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5話『ホワイトアウトラン』


 アッシュフォート守備隊が駐留するアッシュフォート・スプリングスは、一年の三分の一近くを霧で覆われる。

 なので霧という天候自体はさほど珍しくない。だが、時にその霧が途轍もなく濃く、季節関係なく霜が降る程気温が低下する日がある。


 寒い上に、視界ゼロ。ホワイトアウトと称される程に、数メートル先も見えない。


『今日は霧が濃すぎて寒いぜ! 家でストーブ焚いて大人しくしてるんだぞ。DJ MITSURUさんとの約束だからな!』

 朝食の時にいつも聞いているラジオDJですらそう言う始末である。

「よし、これで本部に行かない口実が出来た」

「この前のクマ騒動の支援金を取りに行く予定だったのに、これでは本部に行けませんわね」

 喜ぶアリスと落ち込むシャロンは、それぞれ代用コーヒーと紅茶を飲み干して、そのカップを置いた。

「まあ、私としては責任者がいなくなるのは困るのでありがたいと言えばありがたいですね……」

 そんな二人に最年長且つ二人に次ぐ階級のへーゼルがそう声をかける。

 隊長・副隊長の双方がいなくなると、必然的にへーゼルが指揮を執る事になるのだが、シャロンやアリスと比較するとどうにも上手く行かないのである。


 具体的に言うと、母性の方を優先しがちというか。

 それがへーゼルの良いところでもある、とアリスもシャロンも口を揃えているが。


「まあ、お互いに無いものを補い合うのが私達だもんね!」

「オリーブは色々欠けすぎです」

 オリーブがそう声をあげると、フィオナがそれに口を挟み、リタが「でもオリーブは射撃上手いよー」とオリーブを弁護し、テリーは我関せずとばかりに代用コーヒーを飲んでいた。いつもの守備隊の日常である。


