2話『テキサス・BBQ・ビギニング』
クマ騒動の後、駐屯地に戻った七人は昼にパンケーキを山ほど焼いて食べ、その後はゆるやかなお昼寝タイム。
外は雨が降っていたので気持ちいい昼寝とは言えないが、それでもクマとの遭遇で昂ぶった心を落ち着かせるには充分だった。
また、その間に来客もあり、クマを撃退したテリーにと畑が襲撃されたダイアーさんからサケのお届けモノがあった。
へーゼルのお魚というリタの予言も的中するのであった。調理担当はへーゼルである。
そしてもう一つ。シャロンの好物はサケである。リタの風の声からの予言的中率は100%。
晩ご飯はかなり楽しみになりそうだ、と思った矢先の、夕方の事だった――――へーゼルがアリスの部屋を訪ねてきたのは。
「どうしたの? 珍しいね」
シャロンが作成した弾薬の大量使用についての報告書をチェックしつつ、そう聞き返すとへーゼルは普段とは比べ物にならないぐらいの重い声で呟く。
「クマの事です」
「……まぁ、仕留めてはいないからね」
「クマって、思い込みが凄いんです。人間が怖いものと判断すれば近寄りません。でも」
「テリーさんが追い払った時、霧が出てたというのもあるんですけど、クマ本人はこっちを見ていなかったんです。
それに、裏山で遭遇した時も発炎筒と銃撃の音で追い払いましたよね?」
「ああ、うん」
「クマは直接私達を見ていないんです。これはつまり、私達がその音や煙の主であるという事をクマは知らないままです」
「……続けて」
「そしてクマは、最初に私達が怖いものだと判断しなければ、餌としてみるようになるんです。私達を。それは、私達に限らずです」
「………」
「ダイアーさんの家の被害を確認した方がいいかも知れませんね。畑以外に何かあるかも知れません」
「わかった」
アリスはへーゼルの言葉を聴くなりすぐに立ち上がると通信室へと走りこむ。
相手はアッシュフォート・スプリングスの警察署だ。
『はいはい警察署ですー。アリスさん、どうしたんですかー?』
どこの町もそうだが、男は老人か子供ばかりで、女性が色々な仕事に就いている。
流石に警察にはある程度男手がいるものの、電話番などはアリス達と同じような年代の少女が対応する事もある。
「ごめん、今日のクマの被害の事なんだけど」
『えーと、怪我人も死者もゼロ。対応が早かったのがいい方向に向かったんですかねー』
「それだけじゃない。物的被害の事だよ」
『ダイアーさんの畑が荒らされたのと……ああ、メリッサさん家のニワトリが数羽、ブタが一頭食べられたみたいですねー』
さっきのへーゼルの話と合わせれば、クマはニワトリとブタを餌として認識したようだ。
「へーゼル! 通信室、今すぐ!」
一度通信機を置いてからへーゼルを呼び、数分後にすっ飛んできたへーゼルに状況をもう一度説明。
「あまり良い傾向ではないですね。メリッサさん家のニワトリ小屋は家の近くでしたよね? すぐにメリッサさん一家を避難させるか、焚き火をたくさん焚いて、警備をつけるのが無難でしょう」
へーゼルの返答に、電話番は恐らく電話の向こうで首でもかしげているのかうんうん唸っている。
「でも確実性を求めるなら明日の朝から山狩りでもするしかありません」
「……山狩りって」
今朝、へーゼルに聞いた山狩りについて思い出す。
地形が変わるほど大砲を撃ちこめと。だが、アッシュフォート守備隊にはそういった大きな火砲が無い。
対戦車用火力がせいぜいといったところだ。
ならば最後は。自分達の手足で切り開くしかないか。
「とにかく、警察署長さんにさっきの事を伝えておいて」
電話番にはそう伝えて、通信回線を切った。
「……」
アリスは今日のクマ騒動の事を思い出す。幸いにして今日は被害が無かったが、次はどうだろうか?
