プロローグ
世界大戦。
その戦争がいつ始まったのかは定かではなく、記録の残っている八十年前の時点で開戦から数十年とある。たぶん百年以上は続いている。
長い間の戦争は、国による陣営の鞍替えを生み、それへの制裁としての攻撃があれば、その報復の攻撃もある。
全世界に戦火は拡大し、大量破壊兵器による攻撃は大陸の地形すら変え、島を消滅させ、地殻変動を引き起こして新しい島を作り、世界中を荒廃させていった。
そして国々の指導者が何十回となく代替わりし、国中の男という男が徴兵され、世界中の誰もが何のために戦争をやってるんだっけと思い始めた頃。
どこの誰かが言い出したか解らないけれど「もう疲れたから終戦しようぜ!」という言葉と共に、百何十年、記録に残らないほど続いた世界大戦はとうとう終わった。
全世界のそこら中に修復するのは無理だと思わせる程の傷痕を残して。
そして、終戦から二年の時が流れた。
世界大戦で大きな被害を受けた、大陸の北半分と南半分の境界線辺りに、大陸の地形に沿うように細長い楕円形の島がある。
その島の南端に、アッシュフォート・スプリングスという町は存在する。
その名の通り、一年のうち三分の一ぐらいは霧に包まれてしまうほど霧が多く、町の隅にある山々に、大戦時代に建造された多くの砦が放棄されている。
故に、アッシュフォート・スプリングス。灰の砦、という名前は霧に包まれた砦が灰色に浮かんでみえるから。
そしてその、砦のある山々の麓。かつては多くの兵士達が駐屯していた場所に…。
アッシュフォート守備隊は現在もそこに駐屯している。
この物語の舞台であり、物語はここから始まる。
朝七時。
アッシュフォート守備隊駐屯地の食堂に、包丁の規則正しい音が響いていた。
元々大隊規模の部隊が駐屯していた場所なので、食堂は数百人をゆうに収容できる程広く、厨房もそれに答えられる広さだが、今はその片隅しか使っていない。
艶やかさを湛えた長い黒髪を首の後ろで一本にまとめたその少女―――とは言ってももう女性と呼ばれる存在に変わりつつある彼女は玉葱を刻み終えると、しみる目を少し拭ってから玉葱を鍋へと投入する。
ジャガイモ、キャベツ、ニンジンと共にもう少し煮込めばスープは出来上がるだろう。
彼女がそう考えていた時、厨房に一番近いテーブルに置かれていたラジオの、ぷつりという電源の入る音。今ではもう殆ど見かけない、タイマーをセットしておけば自動で電源が入るラジオ。
戦争中にはまだ比較的見かけたらしいが、彼女がここに来てからはこの一台だけが脈々と受け継がれている。
『クラブサンド島の皆さん、今日もおはよう! 皆のお耳の恋人、DJ MITSURUが朝7時をお知らせするぜ!』
「あらあら」
毎日決まった時間に皆を楽しませてくれるラジオDJがどうやって放送しているのか、部隊員達が何度も話の種にするほどの謎だが未だに不明だ。
いちばん長くここにいる、部隊員最年長の彼女も知らない。
そしてこの朝の番組が流れ始めた時間という事は、全員を起こす時間であるという事である。
彼女は厨房から一度出て、食堂の入り口に置いてある機材に向かうと、接続してあるマイクを手に取った。
『ぴんぽんぱんぽーん ぴんぽんぱんぽーん
おはようございます 朝ごはんの時間ですよ
今日は美味しいお米があるので 早く来ないと冷めちゃいますよ
調理担当 へーゼル曹長からお伝えします
朝ごはんの時間ですよ 美味しいお米があります
ぴんぽんぱんぽーん ぴんぽんぱんぽーん』
わざわざ前振りの音まで付けて知らせるのは、そうしないと注目を集めないからである。
それにしてもへーゼル曹長、ノリノリである。
へーゼルがマイクを置いて厨房へと戻り、朝食の準備を続けていると、食堂の扉が開き、へーゼルと同じ黒髪の、だが彼女よりも幼い少女が顔を出した。
「おはようございます! へーゼル曹長!」
「フィオナさん、おはようございます」
フィオナは昨年入隊したばかりだが、色々あってスピード出世して現在伍長と、守備隊ではへーゼルに次ぐ階級に就いている。
幼いながらも、真面目な性格のしっかりもので、皆からは信頼されている。
「手伝いますよ」
「はい。じゃあ、そこのお鍋からご飯をよそっておいて下さい」
フィオナは言われた通りに、厨房の隅で小さな穴から湯気を放つ土鍋の蓋を取り、おたまを使って上手に中を掻き混ぜる。
白い炊き立てのご飯の底には、少し焦げ目がついている。
