3話『ノッキン・オン・メモリー・ドア(前)』
アッシュフォート守備隊、副隊長を務めるシャロン少尉の朝は、部屋に安置されているロングソードの手入れから始まる。
重さもあれば刃が潰されているなんて事も無く、殺傷力を保っている。当たり前だが実戦で使われた事は無いし、彼女はこれで人を斬りつけたことも無い。
では何故持っているか。
それは彼女にとって大事なものであるから、正確には彼女が銃を手にした時に、受け継いだものなのだから。
大切なものを彼女に伝えた上官から、その証として受け取ったもの。
その時に受け継いだ大切なものを、忘れないでいる為に。
刀身を磨き終えて、鞘へと収めた時だった。
「あれ、傷がついてる…」
鞘は今時珍しい程に装飾に彩られていたが、その一部に本当に小さな、よく見なければ見えない程僅かな傷がついていた。
遠目で見れば解らないし、あまり目立つような傷でもない。
「……どっかにぶつけたかな」
鞘に収めたそれを、丁寧にテーブルに置く。ちょうどそれと同時に、へーゼルの朝食を報せる放送が鳴り響いた。
『ぴんぽんぱんぽーん ぴんぽんぱんぽーん
おはようございます 朝ごはんの時間ですよ
今日はおからを用意しました 好き嫌いせずに食べましょう
調理担当 へーゼル曹長からお伝えします
朝ごはんの時間ですよ 好き嫌いをしてはいけません
ぴんぽんぱんぽーん ぴんぽんぱんぽーん』
おからである。まさかのおからである。
しかし朝ごはんを食べなければ何事も始まらないし、食材を無駄にしてはいけないのである。だがおからだ。
いつもより数分遅くシャロンが食堂に顔を出すと、いつもならばシャロンより先に来ている筈のオリーブとテリーもいなかった。
当たり前のように隊長のアリスは来ておらず、フィオナとリタがへーゼルを手伝って朝食の準備をしていた。
「おはようございます、シャロンさん。今日は遅かったですね」
「おはよう、へーゼ……」
シャロンはアリスとオリーブとテリーの三人が羨ましくなった。
献立としては切られたバゲットに、トマトとニンジンのスープ、アスパラガスとセロリのサラダの三品が個々の目の前にあり。
そしてテーブルの中心にはこれでもか!と山のように積まれたおからの皿である。
取り分けて食べろという事らしいが何故こんなに、おからがある?
「隣町の人もいい人ですね。あそこまで大豆が貰えるなんて…豆腐を山ほど作って、更におから! きっとあの豆腐も美味しいですよ」
「そうですよねぇ、フィオナさん。おからはやはりキノコと炒めるに限ります」
「わかります。あの素朴な甘さがいいんですよねぇ~」
へーゼルとフィオナは東方列島の生まれのせいだろうか。やはりおからに関しては肯定的である。
「なんだかいい匂いするんだね」
「そうよ。とても美味しくて栄養があるし……リタはしっかり食べないとね」
リタの方はおからとファーストコンタクトのようだが、美味しいものだと認識しているようだ。
「………」
「あれ、まだ皆さん来ないんですね? シャロンさん、呼んできてくれませんか?」
「え、ええ…そ、そうね…呼んでくるわ……」
「フィオナさんが手伝ってくれたので、たくさんありますよ?」
へーゼルはシャロンを見ながら実にいい笑顔でにっこりと笑う。
シャロンは覚悟を決めることにした。この山のようなおからを確実に消費しなければへーゼルが数日間つむじを曲げてしまうに違いない。
シャロンが食堂から出ると、アリスとオリーブとテリーの三人はすぐに見つかった、というより食堂のすぐ近くにいた。
「……シャロン。あと、どれぐらいあるって?」
「フィオナさんが手伝ってくれたからたくさんあるって言ってましたわ…あの二人、東方列島の出身ですもの、おからには慣れてますわ…」
「ねぇ、おから以外のメニューは?」
シャロンがアリスの問いにため息混じりに答えるとオリーブが口を挟む。
「バゲット、トマトとニンジンのスープ、アスパラとセロリ……おからがメインですわね」
「うわ…おからだらけだよ、隊長…」