「皆に話して置く必要があるね」
「ええ。今夜は警戒を怠らない事を」
アリスの言葉にへーゼルが続ける。そういった面で、年長のへーゼルは改めて頼りになるなぁと思う。
「ただ、もう一つアリスさんには注意してもらうことがあります」
「なに?」
アリスがそう聞き返した後。
ぺち、という小さな音が響いた。
「痛いよ、へーゼル」
「クマの危険性については今朝も言いました。でも、それを踏まえたうえで、オリーブさん達が危険だったとはいえ、指揮官が一人でのこのこ突撃する人がどこにいますか!」
「!」
普段の彼女では考えられないぐらいの、大声。アリスは思わず震え上がる。
そしてへーゼルは言葉を続ける。
「気持ちはわかります。アリスさんが、皆の事を大事に思ってくれてる事。そうでなければあんなことはしませんから。
こう見えて責任感もしっかりある事は今日の行動を見てれば充分解りますしね。でも……隊長としてはそんな風にホイホイ行動されちゃ困ります。
もっと落ち着いて、しっかり構えてください。見ているこっちがはらはらします。駄目だったら、もっと私達を頼ってください。
一人で全部勝手に思いついて、全部一人で勝手に完結しようとしても、一人で抑え切れなかったらどうするんですか!」
「ご、ごめんなさい……」
「わかればいいです。……上官に対してあるまじき言動、許してくださいね」
「不問とします。あたしを思って言ってくれたんだもの、責められないよ」
アリスはそう言って少しだけ笑った。
一人で出来ることなんて、びっくりするぐらい少ないもんな。
今日の晩ご飯の時に、皆に話そう。クマの習性と、明日山狩りを行うべきだという事を。
アリスがそう考えていると、通信室の扉がノックされた。
「どうぞー?」
「私ですわ。入りますわよ、アリスさん」
扉が開いてシャロンの顔が覗き、へーゼルもいる事に少し驚いたようだった。
「報告書、それで問題ないかしら?」
「うん。ただね、シャロン。もう一枚、これ作成することになるかもね」
「どうして?」
「クマの事さ」
「ああ、だからへーゼルさんもいましたのね。意外と真面目に仕事をする時はするんですのね」
「ちゃんとする時はするんだよ」
まったく、人を何だと思っている事やら。アリスは半分呆れてため息をつく。
「で、クマをどうしますの?」
「うん。クマがまた来るかも知れないから、今夜は警戒を怠らないって事と、明日クマを討伐しようかなっていう事なんだけどね」
「クマを……」
シャロンも昼間見たクマの姿を思い出す。初めて見る、大きくて恐ろしい姿をしたクマ。
あれと戦おうというのか。シャロンも大戦中に入隊したから、戦場に立った経験はある。でも、今まで戦ったどの敵よりも。
今日のクマは恐ろしく見えた。
「へーゼルが言うには、メリッサさん家のニワトリとブタが被害に遭ったから、今後も襲ってくる可能性が高いってさ」
「なるほど。メリッサさん家には小さい子供もいますものね。でも、クラブサンド島でクマが確認されたの、四十年ぶりでしょう?」
「シャロンさん。学術的や生態系的には保護すべきかも知れませんけど、クマは害獣です。人的被害が無いとはいえ、一度人家の近くに下りてきているという事は今後被害が出ないとは限りませんよ?」
「う……確かに。でも、それは本部の判断を仰ぐべきではないですか?」
「この時間だから本部もそろそろ一日の仕事終えてるだろうけどねぇ……まぁ、弾薬の事も含めて報告するしかないか」
また面倒くさい仕事になってしまうが仕方ない。三人は同時にため息をつくのだった。
リタの仲間は全て、父なる大地と母なる自然から生まれた。
故に常に彼らへの感謝と、恐れを忘れてはならない。なぜなら彼らがもたらす恵みは仲間達を潤し、彼らがもたらす試練は全てを奪い去っていくのだ。
だからこそ風の声、星の巡り、鳥の唄。その全てに耳を傾け、彼らの意思を聞き逃してはならない。
リタが仲間達の下を旅立つ時、長老達から何度も言われた事だ。
そしてリタはクマの襲撃の後から眠り続けていた。
雨が降りそうだったので、オリーブとフィオナの為に草木を借りて仮小屋を建てた事による肉体的な疲労と、クマと遭遇したことによる精神的な疲労の双方が重なったのだ。