普通は焦げている部分は美味しくないのが相場だが、何故かご飯の場合、適度の焦げ目ならば美味しくなってしまうという傾向がある。
フィオナが鍋の脇に用意されていた七個のお椀にご飯をよそい終えた頃、食堂の扉が開いて新たな顔を出した。
「へーゼルさん、フィオナちゃん、おはようございます」
「おはよう、オリーブ。だからちゃん付けはやめて。上官に対して…」
「まぁまぁ」
オリーブ上等兵は旧大陸の血が混じっており、そばかすだらけで赤毛の少女だ。
フィオナより年上で軍歴も長いせいか、守備隊の武器庫には彼女の私物と称した銃器や重火器が並んでいたりする。そして彼女自身も精密射撃の天才。でも普段は気さくで優しい子である。
それ故、彼女がフィオナをちゃん付けで呼ぶのも優しさ故と解っているへーゼルは子供扱いして欲しくないフィオナを嗜めるのであった。
「オリーブさんはスープを並べてくださいね。フィオナさんはご飯をお願いします。ベーコンを焼き終わったら、バターコーンを作りますから楽しみにしててくださいね」
「「はい」」
トウモロコシをバターで炒めるだけの、きわめて簡素な料理である。
だけどこのアッシュフォート守備隊では一番の人気メニューだ。理由は甘くて旨いから。それ以外の理由など不要。
フィオナとオリーブがご飯とスープをテーブルに並べていると、ばたばたという足音と共に食堂の扉が開いた。
「うー……ごめんなさい、寝坊しちゃった」
先に顔を出したのは南大陸のほうの血があるのか、赤黒い肌の幼い少女。
「おはようございます」
そして続いて顔を出したのはそれとは対照的に旧大陸の北のほうの特徴の、色素の薄い少女だった。
「リタちゃん、テリーちゃんおはよう」
「まだ十分程度でしょう? そこまで寝坊じゃないし、テリーも一緒じゃない。おはよう、二人とも」
オリーブとフィオナの言葉に、先の「寝坊した」と言ったリタ一等兵はすぐに顔を輝かせる。
ちなみにテリー一等兵の方は表情はあまり変わらない……のだがこれは元からだ。
「はいはい、テリーさんは飲み物を運んでおいてね? リタちゃんはベーコンのお皿をお願い。今日はバターコーンがありますよ」
「コーン!」
へーゼルが食堂の入り口で固まっていた四人にそう声をかけ、リタは嬉しそうにスキップしつつ厨房に入ると、そそくさとお皿を運んでいく。
リタが言うには、トウモロコシは昔から仲間達(=正確には彼女の故郷の民)を支えてきた偉大な食べ物らしい。まぁ、それは否定しないが。
テリーの方は冷蔵庫を開き、氷水の入ったピッチャーを取り出してテーブルの上に置く。
これで朝食の準備は完了。後は人の方を待つだけだ。
そしてへーゼル、フィオナ、オリーブ、リタ、テリーと階級順(最もリタとテリーは同じ階級だが)で並んで座ったときに、食堂の扉がばたばたという音と共に開かれた。
「隊長のあなたが一番遅く来てどうするんですのよ! まったく、貴女には隊長の自覚というものが……」
「眠いの~……シャロンはしつこい、寝かせて……」
文字通り、眠そうな顔をした少女はもう片方に引き摺られながら入ってきた。
二人とも長く美しい金髪と、空のような蒼い瞳をしていて――――この部隊のトップ2である。
「おはようございます、アリスさん、シャロンさん。朝食の準備は出来てますよ」
「うん、おはよう……」
「おはようございます、皆さん」
へーゼルの言葉にシャロン少尉はそう返すと、いつまで経っても眠そうな顔をしている隊長に顔を近づけた。
「……アリス。起きろってんのがわかんねーか? 歯に手ぇ突っ込んでガタガタ言わすぞ? ん?」
いつもの丁寧な口調はどこへやら。
「シャロン素に戻ってる素に戻ってる! 起きる! 起きるから!」
一瞬で眼を覚ましたアッシュフォート守備隊の隊長、アリス中尉は姿勢を正して席につく。
「では、堅苦しい前振りな無しにして、頂きます」
「「「「「頂きます」」」」」
「どうぞ召し上がれ」
ご飯の挨拶は皆でする。アッシュフォート守備隊の数少ない規則の一つである。
「おおう、オコゲ発見」
ご飯の入ったお椀にスプーンを突っ込んだアリスは嬉しそうに声をあげる。
「何かいい事あるかもね」
「まぁ、狙って出来るものではないですものねぇ」
アリスの言葉にシャロンがそう返しつつお椀を見ると、自分のお椀の中にも小さいながらオコゲが入っていた。
そんな話を聞いていたリタがバターコーンを食べていたスプーンを止めて、突然眼を閉じた。
「どうしたの、リタちゃん?」
オリーブがそう問いかけた後、リタはゆっくりと口を開いた。
