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真夜中のお客

 クリスマスイブの夜。レンガ色の道はすっかり凍り切って、カチコチとさらに固くなっていた。寒々とした道は人通りも少なく、僕は夕方頃、とっくに店を閉めていた。特にイブという日は独りぼっちだと、えい、やめだ、と投げ出したくもなる。そうでしょ?


 そんな夜に、コンコンと、店の扉をたたく音がした。あんまりかすかな音だったので、最初は風の仕業かしら、と思った。しかし、今度ははっきり扉が音を立てた。

 コンコン。

 はて、こんな夜に誰なのか、訪ねて来る人の当てもなく、首を傾げた。 好奇心に負けて、扉をそっと開けた。僕は訪問者の姿を見、声を立てず、「あ」の口をしたまましばらく突っ立てしまった。黒く大きな瞳、ツンととがった耳、黄土色と焦げ茶の毛並み、、、。夜のお客は、とら猫だった。

さらに驚くことに、猫は2本足で立っていた。

「どうかほんの少しだけ、暖をとらせてください」

 気付くと僕は、猫を店の中に入れ、自宅側の暖炉の前まで招いていた。猫はすたすたと器用に歩いて来た。暖かい部屋のもやもやした空気は、やっぱり夢でも見ているような心地にさせた。

 作りおきのスープを温めるため、暖炉の上に鍋を置き、ちらりと訪問者の様子をうかがう。猫は暖炉の前で手を、いや前足を温めている。なんだか、、、

「君は猫なのかい?」

猫は、尋ねた僕をじっと見つめて言った。

「いいえ。わたしは人間でした」

僕はやっぱりという気持ちと、まさかという気持ちとが半分はんぶんだった。しばらく沈黙が続いた。やがてスープがぐつぐつと煮立ち始めたところで、我に返った。僕はゆるゆると立ち上がり、お玉で鍋を軽く混ぜる。トマトのとコンソメの香りが白湯気とともに漂う。器に盛って、小さな丸机の上に載せ、猫に勧めた。猫は礼儀正しく頭を提げ、スープの前の椅子に飛び乗った。

「猫のからだにも慣れて来てしまいました」

と言って、深い溜め息をついた。猫は舌でぺろっとスープをなめたが、あちっ、と身を縮めた。

「あ、ごめん。猫舌だったね」

猫はすいません、とまた頭を下げた。

 ぱちっ。

 暖炉の薪が再びはぜた。僕は鍋を暖炉から外した。


「猫になったのは、一昨日のことです」

スープを冷まそうとふーっと一息かけてから、猫はぽつりと話し始めた。

わたしのご主人はお邸に、長い間お一人で住んでいました。わたしは最近雇われたばかりですが、他の従者に聞いていました。

それが一昨日の晩、ご主人のもとに大切なお人が現れたのです。どうやらずーっと前の約束で、その日にいらっしゃったようでした。ご主人とそのお人は幸せそうで、邸の皆も喜んでいました。

そしてご主人は従者たちに言ったのです。

「わたしたちがここで再会できたのは、毎晩、同じ夜空の月を見上げてきたおかげなんだ。どうかこの水面に月を取って来てくれないか」

 そうしてご主人は、クリスタルのグラスを差し出すのでした。

 いつもの頼まれ事と違い、不思議なお使いに、みんな驚きました。しかし、わたしたちはご主人が大好きで、ご主人はそのお人が大好きで、はたまたそのお人は月が大好きなのですら、どうしても引き受けたい訳です。わたしたちは話し合いの末、一番若いわたしが月を捕まえに行くことになりました。月をグラスに浮かべることくらいなんてことない、とわたしはすぐに承諾したんです。それに、月を求めて夜の散歩するというのは、魅力的でしたから。

 わたしはクリスタルグラスを片手に外へ出ました。濃紺の空の下で、グラスは星々と標的の月の光を浴びて、透明に、時に虹色に輝いています。

 月は明々と光を放ち、まるで待ち構えているようでした。わたしは月に歩み寄りました。

 ところが、です。

 月は近づくと、離れていってしまうのです。わたしは焦りました。自分が動くと月も逃げるように遠ざかって行く。これは子供の頃から変わらないでしょう?ですが、捕まえようという今になってみて初めて、困ってしまいました。

 しばらく道を走った後、とうとう他人の家の屋根から屋根をつたって行きました。雪に濡れて黒く光る屋根をいくつも跳んで行きました。そうして夢中で月を追いかけているうちに、気付いたら猫になっていました。


猫は話し終えると、ふーっと息をついた。僕は再び冷めたであろうスープを勧めた。

走っていて虎になった小説は知っているけど、月を追って猫になるなんて。おまけに目の前の彼は、とら猫だった。ご主人の願いを誠実に叶えようとしたのに、気の毒でならない。


「それにしても」

しばらく皿をなめていた猫は首を傾げて言った。

「ここのお店はずいぶんと賑やかですね」

今度は僕が首を傾げた。どちらかといえば、うちの店は静かだ。まして、夜中だし。

「何か聞こえるの?」

「ええ、このグラスを手にしてからか、猫になってからか、古いモノの声が聞こえるんです」

「えっ」

 猫がどこからか出してきたグラスがきらり、とまぶしく光った。

思わず僕は周りを見回した。小さい戸棚、絨毯、飯碗、椅子、飾り時計にスプーン、、、僕の店のモノたちはいつも通り静かに佇んでいる。

「みんな、丁寧に手入れしていらっしゃる、あなたに感謝しているそうです」

 微笑む猫の顔は、ちょっと人間らしく見えた。


と、猫はさっと立ち上がって言った。

「わたしもあなたに感謝しています。おかげさまで暖まることができました。この御礼は必ず致します。ありがとうございます」

出掛けようとする猫の背中を、僕は呼び止めた。

「僕にも手伝いをさせてくれないかい?」

猫は驚きながら、丁重に断ろうとした。

「あなたを寒空の下に連れ出すなんて、申し訳ないです」

僕は首を振った。

「大丈夫。僕はもっと北国出身だから」

なおも猫は何か言おうとしたが、それを遮って言った。

「お礼は要らないから。その代わりに、ね」


猫は参りました、と言うように、目を伏せて頷いた。

「それでは、ご一緒によろしくお願いします」

それから、笑顔でこう付け加えた。

「あなたとなら月を捕まえられそうな気がします」

 僕らは固い握手をした。猫の目は暖炉の火が写り、クリスタルに負けないくらい、キラキラと輝いていた。

ずっと書いて来たノートによく登場する主人公が「僕」でした。とても短い話ばかりでしたが、猫こと星野君のおかげで、さらさらと書けました。冬のひとときにお楽しみ頂けたでしょうか。

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