幸いにして、彼女が昼過ぎから眠り続けていても誰も咎める人はいない。
そして、夢を見ていた。
夜遅くのアッシュフォート・スプリングスを見ていた。
そこら中に焚き火があり、傍から見れば異様な光景だった。
でも、リタの仲間達は焚き火はとても大事なものでもある。危険ではあるが、火は暖かさと恵みをもたらし、邪なものから守ってくれる。リタは焚き火へと近づいた。
すると、視界の隅に大きな影が映りこんだ。
クマだ。
クマがやってきた場所は……リタも見た事のある、人家の前。アッシュフォート・スプリングスの、11ブロックにある―――――。
「――――駄目ぇぇぇぇぇっ!!!」
叫びと共に跳ね起きた直後、隣りの部屋から盛大な音。
「リタ、どうしたの!?」
すっ飛んできたのは隣りの部屋のフィオナだった。
「クマが……」
「クマは撃退したわよ。怖い夢でも、見たの?」
「違う、違うの。クマがまた……」
「あんだけテリーが銃撃したし、発炎筒見てビビるような奴がまた来る訳ないでしょ!」
「フィオナ! あれを舐めては駄目」
「いつまでも怯えてないの! あなただって子供じゃないんだから!」
フィオナがそう声を荒げる、しかしリタは表情を変えなかった。
ただ、フィオナと話しても時間の無駄と判断しただけで。
「ちょっと、何処行くの!」
フィオナを尻目に、リタは走り出す。廊下で走るのは駐屯地ではよくある事だ。
そこでばったりテリーと出くわし、リタは急ブレーキ。
「……さっきの声は何」
「テリー! アリス達は!?」
「見てない」
そんなやり取りの後、リタは再び走り出す。
「まったく、何考えてるの…!」
「何があったの」
「なんかクマの夢見たみたい。まったく、リタは子供じゃあるまいし……」
「……」
テリーはなんとなくイメージが出てきた。時折不思議な力で予言をしている。
クマについて口にしたということは、何かあるかも知れない。オリーブに言って武器の整備をすべきかも知れない。
テリーも故郷でクマの脅威と相対したのだ。フィオナみたいに楽観的には考えてられない。
「ちょっと、何処行くの?」
フィオナを尻目に、テリーもまた武器庫へと向かっていった。
「アリス!」
「おお、どうしたリタ?」
「そんなに慌ててどうましたの?」
アリスの部屋に息を切らして駆け込んできたリタを見てアリスとシャロンが問いかける。
「クマが……」
「出たか!?」
「違うの、町に…」
「と、とにかくリタさん落ち着きなさい」
シャロンは思い出したようにリタの頭に手を置き、そっと撫で始める。
その小さな身体はとても震えていた。
「リタ、落ち着いてからでいい。クマが町になんだって?」
シャロンに撫でられてもまだ震えの収まらないリタは途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「夜に、11ブロックの、焚き火がいっぱいあるところ……メリッサさん家!」
アリスとシャロンは、思わず一瞬顔を見合わせた。
ダイアーさん家とメリッサさん家に焚き火をたくさん焚いておくべきと言ったのはへーゼルだ。でもその話を聞いているのはアリスとシャロンと、警察署だけの筈。
リタがそれを知る筈もないし、リタだってダイアーさん家の畑がクマに荒らされた話しか知らない筈だ。メリッサさん家のニワトリとブタの被害を知っている筈がない。
でもそれなのに、ダイアーさん家ではなくメリッサさん家と言った。それに焚き火まで言い当てた。
「シャロン。リタを頼むね。皆を集める」
「わかりましたわ。……リタさん、落ち着きなさい。まだクマはメリッサさん家を襲ってはいない筈よ」
シャロンがリタを宥めている間、アリスは連絡用マイクを手に取り、号令をかける。
『全員、すぐに隊長の部屋に集合』
「今夜中に動きがあると思うので、やはり警戒に出ることにします」
「ちょっと待って下さい」
全員が集まったところでアリスがそう告げると、フィオナがそれを遮った。
「なにかな、フィオナ?」
「……根拠は、あるんですか?」
「リタの予言。それだけで充分だよ」
「でも、それは――――」
フィオナが言葉を続けかけた時、アリスはきっぱりと言い放った。
「フィオナ。ここで出動して、何も無かったら。それでいい。むしろ、その方がいい。でも、出動しなくて、何か起こったら被害が出るかも知れない」