「おから祭り…」
オリーブの言葉にテリーがそう続け、四人は同時にため息をつく。
「おからってどうも食粘土を思い出すから嫌なんだよねぇ…味が似てるし…」
食粘土、というのは俗称で、正式名称をグレイン・クレイバーという食べ物である。
煎った穀物類の粉に塩とバターをぶち込んで練り、棒状にまとめて真空パックした、保存食の一つであり、生産性と栄養価に優れているせいで軍用保存食として使わている。
が、補給の届きづらい最前線や補給が途絶えた場合などはそれを食わされ続ける羽目になる為、大戦に参加していた兵士にとって食粘土と揶揄するほど、食べたくないものの代表格である。
棒状にまとまっているのに、粘土のようにべちゃべちゃしていて粉っぽい。外見は違うが、食べた時の食感はおからに近い…のである。
「でも、食べなかったらへーゼルの事だもの、ストライキでもやりかねませんわよ?」
「だよねぇ……諦めて食べるしかないか……」
アリスは諦めて決断を下し、全員に入るように指示した。
明らかに嫌な顔をしたオリーブの背中を軽く蹴飛ばして中に入ると、リタがジト目で全員を睨んでいた。
「あらあらアリスさん。リタさんがお腹を空かせて怒ってますよ?」
「う、うんそうだね…朝ごはんにしようか…頂きます」
へーゼルの方も、四人がなかなか来なかった理由を知っているのか、やはりいい笑顔でそう続けるとアリスはさっさと食べてしまうべく朝のご挨拶。
「キノコだねぇ、シャロン」
「キノコですわね」
食堂の外で渋っている間に、誰かが取り皿におからを山のようによそっていたらしい。
とりあえずおからの事を考えないために、アリスはキノコの方に意識を集中することに決めたようだ。そう、これはキノコがメインでおからはその付属だ。
「キノコで思い出したんだけどさぁ、夜に光るキノコがあるんだってさ」
「へ? キノコが? どんな原理で?」
「さぁ? あたしもよく知らない」
アリスとシャロンは同時におからを口に含み、とにかくさっさと飲み込む。
だけどおからである。割と口の中に残ってしまうのである。
「「おおお…」」
二人だけでなく、オリーブとテリーもおからに苦戦していたがそんな四人を尻目にリタは元気に「おかわり!」を要求していた。
朝食の後はそれぞれ割り当てに従って仕事を行う。
今日の監視塔で監視の任務に就くのはリタで、先日のクマ騒動の後から監視に志願するようになった。
本来は飽きっぽい性格なのに、必死に目を凝らしている辺り、彼女はクマに負けないんだぞ、という思いが込められているようで、仲間達は良い傾向だと思っている。
「……ん? 誰か来るかなー…」
リタはふと、町の入り口のほうから気配を感じた。もしかしたらこちらに来客だろうか。
町の入り口からだとすると町の外からやってきた人間になる、変な人じゃなきゃいいけど、とリタが考えて更に目を凝らした。
それはだんだん近づいてくる。
そしてリタの視界に、町を早めの速度で駆け抜ける紅白ペイントのバイクが見えた。
あんな目立つペイントのバイクはあんまり無い。そしてそれはこちらに向かってくる。
形式上、G36Kライフルを構えつつ、リタはそのバイクを待つ。
「はい、ストップ! だーれー?」
リタが声を張り上げた直後、紅白バイクは駐屯地の入り口で止まった。
「こんにちはー! 郵便局のカーリーでーす! 郵便のお届けにあがりましたー」
バイクに跨っていた、紺色のジャケットとスラックス、それに制帽を身に付けた明るい茶髪の幼い少女がそう声を張り上げると、リタはニッコリと笑った。
「やっほーカーリー!」
「やっほーリタ! シャロンさんあてにお手紙だよー。通してくれる?」
「いいよー。アリスには言っとくからねー」
リタはそう答えると、監視塔に備え付けのマイクを手にとって郵便局が来た事を報告。
その間にカーリーはバイクをその場に止めて駐屯地内へと入っていった。
カーリーはアッシュフォート・スプリングスの隣町にある郵便局の配達員で、リタの一つ年下の少女だ。