「アリスは……今日は頭に注意してね。シャロンは、いい事あるかも」
「おいおいリタ。また風の声を聞いていたのか? 残念ながら今日のあたしはその予報は外れだ」
「でも当たる事もありますから、用心に越した事はないですわよ、アリス」
余裕しゃくしゃくのアリスに、シャロンはそう口を挟む。
リタには時々こういう事がある。自然を愛し、世界に感謝することを忘れない彼女は時折「風の声」やら「星の巡り」から仲間達について予言する事がある。
当たるか当たらないかはその時次第だが、守備隊内部ではちょっとした名物のようなものだ。
「あらあら、風さんは今日の私には何か言ってるかしら?」
「んー……へーゼルはね、お魚!」
だいいち、予言は具体性を伴わないものが大半なので普段はこんな単語単位である。そりゃ解るはずもなかった。
皆が朝食を食べている間にも、ラジオからは相変わらずDJ MITSURUのノリの良い声が響いていた。
『今日の天気だけど、相変わらず霧が出るよ? 天気予報担当が言ってるんだから間違いない! だからマットレスをベランダに干したらアウトな』
「いつも思うけどこの天気予報って何処から聞いてくるんでしょうね?」
「おまけにリタちゃんの方が当たるしね」
フィオナの言葉にオリーブがそう続けると、リタは恥ずかしそうに「えへへー」と呟く。
「へーゼルは知ってるー?」
その問題についてアリスが問いかけると、へーゼルは首を左右に振る。
「知らないですね。そもそもこの人のラジオ局が何処にあるのかも解らないですし。終戦する二年前ぐらいから回数は少ないですけどやってたみたいですし」
「……ってことは四年目になるのかー。それで謎だらけってミステリーだなぁ」
アリスは考え込みながらそう言葉を続けて、コップに水を注いで飲み干す。
「あー……ねぇへーゼル。コーヒー」
「はい。他にも飲みたい人ー」
「「はーい」」
アリス以外はオリーブとリタの手が挙がる。まぁ、普段からコーヒーを飲んでいるのはこの三人なのでそれ以外の手が挙がることはまず無いが。
へーゼルは戸棚から煎った黒大豆をすりつぶした粉を取り出して、ポットに入れてお湯を注ぐ。
どう見ても代用コーヒーです、ありがとうございました。
そう、本物のコーヒー豆は、今の世界では相当な貴重品だ。
たった五百グラムで五人家族が家を建て、それに一ヶ月生活できるぐらいのおつりが来るほどの値段になるのだ。
百年以上にわたる世界大戦はありとあらゆるインフラに打撃を与えていき、それはコーヒーのような嗜好品も真っ青な事になるのである。
お陰で、世界中では大豆やタンポポ、かぼちゃの種を駆使した代用コーヒーが当たり前のように飲まれている。コーヒーとはそういう飲み物である。
でも、一度でも本物のコーヒーを口にした経験があれば、代用コーヒーでは不満になってしまう。
特にアリスはそういう奴である。
「うぅ…大豆……」
「嫌なら飲まなきゃいいでしょうに」
アリスの言葉にシャロンがそう口を挟むと、アリスは首を左右に振る。
「一日の始まりは、一杯のコーヒーから始まるんだよ。いつか私は本物のコーヒーを皆に飲ませられる人になるぞ、シャロン」
「その時はアイリッシュ・ウィスキーと一緒でお願いしますね、隊長」
「オリーブさんも調子に乗らない!」
口を挟んだオリーブを嗜めたシャロンは最後の一口を食べ終える。
「ご馳走様。アリス、今日の業務についてなんだけど……アリス?」
コーヒーを飲み終えたアリスはマグカップを置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「えーと、今日の業務について。今日は港の方でのボート訓練だったけどやめ! 理由は霧!」
まぁ、妥当な判断である。たとえ小さな軍用ゴムボートで走り回るだけの訓練でも、霧のせいで方向性を見失えば漂流なんてことになりかねない。
では、代わりの業務はどうするか。
「と、いうことで。フィオナとオリーブとリタには特別任務を命じます」
「なんですか?」
真面目なフィオナが身構え、オリーブとリタも「おおっ」と姿勢を正す。
「新しい代用コーヒーの発見です!」
「なるほど! それは重要な任務ですね!」
「違うでしょうオリーブ上等兵! それ納得しないでくださいよ! 明らかに任務じゃなくて私用じゃないですかそれ!」
きっかり一秒後、敬礼を返したオリーブを止めつつフィオナがそう叫ぶ。
が、そんなフィオナの肩に、リタが手を置いた。