「……」
「危険があるなら、出たほうがいいとあたしは判断するよ」
フィオナは何も言えないとばかりに肩を竦めた。
「準備は出来てますよ。テリーちゃんが整備した方がいいって言ってきたので」
「OK。今回は弾薬も多めに必要だから、高機動車に乗るよ。全員で行く」
「自慢の逸品を持ち出しますんで!」
オリーブは少し楽しそうである。
「へぇ、有効な手段があるのかい?」
「クマだって生物です。ですんで、一撃で仕留める火力もいい手立てですけど、燃やしちゃうのも一つの手立てです」
オリーブは嬉しそうに武器庫へと走り出したので、他の面々も銃を用意するべく後を追う。
先に着いたオリーブはマガジンを人数分取り出した後、私物であろう散弾銃を持ち出してきた。
普段、皆が借りている散弾銃はサイガ12Sだが、オリーブは他にも持っていたようだ。
「それは?」
「モスバーグM590です。装弾数はなんとびっくり9発。で、こいつに使う弾丸ですが……ちょっと特別なのを使います。大奮発です」
オリーブは弾薬箱の奥から大事そうに出したのは、なにやら薬品のような臭いを発し、赤文字で『DANGER!』と書かれている箱。
「ドラゴンブレス弾です」
「ドラゴンブレス? 竜の吐息?」
「そうですよ、シャロン少尉。平たく言えば、竜の吐息みたいに炎を発射するんですよ。当たれば燃え上がる、バーベキューの出来上がりです」
オリーブは胸を張ってそう答えると、ドラゴンブレス弾を遠慮なく詰め込んだモスバーグM590散弾銃をテリーに差し出した。
「さぁ、テリーちゃん。こいつで不届きなクマをテキサス・バーベキューにしてやるんです」
「任せて! 火力はマックスでいいんだよね?」
「撃つ相手はクマだからなテリー! ここで撃つなよ!」
「えー、試しちゃダメなの?」
「一発がすごく高いからやめてね、テリーちゃん」
テリーはしぶしぶ散弾銃を背負いなおす。ただ、一発当たれば丸焼けとは随分物騒な弾丸である。
「一発が凄く高いって……オリーブさん、それ本当ですの?」
「具体的に言うと、こんぐらい」
「……無駄撃ち禁止ですわね。あなたの私物の銃の弾丸だって隊の予算で買ってるんですし」
オリーブがシャロンの手に指で書いて示した値段を見たシャロンはそう呟く。
まぁ、今朝の時点で三百発も撃ってるのだし、弾薬の費用などこの際気にしないでいいさ。
全員がG36Kライフルを持ち、テリーにドラゴンブレス弾の散弾銃を持たせるだけでなく、オリーブには昼間も持っていた赤外線スコープ付きのM21ライフルを持たせた。
残りの散弾銃はアリス、シャロン、へーゼルが持っておき、いつでも発砲できるようにしておいた。
「まだ何か有効なものがあるかな?」
「この際予算の事に目をつぶるなら、フィオナさんとリタさんにはこれを持たせて置きましょう」
「あー、スタングレネード?」
「轟音と光ならクマも驚きますよ」
へーゼルからリタとフィオナにそれぞれスタングレネードを渡しておき、高機動車に乗り込んだ七人は夜のアッシュフォート・スプリングスへと飛び出した。
そして数分後、メリッサさん家の前の焚き火がいくつか踏み潰されているのを見た。
「突入!」
高機動車を止めるや否や、アリスはそう叫ぶ。
「…の前にフィオナさん、スタングレネード!」
「了解!」
へーゼルがすぐに指示を飛ばさなければアリスとテリーはすぐに飛び込んでいたに違いない。
フィオナが力強くグレネードを投げ込み、盛大な爆音と閃光。
直後、窓枠を破って、巨体が姿を現した。
数メートルも無い距離に、その巨体がいた。
「喰らいやがれ!」
テリーの叫びと共に、彼女の手に握られた散弾銃が、文字通り火を噴いた。
竜の吐息とはよく言ったもので、強烈な炎はその灰色の胴体を赤く染め上げる。
しかし、クマはそれでも止まらない。
「背を向けないで後退!」
「どんな風に下がれと!」
「クマは背を向けて逃げる奴を追いますから!」
テリーの指示にフィオナがそう返すと、へーゼルが解説。
全員で銃口を向けたままじりじりと後退する、が、クマの方は腹に喰らった炎を消すべくじたばた身体をはたいていた。
「あのままだと火ぃ消えるな。もういっちょう喰らえ!」