今年から働き始めたのだが、年が近いせいかリタとは共に家族と離れて暮らしていて、コーンが好きという共通点があるお陰で仲良しだ。
そんなカーリーもまた、歳の近い少女達のいるアッシュフォート守備隊に手紙を届けに行くのは楽しみであったりする。
廊下を歩いていたシャロンをカーリーが見つけたのはその三分後だった。
「あらカーリーさん。ご苦労様」
「こんにちは! シャロン少尉にお手紙です」
「私に? 本部からかしら…」
手紙を受け取ったシャロンはすぐに差出人を見た。
それはアッシュフォート・スプリングスの郊外にある寺院が差し出し先になっていた。
でも、確かその寺院はシャロンがアッシュフォート守備隊に転属してくる前に放棄されて、無人の筈だ。
「……カーリーさん。この手紙、誰が出しましたの?」
「ごめんなさい。見てないの」
「……中を見ましょう」
不審ではあるが、中を見れば解るだろう。
そこに入っていたのは、一枚の写真と手紙だった。
その写真は、シャロンにとっては忘れもしない、入隊直後に…当時の上官が撮ったシャロンと同時期に入隊した者達の写真。
慌てて手紙を開くと、そこには短く書かれていた。
『伝えに来た』
震える文字で書かれた、男性の文字。
そしてその末尾にある……A・ジョンソンの名前。
写真を撮った、上官の名前。そして震えながらも、その文字に僅かにその人の面影が残ってる。
「シャロン? 手紙が着たって聞いたけど、だったら部屋で…」
そこへちょうどアリスが顔を出し、シャロンは思考を現実へと引き戻した。
「え、ええ、まぁ……」
もう一度手の中の手紙を眺める。あの上官が生きているのだろうか。
だからこんな手紙を寄越したのだろうか、でもそうだとすると何故寺院から?
「……アリスさん。外出許可を、もらえないかしら」
どうせなら確かめてみよう。何かわかるかも知れないから。
アリスのほうもシャロンを見て何か感じたようだった。
「ん、じゃあリタを連れてって。シャロンがいないのにテリーとリタの両方を制御すんのは大変だしさ」
「…あなた本当に隊長としてやる気ありますのそれ」
シャロンは半分呆れつつもそう返すと、とにかく後を頼みますと続けて、リタの姿を探しに行った。
シャロンが軍に志願した時は、特別大きな理由も無かった。
軍に志願することが可能になる12歳になった頃、学問を学ぼうにも学術機関はないし、仕事をするにしても軍ならば一番給料が出る。
それに、死んだとしても一定の補償が家族の下へ届く。それが入隊を決めた理由。
当時は大戦が終わるなんて、誰も思っていなかったので入隊直後に最低限の訓練の後、すぐに戦地送り。
当たり前だが、12歳かそこらの子供が戦地に送られた後、戦ってない間は何をしているか。
店も無ければ学も無く、娯楽も無い。
話すことしか出来なかった。
日々の事、過去の事、自分の事に故郷の事。難しい話なんて出来ずに、単調な話を少しでも面白く話せるようにして。
そんな幼い兵士達の中で、シャロンは気がつけばまとめ役になっていた。
比較的気が強く、姉のように仲間達をまとめてトラブルがあれば仲裁し、理不尽な事には代表して怒る。それが原因で懲罰を受けたりもした。
でもシャロンは自分が間違ってはいないと思っていたし、幼い兵士達の矢面として立つことも苦行ではなかった。自分の性に合っていた。
そんなある日の事、先任兵の理不尽なしごきに対してシャロンを含む兵士達は抗議を行った。
平たく言えば座り込みである。
古典的ではあるが、その分作業は進まず、スペースも占拠される。サボタージュとしては実に有効な手段である。
そしてリーダー格であるシャロンの元へ、一人の士官が現れた。
「下士官達から君達が座り込みを始めたと聞いた。何故行うか」
「……あたし達は生き残る為の命令は受けられても、犬死にする命令は受けられない」
「なるほど」
決して若くは無い、既に四十代の域に差し掛かる彼は、軍人としてみれば既に老兵の範疇に入る。
「シャロン一等兵。君が他の者を扇動したと下士官達は言っている。事実かね?」
