ない。
「お目覚めかい? ......ようやく目を覚ましたようだね」
ナキアは、そう言うと、にやりと気味悪く笑った。
「一体何がしたいの? ......ナキア、とりあえず、このゴツゴツした鉄を外して頂戴」
きりっとした表情で、ジュノは言いながらナキアとヘリオスを睨みつけた。
「いや、それは事がすんでからの話さ」
そう言うと、ナキアは鉄に嵌められたジュノに接近した。
そして、口を再び開く。
「俺達は......昔、ある目的の為に付き合っていた。だが、呆気なく君はオーディンのお陰でその事を、その他の事も......忘れた」
「一体、何のこと?」
意味のわからぬその発言に、ジュノは鳥肌を立たせる。
「覚えてなくても当然だろう。オーディンに記憶を消されたんだ......」
ナキアは、ぶつぶつと呟いた。
そして、ナキアはヘリオスに視線を向けると言った。
「ヘリオス、君の仕事だよ」
それは、珍しく優しさを感じる口調であった。
自分の知らぬ間に二人の間、何が起きていたのか、疑問を感じ、ジュノは頭の中で首をひねらせた。
ヘリオスは、使いにくそうな鉄のゴツゴツとしたテーブルの上に置かれた、透明だが微かに深い緑色のした液体の入る、小さな細い瓶を手に取った。
長年、黒い巣•ナイト通りを訪ねて回っているジュノだが、そのような薬は見た事がない。
すると、ヘリオスはジュノに接近をした。
ヘリオスの表情は何だか、もの悲しげだった。そのような彼の表情を見た事があっただろうか......?
「それを飲込めば、何もかもが分かるよ」
そう言って、にやり、ナキアは笑う。
ヘリオスは無言で、ジュノの口を強引に開けると、その正体のしれぬ液体を全て、彼女の口の中に入れ込んだ。
「飲み込め」
ナキアは、鉄のゴツゴツとしたテーブルに背中を付けると、無表情でそう言った。
ジュノは、そのまま......その液体を一気に飲み込んだ。
その瞬間......
彼女の瞳の奥底から、何かが蘇ってくる感覚をこの身で感じた。
それは......記憶だった。
頭の中で様々な感情、背景、人々が連鎖をする。
段々と......蘇ってくる、自分の過去。
それは............