テリーが再びぶっ放し、今度は見事なヘッドショットが決まっ…た。その瞬間だった。
クマは吼えた。
顔面を激しく燃やしたまま、目の前にいたフィオナへと迫った。
迫る巨体。大柄で、初めて見る大きさ。
リタやテリーに怯えるなと何度も言った。
だけど目の前にいる奴は、火達磨になってもまだ動いている。強靭な生命力。窓枠すら壊すパワー。
「うっ……うわぁぁああああああああああああああああああああああっ!」
フィオナの感情を破裂させるのには充分だった。
反動を気にせず、フルオートでライフルをひたすら乱射する。
クマとの距離が近いのが幸いだったのだと思う。弾丸はえらい勢いでクマの顔面へと突き刺さっていき、火をまとったままのクマは数歩後退して。
倒れた。
「は……」
震えた手で、まだ硝煙を吐くライフルをフィオナが下ろす。
「倒し、た……」
パチパチと音を立てて顔だけが燃える、クマの死体。
「リタ、フィオナの側で警戒! フィオナはそこにいる! 他の皆は突入!」
真っ先に平静取り戻したアリスがそう叫び、シャロン、へーゼル、オリーブ、テリーと一斉に窓枠を破壊されたメリッサさん家に突入する。
クマが他にいるかどうかわからなかったし、被害を知るべきだと思っていたからだ。
「メリッサさん!」
電気のスイッチを探しながらそう叫ぶと、返事は二階からだった。
「…隊長さん?」
「怪我はないですか!?」
「う、うん。無いよ、どこも。子供も無事…」
ようやく電気のスイッチを入れると、二階へと続く階段の前にはクローゼットがあった。
どうやらバリケードの代わりにでもしていたようだ。五人で力を合わせてクローゼットをどかし、二階から顔を出したメリッサさん家族の無事を確認。
「とにかく、無事で何よりです。大丈夫でしたか?」
「警察署の人が来て焚き火をたくさん焚いた後、二階に避難してた方がいいって言われてたのよねー。人が集められなくてダイアーさん家の畑しか警備できないって言ってたし…」
「焚き火、効果なかったみたいですね…平気で踏み潰されてましたけど」
「晩ご飯も食べてないのに怖い思いしたわ……」
メリッサさんはそう言ってため息をつくと、子供を二階に戻して外に出た。
アリス達もその後を追う。
流石に燃えていたクマの火は消えていた。
「わお! 仕留めたの!? あんな大きいのを!?」
「フィオナさんとテリーさんのお陰です」
へーゼルが微笑みながら答え、メリッサさんは倒れたクマをこわごわ見ていた。
「はー……こんなのに襲われたら確実に死ぬわね」
「死者が出ないうちに終わって何よりですよ。へーゼル、小屋の様子は……」
アリスの言葉にへーゼルがブタ小屋とニワトリ小屋を覗く、がすぐに出てきた。
「酷いですね…」
「あちゃー、ほぼ全滅だねこりゃ」
ニワトリ小屋は大破しており、白い羽が無数に散らばって血溜まりが出来ていた。
ブタ小屋の方は流石にブタを何頭も食うのは無理だったらしく、のんきにブヒブヒ啼いていた。
「あー……ニワトリは仕方ないとして…ブタが一頭やられてるか…しかも食いかけだな、こりゃ…。残った肉持ってく?」
「え? いいんですか?」
「あたしとあんたの仲だろ、へーゼル」
メリッサさんは少し笑うと、半分食いかけのブタを捌くべく、鉈を取った。
「さて、フィオナとリタは…フィオナ?」
仲間達がフィオナを見た時、リタは完全に困り果てた顔をしていた。フィオナがまったく動かなくなっていたのだ。
ただ、カチカチという歯の当たる音だけが響く。
「……フィオナちゃん、頑張ったよ」
オリーブがそんなフィオナに優しく声をかけ、リタに代わって隣に行くと、優しく引っ張り上げる。
頭を撫でて、ぽんぽんと叩く。
「怖かったのは皆も一緒」
小声で、そう囁いて。
「…うん」
フィオナも、返事を返した。背伸びをしている事ぐらい、解ってる。
「美味しい豚肉が手に入りましたよ!」
「でかしたへーゼル!」
「あ、ついでだけどクマも持ってく?」
「ください!」
へーゼルの一言でクマ肉も持って帰ることになった。どうやって調理するのだろうか。
クマ肉は量が多いので冷凍庫送りである。
しかしダイアーさんから貰ったサケに、豚肉もどっさりと晩ご飯の食材はたくさんある…。
それを消費するにはどうすべきか?