「扇動した、というより座り込みをしようと言い出したのは否定しないけど…」
「では他の者は君と共に行っているという事か?」
「ああ、そうだよ」
本来ならば敬語が必要なのだろうが、そこはまだ入隊して時間も経っていない兵士である。
そんな返答を咎めもせず、士官は「そうか」と答える。
「詳細に調べる必要があるな。今まで何があったのだ?」
士官はそういうと、その時になって気付いたように口を開いた。
「ああ。名乗り遅れたな。私は、北米軍司令部付きのアンドリュー・ジョンソン大尉だ。私の身分は司令部に照会すれば証明してくれる筈だ」
それが、シャロンとジョンソン大尉の出会い。
交渉の結果、少しだけ下士官達のしごきがマシになった。そして座り込みに対するシャロンへの処分は営倉数日間という比較的軽いもので、これにはジョンソン大尉が口ぞえしたという。
シャロンがジョンソン大尉に恩を抱くのと同じように、大尉のほうもまた彼女に興味を持った。
その結果、一ヵ月後にシャロンは大尉の従卒として抜擢された。
将校の付き人になるぶん、仕事は増える…筈だがジョンソン大尉は司令部付きの為に、危険な前線に立つことよりも、デスクワークに従事することが多かった。
デスクワークいえども、重要な仕事であるし、デスクワークにも前線にも共通することは意思疎通の円滑化である。
気が強く、言動も男勝りなシャロンを見た大尉はシャロンを少しずつ穏やかな性格にしようとした。
学校に殆ど通った経験も無いシャロンに、解り易く言えば教育したのである。
最初は予算の計算から始まり、人との喋り方、相手を促すにはどうするか、或いは書類のやり方、等々。
そしてシャロンの方も、それらを教えてくれる大尉に応えるべく賢明に励んだ。
そのときに学んだことの多くは守備隊での日々に活かされている。
「…シャロン。シャロン!」
リタの呼びかけと共に、シャロンは思考を現実へと引き戻した。
「もう寺院に着くよー」
「え、ええ…ありがとう…リタさん、車の運転は!?」
そう、二人は1/2トラックで駐屯地から出たが、ハンドルを握っているのはリタだ。
「大丈夫だよー。スピード出してないし、周りも見てるしー」
普段のリタのマイペースな性格に加えて今までリタが車両の運転をしているのを見た事が無い、がそんな心配は杞憂だったようだ。
周囲を見ても、事故の様子もなければ渋滞も無いようだ。
「疲れてるの?」
リタは前方から目を離さずに心配そうに聞いてくる。
「少し、眠ってましたわ。もう大丈夫」
首を軽く振ってそう答える。非常時の為に、G36Kライフルは二人とも持っているし、拳銃もある。罠だとは考えられないし、考えたくも無いが。
「あのお寺だよねー?」
リタが指差す先に、東方列島の伝統意匠であるカワラを使用した二階建ての寺院が見えた。
周辺には木が多く植えられているが…今や無人となっていて、歳月の流れと共に風化する身となっている。
「ここで停めて。近すぎても困るし」
「そうなの?」
シャロンの指示にリタは首を傾げつつも従い、そして停車させる。
「はい、ライト」
「ありがとう、リタさん」
ライトを受け取り、二人はG36Kライフルを手に、寺院へと近づく。半分開きっぱなしの扉。
だが、その前に足跡がある。それも、比較的新しい足跡が。
「……ここに、誰か来たのね…」
「…中にいる」
シャロンの呟きに、リタが目を閉じて続けた。予言をする時の、風の声を聞いているときのリタだ。
「何人?」
「一人…だと思う」
「その言葉を信じますわ。…入ります」
扉に近づき、そして手を掛け――――開いた。
扉をくぐって中に入っても、静かな板敷きの間が広がっている。
だが、放置されている筈なのに…板敷きの間は掃除されているようだった。ところどころ新しい修理の跡もある。
シャロンがライトで照らし、リタがその後に続いて奥へと進む。
ゆっくりと進んでいくと、薄暗い中で、誰かが動いたように見えた。
「誰!?」
「待って」