 始業前の一息を七人が楽しんでいる時、通信室の通信機に受信がある事を示すアラームが鳴った。

「とりあえず全員ここにいる」

 アリスはそう告げてから通信室へと飛んで行き、そして五分後に青い顔で戻ってきた。

「シャロン、へーゼル。悪いニュース」

「あら、どうしたんですの?」

「こんな天気だけど、伝達事項その他もあるから来いだってさ……」

「私とアリスさんに?」

「うん」

 シャロンの前でアリスは露骨に嫌そうな顔をしながら頷く。

「視界悪いから運転面倒なんだよねぇ……」

「諦めて行くしか無いですわね」

 シャロンは肩を竦めると、へーゼルの方を向いた。

「と、いうことでお願いしますわね、へーゼルさん。大変でしょうけど」

「ええ……二人も事故には気をつけて下さいね」

 クラブサンド島にある島の軍本部は島の行政府と同じ場所にあるが、そこは車で北へ200キロ程北上した所だ。下手をすれば、三日間ぐらい空く事になる。

「トラブルってのは、気をつけてても起きるからねぇ」

 アリスは気乗りしない顔のまま隊長室へと歩き出し、シャロンはその背中を押す。

「フィオナ」

「はい」

「……へーゼルの補佐をきちんとしといて。他の皆もね。へーゼルが指揮を執るように。それだけは厳守」

「…了解」

 テリーが頷き、オリーブとリタも同様に首を縦に振る。


 二人が1/2トラックに乗って本部の方へと向かったのは、それから三十分もしない事だった。



 さて、隊長と副隊長の二人がいなくても、守備隊ではやる事は変わらない。

 霧で視界がゼロでも監視塔での監視はやらなければならないし、へーゼルの日課である掃除もしなければならない。

 オリーブが装備品の確認をするのも然りだ。


 だからその日も、当たり前のように終わる筈だった。


 フィオナは昼食前の確認を終えて、呼び出し放送がかかる前に食堂へとやってくる。まだへーゼルが準備中である。

「あら、フィオナさん。お昼ご飯はもうすぐですよ」

「へーゼルさん、もうすぐですよね。手伝います」

 厨房に入り、フィオナは手を消毒して隣りに立つ。

 かつては数百人を収容し、その腹を満たせる広さを持つ厨房だが、今は七人しかいないのでその一部しか使われていない。

 そしてへーゼルは、数百人いた時代を知っている。

「へーゼルさんは、ここに長くいるんですよね」

「ええ」

「大戦の頃から」

「ええ」

「……今のメンバーになるまで、どんな感じだったんでしょうか?」

 それはフィオナがずっと考えていた事だった。

 アッシュフォート守備隊はどこか軍人らしくない。まあ、実際、大戦の間でもここが最前線になった事はないし、大戦が終わった今は敵の襲撃なんてまずありえない。

 だから部隊の規模が縮小され続けるのも変ではない。

「まあ、大戦の間は、何百人もいましたね。私もその中で、訓練や雑務をしてました。ああ、今よりずっと訓練はしていましたね」

 そう笑いつつ、スープの鍋をかき回していく。

「メリッサさんが本土から鶏を買って来て鶏小屋を直すと言ってたので、一緒に牛乳を頼んだんです。シャロンさんには怒られちゃいましたけど」

「まあ、本物の牛乳は高いですからね……本土で買えるんですか、今?」

「内陸の方に育ててる人がいるみたいです」

 人口の激減は家畜の総数も大幅に減らしたが、もう戦争が終わったのもあってか、人々の間に乳製品を筆頭とする家畜の産物も出回るようになった。

「少しずつ、平和だった世界が戻ろうとしてるんですね」

「ええ。平和だった頃、私達はまだ生まれてないですけど。それどころか、私達のお父さんや、お母さんも」

 そう、父も。母も。

「……」

「そういえば、へーゼルさんって、なんで軍に」

「…………」

「へーゼルさん?」

 フィオナが心配そうに声をかけてから、へーゼルはようやく思考を現実へと引き戻した。

「え? ああ、まあ……色々ですよ」

 いつもより、力なく笑いかけて、へーゼルはそう誤魔化した。

 軍に入った事も。父と母の事も。

「ああ、もうすぐ出来ますね。そろそろ、皆を呼ばなきゃ」

 かき回していたコーンスープの鍋の火を止める。

 甘いいい香りが漂う。きっとこれは美味しいだろう。


 切られたバゲットと甘いコーンスープ、メインはマスの子の塩焼きで、セロリとブロッコリーとニンジンのサラダがつく。

 いつもより腕を振るったメニューである、とへーゼルは思う。


「放送をかけますから、フィオナさんは運んでおいて下さい」

「はい」

 厨房を出て、食堂に置いてあるマイクを手に取る。


『ぴんぽんぱんぽーん ぴんぽんぱんぽーん

 お待たせいたしました 昼ごはんの時間です

 今日はお魚のメニューです ちょっとした自信作です