「フィオナ」
「な、何よ」
「大地の事を知るのにはいい事だよ? 私達に新たな恵みを…」
「リタには敵わないわ…わかった、やるわよ…」
フィオナは諦めて首を左右に振ると、敬礼を返した。
「では、その特別任務を拝命しますけど、あまり期待はしないでください」
「そうね。いつものアリスの思い付きですもの…一緒に行くべきかとは思うけど」
シャロンはそこで言いたい事を言って満足したのか、二杯目のコーヒーをへーゼルに要求するアリスを横目でちらりと見る。
「私がいなくなったらこの基地は大変な事になるわ……」
「お察しします、シャロン少尉……」
真面目な二人は顔を見合わせると、同時にため息をついた。
一時間後。
駐屯地の中で一番高い建物である監視塔に、シャロンとテリーの姿があった。
大戦中に最前線になった事はあるものの、常にではなく終戦後に敵の攻撃など有り得なくなった今でも、監視の任務だけは重要だ。
その理由としてはアッシュフォート・スプリングス市民からの要請を逃さない為、である。時として発炎筒などを用いたSOSが来る事も皆無ではないのだ。
それに未成年の少女兵ばかり。不審者の問題もある。
シャロンは制式採用小銃であるG36Kライフルを二挺背負ったまま、監視塔に立つとテリーの方へと向き直る。テリーは拳銃以外は丸腰だ。
「いいですわね、テリーさん。ここでするべき事は何かしら?」
「監視」
「ライフルの切り替えは常に?」
「セミオート」
「市民からの要請は?」
「見逃さない」
「不審者を見たら?」
「手か足を撃つ」
「いいわね……はい、持って」
G36Kライフルを一挺手渡してから、シャロンはもう一度聞き返した。
「ここでするべき事は?」
「射撃練習!」
「…ライフルの切り替えは常に?」
「フルオート!」
「……市民からの要請は?」
「蜂の巣にする!」
「不審者を見たら!」
「蜂の巣にする!」
「本当にお前わかってんのかぁぁぁぁっ! 監視任務だからな、監視任務!」
思わず度を失って叫ぶシャロンを前に、テリーは銃を持っていない時の無表情さとは対照的な怪訝な顔で問い返した。
「えー、じゃ誰を撃てばいいの?」
「すぐには撃っちゃ駄目だってば!」
そう、テリー一等兵の昇進が遅れている理由として、この豹変する性格がある。
普段から無口でコミュニケーションを取るのも苦労するのに、一度銃を握らせてしまえば何故かこんなトリガーハッピーになってしまうのだ。
具体的に言うと部隊に配備されている平和すぎて使い道の無いミニガンを壁相手に乱射しようとしたぐらいに。流石に止めたが。
普段の監視任務でもご覧のように常に銃を持たせておいたらフルオートにして所構わず乱射しそうな雰囲気なので監視任務のたびにシャロンは問答を繰り返すことになる。
シャロンがため息をついていると、格納庫から主に近隣への外出用に使用される1/2トラックが姿を現した。
「許可は取ったの?」
監視塔の上からシャロンがそう叫ぶと、フィオナが「隊長が許可出しました!」とフィオナの返事。
しかし久しぶりに運転するとばかりに、ハンドルを握るオリーブは広い敷地内をしばらくドリフトしたり急ブレーキしたりしながら慣らしていく。
昔は車両を運転するのにもライセンスが必要だったらしいが、オリーブは間違いなく取得できないなと思った。
やれやれ、何も起こらなければよいのだけれど。
シャロンは敷地内から、スピードを落とさずに外へ行こうとする1/2トラックを眺めながらそう考えていた。
そして鳴り響く、銃声。
「逃げる奴は訓練されたイエティだ! 逃げない奴はよく訓練されたイエティだ!」
オリーブ達のトラックが気になっていたのであろうテリーは。
あろうことかG36Kライフルを文字通りフルオートで撃ち始めた。おまけにテリーはその性癖のせいでいつもマガジンをジャングルスタイル。
60発を遠慮なくばら撒き始めたが、オリーブの運転の荒さのせいで命中弾は無いようだ。
「キャァァァァッ! シャロン少尉、テリーを止めてくださぁぁぁぁぁぁい!」
「お前何やってんだぁぁぁぁ発砲すんなって言ってんだろうがぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
フィオナの悲鳴と共にシャロンはテリーの横っ面を思い切り張り倒し、自分のライフルの銃口を突きつけて制止させる。
本当に、この部隊は放っておいたら大変な事になる!
シャロンは、改めてそう確認するのだった。