眼があった女の子-先生と分岐点-【仮】
いつだったか、なんとなく人混みの中を安らぎの場にしたいと思った事がある。
理由は忘れた。
そんな時、あるカフェの中で女の子と俺は偶然、眼を合わせた。
相手はその後眼を逸らしたけれど、
逸らされる直前まで俺はしっかりとその眼を見ていた。
何故しっかり見ていたのかと問われても、理由は特に無い。
――いや、無かった。
その子の眼はとても前を向いているような生き生きとした眼では無くて、
視界に入る騒がしい人間達や楽しげな雰囲気を、
唯の石ころとまでは言わないが、落ちているモノのように、はたまた風景と同じように。
冷静に、冷淡に見つめているような気がした。
そんな女の子に、俺は同じ匂いを感じた。
無論、近くに行って匂いを嗅いだ訳では無い。
けれど、何かが俺と似ているような、自分に近い気がして、
少しだけ俺はその女の子を知りたくなった。
何事も度胸というモノが必要だ。
少しだけ息を飲んで声をかけようと顔を上げて、
眼が合った女の子を探した。
きょろきょろ、きょろきょろ。
先程までいた女の子は、
立っている人間の中は居なくなっていた。
カウンターに座っているのかと思えば、そんなことは無くて。
複数人で座っているのかと思えば、それも違った。
もしかして、何処か別の場所に行ったのか、
はたまた、帰ってしまったのか。
内心、どういう訳か焦りを感じているんだ。
せっかく見つけた俺の安らぎが蜃気楼のように、
霞んで消えていく事になるのは耐え難いもので、
俺、どんどんと深く黒く染まっていく自分に気付かずに、
周囲の人間などどうでもいいと思ってジャケットの内側に入れている――を振り上げて――
――――ぼんやりとした視界と聴覚が少しずつ冴えていき、
おはよう。と聞こえた後さらに続けて低い男の話声が聴こえてきた。
「人間とは愚かな生き物である前にとても質の高い生き物である。
と同時に優秀な生き物であって、愚考を働く生き物である」
そう言った後で、彼は話をこう続けた。
「今しがた君が見たものは、
路が違えば、誰しも黒く染まり深く落ちる事が出来る。
そういう証明とまでは行かないが、結果に通ずるものだという事が分かったはずだね。
つまり先程見たのは、君に起こるかもしれなかった異常者へと覚醒するポイントの一つだということ」
こちらが聞いているかどうかを眼で確認した後、
低い声の男――先生はまた喋り出した。
「さて、自身が見れなかった、
辿れなかった路の先を見る事が出来て君はどう思っただろうか。
まあ、実際は発作的に出た自己的な感情塗りつぶされる事も無く、
眼が合った瞬間に会釈をして互いに離れようと思っていたけれど、
頼んでいたドリンクが双方とも同じで、
店員がトッピングを間違えて出したのがきっかけで話すようになり、
交友関係を深めていった後に偶然二人とも私の助手として働くようになっていったなんて、
正直、喜劇的、ドラマティックにも程があると思っていたのだがね。」
――先生はそういうと手を顎に添えてふむと零しながら口を開き話し続ける。
「あの事故以来、君が昏睡状態になったときにはどうしようかと思ったが、
今日の実験が成功してよかった。
コレで外を覆い尽くしている化け物どもをどう屠るか、
君の考えが訊けそうだ。」
――感覚の鈍い口で必死に開いてききたい事を告げようとする俺を、
先生は静かに手で制した後、呆れたように笑って言葉を紡いだ。
「ふふふふ、私を誰だと思っているのかね。
あの子はピンピンしているよ。
正直、あの子は当時の君をはるかに越えてしまっているくらいだよ」
俺は、身体を起こして先生に現在の人口を訊く。
驚きのあまり声が出ない。
先生が指差したモニターには俺が倒れた年から、現在までの人口の数値が映されていた。
「君が実験中に昏睡したのは四年前、
昏睡した君は知らないだろうが、実験は成功以上の成果を出して君の身体に馴染んだよ」
――パタパタと走ってくる音が聞こえる。
先生が含み笑いをしながら手を差し伸べて――
「さあ、世界を取り戻す準備をしようか」
【ギイイイイイ】
大きな音を出して扉が開く。
かなり急いだんだろうか、呼吸をするのが辛そうだ。
開いた扉の先には泣きだしそうな、
けれど懐かしい優しい笑顔が俺に向けられていた。