銃を向けるシャロンに、リタはそれを制止する。
「……大丈夫?」
シャロンが明かりを向けると、暗がりの中にシュラフが置かれており、その上に一人の男が座っていた。
顔色は良くないが、ある程度小奇麗にはしている…不自然な程に。
「……ああ。すまないな、お嬢さん…それに、よく来てくれたな、シャロン」
「…大尉…」
アンドリュー・ジョンソン大尉だった。記憶の中より、ずっと白髪が増えてやせ細っていた。でも、その顔立ちと声だけは間違えようが無い。
シャロンは銃を下ろして、ジョンソンの真ん前へと座った。
「お久しぶりです…」
決して感動の再会、と呼べるほどのシチュエーションでは無かった。古びた寺院の薄暗い部屋で、疲れ果てた恩師の姿を見るのは、決していい気分ではない。
「ああ…3年近く経つんだな…短い付き合いしかなかったが、君はやはり覚えていてくれたか」
「勿論です…大尉は、何故こちらに?」
「……どうしても話しておくべきことがあった…だが、大戦は多くの命を散らした。部下も…戦友も…町を一つ一つ探していった…その道中で、ここで身体が言う事を聞かなくなりつつあった」
「あの手紙は…」
「せめて情報をと聞けば、君の事を聞いた…。通りがかった人に頼み、手紙を書いた……来てくれると、信じていたからだ…」
「どうしても話しておくべきこととは、いったい」
「私は君に…いや、君達に謝らなければならない…」
シャロンだけではなく、リタも視線に含めて言葉を紡ぐ。
「君と別れる前夜に、話したことを覚えているか? シャロン」
前線への転属命令。
軍人であればよくある事。昨日までいた人間が別の場所に行くなんて当たり前。
その事をせめて恩師に報告しよう、とシャロンはジョンソンに電話をかけてそれを伝えると、夜になったらすぐ来るようにという事だった。
そしてシャロンがジョンソンの部屋に入ると、彼は古めかしい長剣を磨いていた。
「来たか」
「はい。大尉、それは?」
「大戦が始まるよりずっとずっと昔から、実家にあったものだ。金銭的な価値があるかどうかは定かではないがね」
長剣を磨き終えて、ゆっくりと鞘に収める。
「だがこの剣は長く伝わってきたものだ。それだけ持ち主の思いを剣は見続けてきた…それを考えると、面白いと思わないか?」
「?」
「この剣は記録が残っているよりも長い時間の人間を見続けたということだ。もし剣に記録機能があれば、どんな世界を語るのだろうな」
確かにそうかも知れない。
長い間、人類と共にあったということは、それだけの歴史を、文化を、見ていたことになる。
だけど剣は剣だ。
「それでも、剣は剣ですよ」
「それを言ってはそれまでだろうがなぁ」
ジョンソンはそう言いながら笑った後で、鞘に収めた剣をすっとシャロンへと差し出した。
「前線に行くのか」
「…はい。いつ死ぬかも、解らないけど…でも、大尉には色々な事を――――」
「いいや、君に全てを伝えた訳じゃないさ。だから今夜は、大事な事を教えよう。一つだけ。…そこに座るといい」
ジョンソンは椅子を勧め、そして自身もその横に座った。
「本当にあったかどうかは定かではないが、この剣を親から渡された時に聞いた話をしよう」
「はるか昔から…記録に残っているよりも何倍も昔より、最初の持ち主は貴族で幾らかの土地を治めていた…が、ある時戦争に向かう事になった。初陣だったそうだ」
「初陣を前に準備をした。鎧や兜を纏い、そして武器として剣を求めた。そこで持ち主の父親は自身の剣を与え、持ち主はそれを帯びて出陣しようとした」
「持ち主は領主の子供として日々、領内の事を見て回り、何かあれば父親に報告を行い、間違いがあれば正しさを求めた。そんな人柄故か、領民たちに人気があった……出陣すると聞いた領民たちはこの剣を持って持ち主と領主に面会した」
「領主は怒った。そんな汚い剣で息子を出陣させろというのかと。だが持ち主は剣を見て領民に聞いた。これは如何なる剣なのかと。領民は答えた。選ばれた男達が他国から良質の鉄を手に入れ、それを領内の腕の良い鍛冶師たちが力を合わせ打ったものだと」