 調理担当 へーゼル曹長からお伝えします

 昼ごはんの時間です 今日は美味しいですよ

 ぴんぽんぱんぽーん ぴんぽんぱんぽーん』


 そしてその日――――ありえない事が、起こってしまった。



「あれ?」

 放送から五分後にはオリーブとテリーがやってきた。

 だが、普段ならばこの頃にはくるリタがやってこない。

「リタさんは、なんでしたっけ?」

「監視塔での監視だから時間がかかるんじゃないかなー?」

 オリーブがそうのんびりと返答をした後、更に十分経過してもリタは来なかった。

「内線で連絡してみましょう」

 フィオナが内線電話を手に取り、監視塔のボタンを押す。

「リタ? もうお昼ご飯の時間よ? サボって昼寝してるんじゃ……リタ? リタ一等兵?」

「……でないんですか?」

「ええ…ノイズしか」

 フィオナが内線電話を置いたので、へーゼルはタメ息をつく。

「様子を見に行きましょうか。オリーブさんは食堂に待機していて下さい。フィオナさんとテリーさんは私と一緒に監視塔に行って見ましょう」

 へーゼルはそう指示を下した直後、内線電話の下にある戸棚を開けた。


 そこには一丁の拳銃があった。

 守備隊で制式採用されているP2000ではない。それよりも二回り近く大きい、45口径のMark23拳銃だ。


「へーゼルさん?」

「武器庫に武器を取りに行く暇が無いので」

 アッシュフォート守備隊では拳銃いえども、武器は武器庫に保管してある。実は通常時は護身用のハンドガンですら、所持していないのである。

 これは隊長のアリスの意向で、監視塔や持ち出し許可以外に武器を持ち出すのは厳禁扱いである。


 しかしへーゼルは弾倉をチェックして、中に45口径弾が12発詰まっているのを確認する。

「行きましょう」

「は、はい」

 フィオナとテリーはその後に続き、監視塔へと急ぐ。


 監視塔へと続く通路の途中に、リタは倒れていた。


「リタさん!」

 へーゼルは慌てて駆け寄る。外傷は無いか……とチェックする。

 銃創も無ければ出血も無い…リタを抱き上げた時に気付いた。


 熱い。

「リタさん、リタさん!?」

「……ぁぁ……みんな……」

「大丈夫ですか? 熱が酷いですね…すぐに医務室に運びます! テリーさん、これで周囲を警戒! フィオナさんは手を貸して!」

 へーゼルは手早く指示を出す。その間に手でリタの額に手を置くと、普段とは考えられないほど熱いことに気づいた。

 高熱だ。とにかく、解熱剤を飲まさなくては。


 医務室へと大急ぎで運ぶ。

「フィオナさん、そこの戸棚のどこかに解熱剤があるのですぐに出して! テリーさんは洗面器に水を! それとタオルの用意!」

 えーと、後、そうだ。氷だ。

 リタをベッドに寝かすと、リタが激しく呻いた。

「っぅ…あし……」

「足? 足を……」

 慌てて足を触ってみると、リタは更に呻いた。まさか、監視塔へと続く通路に倒れていたという事は。


 触ってみるが、折れてはいないようだが骨にヒビが入っていたり、或いは神経にダメージがあるかも解らない。


「熱が出て、それで監視塔から降りようとして、落ちてしまった……」

 そうだ、そうとしか考えられない。

「へーゼルさん、解熱剤どこですか!?」

「戸棚の上です!」

「薬が多くて…ええと、これですか?」

 どうにかフィオナが解熱剤を発見し、持ってくる。とにかくなんとかしなくては。

「ああ、それです! テリーさん、その水を少しもらえますか!」

 フィオナが持ってきた錠剤を掴み、テリーの持ってきた洗面器の水を少しカップに汲んで、どうにかリタに飲ませる。

「フィオナさん、リタさんを診てあげてください。テリーさん。武器庫からライフルを取ってきて、医務室前で哨戒を」

「医務室前で哨戒って……」

「念のためです」

 フィオナの疑問にへーゼルはそう答えてから、食堂へと戻る。

 要るものとすれば、水分の補給だ。

「オリーブさん、すぐにご飯を食べて、監視塔に行ってください。監視塔の監視はまだ必要ですので」

「へ? ほへ? リタちゃんはー?」

「リタちゃん、熱を出してしまって、監視塔から落ちて足まで怪我をしているみたいなんです」

 冷蔵庫から水のピッチャーを出し、中に蜂蜜と塩を入れて、戸棚をあさって密封瓶のレモン汁を探す。確かどこかにあった筈だ。

「ああ、あった!}

 それも入れて、掻き混ぜる。とりあえずこれで、ただの水よりは水分の代わりになる。


 再び医務室に戻り、フィオナにピッチャーを渡した。

「定期的に飲ましてください。それと、包帯を取ってくださいね」

 包帯を取って、足のどの辺りが痛いかをリタに聞こうとするが、熱が酷いのか、呻くばかりだ。