答えは、たくさん食べる!
駐屯地に帰った七人は、晩ご飯の予定を変更してバーベキューにする事にした。クマじゃない事は残念だが仕方ない。
でもバーベキューだ。駐屯地の敷地にでかいコンロを持ち出し、肉を焼いて焼いて焼きまくって喰う、たったそれだけのイベントだ。
でも、女の子にとって食べる事というのはとても大事な事なのである。
皆で楽しく食べる事は、とても大きなイベントなのだ。
「コンロの様子はどうかな、リタ?」
「大丈夫! もー、なんでも焼ける!」
アリスの問いにリタは元気よく答え、コンロに火を入れる。
持ち出されたテーブルには豚肉の山だ。遠慮なんていらないで厚切りにしてある。
もちろん、ニンジン、ジャガイモ、玉葱、ピーマンにインゲン、アスパラと野菜もてんこ盛りだ。
「なんでも焼くならこれも焼いてよ?」
クマ討伐直後はずっと震えていたが、準備中に元気を取り戻したフィオナは白くて丸い物体を持ってきていた。
「なにそれ?」
「餅。東方列島の伝統保存食。焼いて色々つけて食べるのが正しい食べ方よ」
「へー。初めて見るねぇ」
アリスとリタが覗いていると、追加の食材を抱えていたへーゼルが「懐かしいなぁ」と声をあげる。なるほど、東方列島の伝統食か。
「これは醤油をつけて海苔を巻くのが美味しいんですよ。ああ、後セサミペーストで食べるのもいいですね」
「へ、セサミペーストで? あの黒い奴?」
「ええ。甘くて香ばしくて美味しいですよ」
二人がそんなやり取りをしていると大量の皿を持ってきたシャロンが「手伝いなさい」と声をかける。
コンロに火が入ったのを確認したオリーブは火の通りづらいジャガイモとニンジンを真っ先にコンロへと乗せた。
「焦げ付かないように注意しないとねー」
「おっと。そろそろお鍋も持ってきますね」
へーゼルは厨房へと消え、大きな鍋を抱えて再び姿を現した。せっかく大きなサケを貰ったのだ。サケの切り身を大胆に使った鍋をするのが定番というもの。
これならばどんな食いしん坊もおなかいっぱいである。
「乾杯の準備、出来てます」
テリーが人数分のマグカップに密封瓶からオレンジジュースを注いでいく。人口激減で、食料品全体の生産量が落ち込んでいるせいで、果物はあってもジュースになるのは相当少ない。
そういった面でジュースはかなり貴重だけど、今日はちょっと特別。
「よくやったテリー! じゃ、皆、それぞれマグカップを」
アリスの言葉に、皆はそれぞれマグカップを手に取る。
今日は本当に大変な日だったが、無事町への脅威も振り払うことが出来た。
「乾杯!」
マグカップを持ち上げて鳴らし、ひとしきり喉を潤してからそれぞれフォークを手に取る。
なにせ食材は山ほどあるのだ。
「ああ、もう美味しいお肉! もう、どんどん入りますわ!」
「シャロン、飛ばしすぎるなよー?」
「アリスさんじゃありませんから、そんな心配はご無用」
シャロンはそう答えつつ、肉、肉、肉、と普段の鬱憤を晴らすように肉ばかり食べていく。
その隣りではテリーが負けじとばかりに無言で肉を焼いては食べていき、そんな二人のペースに遅れまいとへーゼルは食材を焼いていく。
「へーゼル、食べてる?」
「食べてますよ、アリスさん。あ、お鍋の味どうです?」
「いい味してるね、美味しいよ」
味噌を使ったサケと野菜の鍋も肉に劣らず美味で、アリスはバランスよく食べていく。
リタは肉よりも鍋の方が嬉しいのか、ふーふーしながらフォークを進めていくが、ダイコンをかじった瞬間あちっと悲鳴をあげる。