「領主から受け取った剣は装飾に溢れていた。輝きも当時そちらの剣の方が良かった。だが、持ち主は受け取って腰に帯びた」
「『この剣はお前達の気持ちだ。ならば、この剣はお前達の為に振るわなければならないだろう』と。それで出陣し、他国の領主にはそんなみすぼらしい剣で来るなと笑われた。だが持ち主は気にも留めずに戦った」
「持ち主は初陣以来、他国からの侵略には先頭に立って立ち向かい、敵国に進んだ時は敵国の民に気を遣う、民に慕われた名君になったという」
「そして死に際に、最も信頼の置く人間にこの剣を引き継がせたそうだ。それが何時の日か我が家に伝わった」
「彼は宝石や見栄えよりも、彼らの気持ちを大事にした。……この話と、今までの私に共通するものはなんだと思う?」
ジョンソンはそこで言葉を区切ってシャロンを見る。
今でこそ、多少の装飾はあるが当時は無かったのだろう。その時に剣に乗せたのは。
「人の思いだ。我々は戦っているが、その戦う時に食べるものは? 武器は誰が作っている? 作っている人たちを守るのが我々の役目だ。明確に明言されてはいない。しかし、我々はただ戦うのではない。彼らの為に戦うのだ」
「…人の思い…私たちを、支えている人を守る為の、思い?」
「そう。彼らの守って欲しいという思いだ。それに答えなければならない。戦う力があるうちは、な」
ジョンソンは鞘に入った剣を、シャロンへと向ける。
「戦う力は、守る為の力だ。無作為に奪うための力ではない、軍人とて、それを忘れてはならない。軍人を殺す覚悟はあっても、市民を殺す覚悟なんか持つな」
そう、世界を支えているのは軍人ではなく、人なのだ。
単なる人。どこにでもいる、人たち。ジョンソンはその時にそう告げて、それを守る為の剣を、シャロンに渡したのだ。
それが証明であるかのように。
そんな出来事が、昨日の事のように懐かしく感じる。
「覚えてます。今でも」
「無作為に奪うための力ではない。私はそう言った…だが」
「?」
「君と離れた後…私は北米軍司令部から、あるものを作ることを頼まれた…」
「大戦を終わらせるためのものとして…だが大戦が終わって解ったんだ。あれは危険なものだとね」
「教えてください大尉。あるものとは?」
「……タリズマンに変わる、大型兵器。私が直接作った訳ではないが…携わった」
シャロンとリタは顔を見合わせる。これは予想外に大きな出来事だと。
「大尉。まずは…身体を治すことが大事です」
「いいから聞いてくれ! なんとしてでも……アレをどうにかして処分しなければならない…!」
「落ち着いて下さい、大尉。それを処分するにしても」
「いや…その為に此処に来たのだ…」
「アッシュフォート・スプリングスは一度も最前線になった事は無い…特に大きな戦略的価値も少なく、人口や資源もある筈も無い…だから隠しておくには充分だった」
「計画は極秘だった…駐屯地の裏山の、かつての砦跡を幾つも地価で繋いで、人の出入りを目立たぬようにした。駐屯地の兵にもわからぬように」
「完成後、テストを行わぬまま……関わったもの全員が最前線に放り込まれた。幸いにして…終戦が近かったが故に生き残ったがな……」
「だが、それでも、アレを壊す為に……!」
そこまで言ったところで、大尉は体力を失った。
どうやら相当な苦労でもしてきたようだ。すぐに動かすのは難しいだろう。
「リタ! まずは医者のところですわ! それから、アリス達に連絡!」
「りょ、了解!」
とにかく二人で力を合わせて大尉を1/2トラックまで運び、隣町にある診療所を目指した。
時間はかかってしまうが、それでも思った以上に重要な事だ。
「いやな風が吹いてる……」
リタが、遠くを見た目つきで呟いた。ああ、また彼女が新たな声を聞いているようだ。
「リタ。私たちに出来ることだけを考えましょう。そうするしか出来ませんわ」
「うん」
三人を乗せた1/2トラックは、可能な限りの速度を出して走っていく。