「……右足全部、保護しておきましょう」

 とにかく、痛がっている右足に包帯を巻いて、更にテープで固定。

「……早く医者に見せられればいいけど」

 だが、外は相変わらず霧が深すぎる。外に出るには、危険だ。

「リタちゃんをお願いしますね」

 フィオナにそう指示を出してから、へーゼルは通信室に向かった。


 外との通信機を握り、ダイヤルを回して隣町の診療所につなげる。


 雑音しか聞こえない。

「……そうだ、霧……」

 霧のせいで通信状況が酷いのだろうか。ならば電話の方で、と受話器を掴んだ。


 そこでも雑音しか聞こえなかった。


 深い霧は、外と全てを分断していた。

 それがアッシュフォート・スプリングスの、一つの守りでもあり。大きな悪魔でもあるのだ。



 4時間経っても、霧が晴れる様子も無いまま、太陽が沈みつつあるのか暗くなって来た。

『へーゼルさん、リタの熱が上がってます!』

 様子はどうだろうか、とへーゼルが雑務を終えて医務室に内線をかけるより先にフィオナが叫び、へーゼルとオリーブは医務室に飛んで行く。

「水で冷やしてますけど…!」

 先ほどからずっと冷やしていたのに、それでも追いつかない程だ。さっきより更に顔も赤く、苦しそうに呻いている。


 苦しそうに呻いているその姿が、哀しい。


「リタちゃん…大丈夫、しっかり!」

「………」

 駆け寄って励ますオリーブにも、弱弱しく視線を向けるだけ。解熱剤を投与しているのに、熱が下がらないし足の怪我もわからない。

 外は深い霧で、数メートル先もわからない…だが。

「………オリーブさん、水筒にさっきも作った蜂蜜とレモン汁の水と、氷をありったけ入れてください。水筒はたくさん用意して」

「?」

「それとテリーさんは高機動車にガソリンを満タンにして、予備タンクの用意」

「は?」

 声をあげたのはフィオナで、首をかしげたのはテリーだった。

 オリーブは二人の様子を見て黙っている。

「上官命令です」

「待って下さい、何をする気ですかへーゼルさん!」

「このままではリタちゃんが危険です。一刻を争うかも知れません。隣町のお医者さんのところまで連れて行きます」

「危険! 外は霧が深すぎる!」

 へーゼルの言葉にテリーが即座に遮った。

「視界が悪くては、正しいルートを見失う。そうなったら遭難する可能性がある」

「私がここに何年いると思っていますか。私はルートを覚えています」

「まさかへーゼルさんが連れて行く気ですか!?」

「それ以外の誰がいるっていうんですか、フィオナさん」

「へ、へーゼルさんがここを離れたら誰が指揮を執るんですか! それに、テリーも言っている通りに外の霧が深すぎますし……」


「いい加減になさい!」


 へーゼルの怒声が響いたのはその直後だった。

「リタちゃんを見殺しにするぐらいなら、救う手立てを考えます! これは命令です! アリスさんやシャロンさんがいない以上、指揮権は私にあります! 私がリタちゃんが危険だと判断しました、だから私が責任を持って医者に連れて行きます!」

「で、ですけど……」

「ですもクソもありません! あなたが私の次に上位なら、少しは腹を括りなさいフィオナ伍長!」

「二人とも死ぬ可能性もある。落ち着いて」

 だが、フィオナを振り払ったかと思えば次はテリーが制止に入ってきた。しかしへーゼルはそれでも首を振った。

「信じるしかないです。私を。命令です。ガソリンを入れてきなさい」

 フィオナとテリーが黙り込んでいる間、オリーブは黙々と動いていた。



 格納庫にある高機動車に行き、後部座席にクッションを並べて毛布を敷いて、その上にリタを寝かせる。

 念のためにG36Kライフルを助手席に放り込んでから、へーゼルは運転席に座ってハンドルを握った。

「……リタちゃん、少し我慢していてくださいね」

 思い切りアクセルを踏み込む。オリーブが開けたであろう格納庫の扉と、駐屯地の出口を抜けてとにかく、隣町への道を目指す。


 だが、深い霧の中で、速度を出しての運転は予想以上に難しい。

「ととっ!」

 幾度と無く木を回避しながら、大きくハンドルを切っても速度だけは落とさない。

 とにかく急がなければ、とにかく急がなければならないのだ。

「っ……!」

 こういう一刻を争う事態で。



 へーゼルは東方列島の生まれだが、両親とは一年の半分以上会っていなかった。

 それは両親が軍人として働いていたからだ。このアッシュフォート・スプリングスで。


 海を越えて何千キロも離れたアッシュフォート・スプリングスに年に何度か訪れて、両親に会う事が楽しみだった。会う機会が少なくても、へーゼルにとって両親は大切な人だった。