「ほらリタ。慌てないでもう少し冷ましなさい」
「ありがとー、フィオナ」
二人は同い年ではあるが、体格や性格の幼いリタをフィオナは普段から世話を焼いている。
「フィオナはお姉ちゃんみたいだねぇ」
「ちょ、隊長何を言うんですか! ほら、隊長も襟に汁が跳ねてますよ? これで拭いて」
「おお、気付かなかった。訂正しよう、フィオナは皆のお姉ちゃんだ」
それを聞いた時に肉にかじりついていたシャロンと同じく肉争奪戦に加わろうとしていたオリーブが同時に咳き込んだ。
「こんな年下の姉がいるわけないわよ! しっかりものの妹って感じかしら」
「あ、シャロンちゃん私の言いたい事を言った~」
「シャロン少尉にオリーブ上等兵まで何を言い出すんですか! からかわないで下さいよ!」
「おねーちゃん、お鍋のお代わり!」
「リタも真似しない!」
「お姉ちゃんも肉食べて」
「テリーまでを何を言うの!」
「お姉ちゃんお鍋のおかわりリタちゃんに渡してね」
「へーゼルさぁぁぁぁん!!!」
流石にからかいすぎたのか怒り出すフィオナ。
どうにか宥めて、宴は続く。
「餅には醤油と海苔の組み合わせが最高です。リタさん、ぷくーと膨れるまで焼いてくださいね」
「膨れるまで? どれぐらい?」
「焦げ目がついたら膨れてきますよ」
へーゼルはリタにそう次げて餅を二人でコンロへと並べていく。
「餅って何で出来てるの? 白いけど」
「米ですよ、アリスさん」
「え、あれで? 米って何でも出来るんだね…前、へーゼルは米で出来たアルコール持ってきたし」
「ええ、ありますとも…実はここにも一本」
へーゼルはいつもとは違う微笑を浮かべると、テーブルの下から大ぶりの瓶を取り出す。
今時、アルコールは貴重だというのにどこから手に入れたのだろうか。
「さ、アリスさんもどうぞ」
「じゃ、じゃ一杯貰うね…へーゼルも飲み過ぎないように」
軽く注意しつつマグカップを差し出すと、シャロンとテリーが食いついてきた。
「なに飲んでますのよ、分けなさいよアリス~」
「私も」
「へーゼルに貰え」
マグカップを傾け、アリスは辛口のアルコールで喉を潤す。
シャロンとテリー、そしてへーゼルも含めて四人でアルコールを口にする。その間、食べてない事になる。
「あ、膨れてきた!」
リタがコンロの餅を見て嬉しそうな声をあげている間、フィオナとオリーブは肉を延々と食い続けていた。
そう、肉を食い続けていた。
「こら、オリーブ! そんなに肉ばかり食べるな! あたしの分がなくなる!」
「ええー。いいじゃない、食べさせてよ~」
「あたしはまだそんなに食べてないの寄越せー」
フォークでそのままコンロをつつき始めるのは行儀が良いとは言えないが、どうやらアリスは酔い始めてきているようだ。
オリーブはやれやれとため息をつきつつ、遠慮なくまだ肉を食べる。
嗚呼、肉食系女子の宴は続くよどこまでも。
「そんなに肉がいいのかオリーブ~」
「アリスだって肉好きじゃない~」
「こんな立派な肉をつけて何を言う!」
「ひゃうんっ!」
アリスはオリーブの背中から手を回して、部隊で一番大きいおっぱいを鷲掴みにする。
その可愛い声にその気になったのか、アリスは「ほうほう」と声を出して優しく揉む。大して歳が変わらぬせいか、体格もほぼ同じ。
それでも胸の大きさだけはいかんともしがたい決定的な格差である。
「アリスさん、何やってますの!」
「シャロン! やーらかいよ。やーらかい」
