白銀道
猫はさっと外に出ようとする。
「待って」
僕はその背中を呼び止めた。
「良いモノがあるんだ」
僕は猫を連れて、2階への階段をトン、トンと上がって行く。階段を上がってすぐ目の前のドアを開ける。猫はこの部屋も賑やかですね、と言った。
窓辺の机の引き出しを探る。雑多に書類を詰め込んでいるため、なかなかお目当てが見つからない。
「ここじゃなかったかな…」
「何をお探しですか?」
「月の軌道図さ」
猫は聞くと、月の軌道図さんはいますか、と引き出しの中へ声を掛けた。猫の耳がピクッと動いた。
「ここじゃなくて、本棚だそうですよ」
どうやら、本当に猫はモノたちの声が聞こえるらしい。僕は猫の言う通り、本棚のガラス戸を開いた。
「月の軌道図、どこにいるんだい?」
今度は僕が尋ねた。でも声は聞こえない。
「2段目の『白銀道』という本の表紙に挟まっているそうです」
図面の代わりに猫が答えてくれた。
白い布地に、光沢のある銀糸で題名が書かれた背表紙へ指を掛け、表紙を開いた。
「あった」
僕はガッツポーズを取った。見覚えのある白茶けた四つ折りの紙が顔を出した。
「何です?」
猫は目を真ん丸にして見つめている。
「その名の通り、月の通り道を示す地図だよ」
猫は中身を見て、面食らっていた。
「なんと複雑な!」
そう、月は単純な惑星とは違い、イビツな楕円形の軌道を描いている。地球と太陽、両方の引力の影響を受けているためだ。
「こんな代物、よく手に入れましたね」
「2、3年前に、好奇心に負けて買ったんだ」
実際、結構な額だった。おかげでその時の彼女は去ってしまった。きっと僕との未来を心配したのだろう。無理もない。
「ただ、読み方はさっぱり分からないんだ」
「大丈夫。この軌道図が教えてくれます。」
そうだ。僕は力を取り戻して頷いた。
全く不思議な夜だよ。イヴってやつは。
「住所を知りたいんですって」
僕はここの住所を言おうとして、口をつぐんだ。
「君のご主人のお邸の住所を教えてあげて」
猫はまたまた驚いていた。
「いえ、ここから隣りのとなりの町ですよ」
「いいんだ。だって、月を大切な人に届けたいんでしょ。確実に渡さなきゃ」
猫はそこまで聞くと黙った。
「あなたって人は、本当に親切な方ですね。」
猫は稲穂町という、確かに隣りのとなりの町の住所を月の軌道図に伝えた。おまけに2丁目というから、町の中でも裕福なお家らしい。
猫は熱心に耳を傾けると、ははっと明るく笑った。
「なんて?」
「恥ずかしながら、お邸の真上に、今夜1時46分、丁度、月が通るそうです」
今まで苦労して探し回っていたんだから、拍子抜けだろう。
「でも、これで上手いこと捕まえてお渡しできそうです。本当に助かりました」
そうして2人でやっと部屋を出てゆこうとした時、猫はあっと言いました。
「月の軌道図さんが、やっとお役に立てて嬉しいって」
軌道図までにお礼を言われるなんて、今夜はやっぱり面白くなりそうだ。