 だが、ある日…ある日…。



「!?」

 意識を現実に引き戻し、へーゼルはアクセルを踏み続ける。

「そうだ…お医者さんのところに…霧を抜けて…」

 アッシュフォート・スプリングスの街からは出たのだろう。霧と夜闇に支配されつつある視界の中で、ヘッドライトで森だけが照らされている。

 急がなくちゃいけない。苦しそうに呻くリタの為に、一度だけ車を止めて水筒をリタの口に。

「飲める?」

「……ぅん」

 力なく、だが喉を鳴らして二口ほど飲ませた。

「もう少しだから、頑張って」

 再び、車は走り出す。



 アッシュフォート・スプリングスは最前線での戦場になった事は無い。

 最前線には。


 その中で、思い出した時、幼いへーゼルは冷たい床に転がされ、その上から銃を突きつけられていた。


 そしてそこから離れたところで、両親が何かを叫んでいた。なんて言っていたのか覚えていないけれど、それでも何か大切な事を言っていたのかも知れない。


 でもその時――――銃を向けられたのは。


 両親の方だった。


 二発の銃撃音と共に、目の前で血しぶきと肉の塊が飛んで、両親の腰からはどくどくと血が溢れてきて。

 悲鳴を押し殺す父と、呻き続ける母。


 幼い体格ゆえに何も出来なかった。

 それだけじゃなく、何が起こったのかもその頃も、今もわかっていないのかも知れない。

 そのときに何故銃を奪おうとしなかったのか、と思ったことは何度もある。


 でもその出来事が、へーゼルがアッシュフォート・スプリングスの守備隊としての切っ掛けの出来事で。

 今でもその惨劇の部屋だけには、足を踏み入れられない事も覚えていて。


 仲間の危機をほうっておけないのも、あの日救えなかった、助けることすら出来なかった両親に見えるからだろうか。



 アクセルを踏み続ける。白い霧の中を車は走る。

 おかしい。隣町はどこだ。

「もう着いてもおかしくない筈なのに、地図は…」

 地図を広げるが、現在位置すらはっきりしない。こっちをこう走っていた筈だ。

 だが何度もハンドルを切っていたから、もしかしたら位置がズレているのかも知れない。

「どっちだっけ」

 大きくハンドルを切る。直後、ガソリンのマークが点灯。もうすぐガソリンが切れてしまう。

「で、でも方角はこっちで合ってる筈よね」

 そう、合っている筈だ。間違ってなどいない。

 しかしそれでも…それでも…。

「リタちゃん…リタちゃん?」

「ぅん……」

 もう一度水を飲ませておく。

『視界が悪くては、正しいルートを見失う。そうなったら遭難する可能性がある』

 テリーの言葉が思い出されるが、もう引き返す訳には行かない。


 直後。

 銃声が響いた。


「!?」

 誰が撃った? どこから聞こえた?


 慎重に身を屈め、窓からは見えない位置に移動。だが、車の窓を僅かにあけて、音だけを聞き取れるように。

 再度の銃声。撃たれている、と判断した時にはもう遅い。

「くっ!」

 G36Kライフルを手に取るが、装着されている照準器を覗いても、何も見えない。霧だけだ。


 いや、そもそもどこに着弾したのか?

 どうやって狙撃しているのか?