「そりゃそうでしょうに。どれぐらい?」
「お餅。お餅だね。もう、やーらかい。おっぱいセラピー」
「なるほど。セラピーですのね…」
アリスとシャロンは実に怪しい笑みを浮かべ、オリーブへと飛びついた。
「あらあら」
へーゼルはまったくそれを気にも留めず、テリーに鍋のおかわりはどうかと聞く。
「貰う。お酒に、合う」
「でしょうでしょう? 酒なくして食も語れずですよテリーさん」
テリーとへーゼルのほうもそれぞれアルコールを片手に鍋をつついていく。
どうやらアルコールが入った四人は結構羽目を外しているようだ。
「……ああ、シャロン少尉まで…」
フィオナは盛大にため息をつくと、アルコールが入った四人に絡まれないようにリタと共に少しだけ後退。
「はぁ、今日は色々ありすぎ」
「んー…そうだね」
リタは肉と野菜を満載した皿を片手にそう答えてからフィオナの前に皿を差し出す。
「ほら、フィオナも食べて食べて。アスパラがいい具合に焼けてる。それに」
ついでにもう片方の手にもお皿。こちらには膨れた後に醤油をつけられ、海苔を装備した餅だ。
「これも美味しい!」
「そりゃ美味しいって。餅は焼きたてが一番なんだから」
手を伸ばしてフィオナも一口いただく。ついでに野菜のほうにもフォークを伸ばす。
確かに美味しく焼けている。
「リタって、こういうシンプルな料理は出来るのね」
「得意だからね! 皆の中で一番上手なんだよ? 野菜も肉も、皆、大地の恵みだから」
「……そうねぇ」
フィオナは時々この同い年の少女が解らなくなる。
不確定なものを信じて、時に何か遠くから物事を見つめていて、時に無邪気である。
しかしそんな彼女に悪意が無い事だけは、解っている。
「フィオナ?」
急に黙り込んだフィオナをリタは不思議そうに声をかける。
「な、なんでもないわ」
「……ねぇ、フィオナ。あのね?」
「うん。なに?」
リタはフィオナのすぐ横に椅子を引っ張ってちょこんと座り、そのままぽんぽんと叩く。
体格の小さい二人ぐらいなら並んで座れそうだ。
フィオナはそう考えて座ると、ジュースの注がれたマグカップを差し出される。
「ありがとう」
「今日…夢を見た時がね、凄く怖かった」
「相当怖がってたものね」
「でも、それよりフィオナが危なかったときがもっと怖かった」
「……」
リタの言葉で、クマの恐怖を思い出す。
目の前で振りかぶる、力強い凶獣。それを倒したとはいえ、その恐怖はそうそう拭えない。
「私も」
フィオナは答える。
リタが怖がるのも無理は無いし、それにリタはそれを解っていたのだ。襲撃を。
「でも…リタが言わなきゃ、メリッサさん家はどうなってたか解らない。そっちの方が…」
「それもそうだけど。フィオナがいなくなっちゃいそうだったのが、一番怖かったの」
ぎゅっとリタがフィオナの肩に手を回して抱きついてきた。
幼い身体はぽかぽかと暖かい。フィオナはそっと手を伸ばして、姉のようにその頭を優しく撫でる。
「でも死ななかった。だから大丈夫」
「うん……」
「これからもね」
同い年の二人の少女は互いのぬくもりと無事を確かめ合う。
「もし怖いことがあっても、私がいるから、ね?」
「うん。あたしも、フィオナは、仲間だから」
リタの抱きしめる力が少しだけ強くなった。フィオナもそれに応える。
宴が続く中で、二人はそれぞれお互いを確かめ合っていた。
かくしてクマ騒動はこれにて終結した。
アッシュフォート・スプリングスの平和はどうにか守られ、彼女達の絆は少しだけ強くなる。