 高機動車は横に僅かばかりの装甲があるが、それでも何発も止められない。大した盾にもならない。


「落ち着いて……どこから来ている」

 見えない敵。見えない敵。いつの間にか側にいた敵。


 ああ、そうだ。あの時と同じだ。

 今になって思い出したんだ。両親が殺された時は……潜入していた敵のスパイが、殺したのだ。

 そのスパイの事を私は慕っていた。


 身近にいた毒が、怖いから。


 でも、それでも仲間が大事だと信じていたから。


 銃撃が響く。

 何発も、何発も。


「どこにいるの!? 誰なの!?」


「どうしてこんなコトをするの!?」


「私は急いでいるの! お願い…」


 直後。

 眩しい光が、フロントガラスを貫いて、それを奪おうと――――。


「へーゼルっ!」


 響いたのは、誰かの声。


「それは…”ないモノ”だから…! ”ないモノ”はみえない…”ないモノ”はない…!」

「リタちゃん?」

「だから……その逆に進んで……」

 熱で魘されるリタはそういうと、再び力なくクッションに崩れた。

「リタちゃん!」

 視線を前に戻す。割れたはずのフロントガラス。だが、傷一つ無い。撃たれた筈なのに。

「無い…モノ……」

 逆に進め。その逆に進め。


 つまり、それは。


 銃撃した方向ではない、逆が正規ルート。


 ギアチェンジをして、一度バックして180度方向転換。アクセルを踏み込むと、高機動車は走り出す。

 白い霧の中だというのに、道がわかるようにするりと前へと進み続ける。

「あ……」

 遠くの方に、明かりがうっすらと見える。隣町の入り口に違いない。

 ブレーキをかねがら、へーゼルは叫ぶ。

「お医者さんの診療所に! 道を!」

 そう叫びながら車を止めて、リタを出すべく、車を降りたところで。


 へーゼルは膝から崩れ落ちて――――意識を失った。




 彼が幼いへーゼルを育ててくれていた。

 まだ辛うじて自然の残る東方列島。最前線ではない、比較的安全な地域で暮らしていた。

 親同然に生活していた。親とも親しくしていて、本当の家族の中にも、彼を加えたいと思っていた。

 へーゼルの誕生日の記念写真にも、四人で写っていた。


 だけど、全部ペテンだった。

 アッシュフォート・スプリングスで、両親は殺された。

 もう一人の父親のように慕った男に。


 初めて銃を握った時、初めて人を殺した時と同じだった。


 いつでも銃を撃てる。そうすれば、誰かを守る事が出来るから。

 でもそれ以上に、奪われたくないから、誰よりも誰かを、誰かにとっての私が頼れる人であろうと。


 だから誰かを守りたかったのだ。



 意識を取り戻すと、見覚えのある天井だった。

 駐屯地の医務室。何度も見ている場所だ。


 どれぐらい時間が経ったか解らないが、誰かがここまで運んでくれていたのだろう。

 隣りのベッドを見ると、リタが寝息を立てている。その額を一度触ってみると、まだ暖かいが、微熱ぐらいだろう。だいぶ下がってきているようだ。

「良かった……」

 どうにか身体を起こすと、がちゃり、と医務室の扉が開いて。

「へーゼルさん、目が覚めたんですね」

「フィオナさん…心配かけてしまいましたね、ごめんなさい」

「いえ。お医者さんが言うには、リタは後少し着くのが遅れたら危なかったらしいですし」

 フィオナはそう答えてからリタの額に置いてあるタオルを変えてから、言葉を続ける。

「あと、隊長と副隊長がカンカンです」

「やっぱり」

 頭を掻きつつ、ベッドから出る。

 とにかく、まずはお説教されに行こう。



「失礼します」

 隊長の執務室に入ると、憤怒のシャロンと頭を抑えるアリスが待っていた。

 入った直後、シャロンの強烈な打撃が襲った。

「どうして殴られたか解るな?」

「シャロン、冷静に」

「わかってる隊長。わかってるよ」

「いつもの口調が抜けてる。冷静じゃないよ。深呼吸」

 そう制止させてから、アリスは頭を掻く。

「まあともかくへーゼル。リタを危ないと判断して、救ってくれたのはお礼を言うね。ありがとう」

 一度だけ頭を下げてから、言葉を続ける。

「だけどね。へーゼルはその時、指揮官だった。この前、へーゼルが私に言ったよね? 非常時に指揮官が一人でのこのこ行かないって」

「!」

 そう、クマ騒動の時にへーゼル自身がアリスに言ったことだ。

「気持ちは解るよ。だけど、テリーが言ってたように、外は霧が深くて遭難する危険性もあった。幾ら道に慣れてるとはいえ、視界が悪ければ迷う場合もある。それを考慮しないで、しかも指揮官たるへーゼルが一人で飛び出しちゃうとね。フィオナだけじゃ対応しきれない事態があるとどうしようもない」

「……はい」

「それに、隣町に着いた直後に倒れたとなればね。少しタイミングが悪ければ二人とも遭難してたと思う。そうなったら二人とも死んじゃってるかも知れない」

「はい」

「責任を感じるのは良いけど、その責任は全てに伴うって事を、忘れないでへーゼル。以上」

「………リタちゃんの」

「?」

「リタちゃんが助けてくれました。だから、助かったんです」

「そっか。じゃあ、後でリタにお礼を言っとかなくちゃね。それに」

 アリスは言葉を続ける。

「テリーは北の出身だから、こういう時でも対応できるとは言ってた。そんなテリーが霧が深すぎるから無理だって言ってたけど……」


「一人なら無理でも、二人なら?」

「………肝に銘じておきます」

 随分と叱られてしまった、とへーゼルは頭を抑える。

「以上、お説教終わり。まあ、でも大事にならなくて良かったよ。それに…あの時、行動しなけりゃリタが死んでたかも知れない」

「まあ…そうですわね。だからその点に関しては、お礼を言わせてくださいな。ありがとうございます、へーゼルさん」

 アリスとシャロンの言葉にへーゼルは曖昧に頷く。


 でも、やはり疑問に思ったのは、やはりリタが助けてくれた時の事だ。


「……リタの様子を見に行こうか」

 アリスの言葉に、三人で医務室へと向かう。


 リタは三人に気付くと、身体を起こして即座に口を開いた。

「心配かけて、ごめんね」

「大事に至らなくて何よりです」

「身体が一番ですわ」

「あの、リタちゃん」

 へーゼルの問にリタは「なーに?」と首を傾げる。

「車に乗ってた時、リタちゃんがそれは”ないモノ”って……」

「ああ、それは……仲間達に伝わる、古い話なんだけど…」

 リタはぽつり、ぽつりと喋りだす。

「その、塔から落っこちたのはね、この霧が…悪いものだから。その人が、怖いものを、思い出させちゃう、悪い霧で」

「………続けて」

「そ、それでね。その中に入っていっちゃうと余計にその事を思い出しちゃう。どうなると思うー?」

「嫌な事を思い出してくって……そうなると、怖いって思うかな」

 アリスの返事にリタは頷く。

「それじゃあ、なんだかわからなくなるよね。怖いと」

「ええ…あ」

 そう、過去の事を思い出していたから。その恐怖が、悪い思いが拭えないまま霧の中。

 つまり、あの銃声も何もかも、あの霧のせいだと言うのだろうか?

「それじゃ、あの霧の中で私が迷ってたのは…」

「うん、霧のせいだよ」

 リタは頷くと、首を左右に振った。

「でも、霧の中の出来事は本当じゃないの。だって、本当は昔の事なんだから」

「だから、それは”ないモノ”、なんですか……」

「うん」

 でも、無事で良かった。本当に。

「あ、隊長たちここにいたんですか」

 そんな事を考えていると、フィオナが姿を現した。

「ああ、フィオナ悪いね。心配かけて」

「皆無事で、何よりです」

「フィオナちゃんごめんなさいね。本当に私……」

「ああ、いえ……私も覚悟が足りなかったですし」

 フィオナが肩をすくめ、皆は顔を見合わせて笑う。


 どんなに悪い事も、いつかは霧のように消えてしまうだろう。

 それがいつかはわからないけれど、いつまでも霧に囚われていてはダメなのだから。

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