六話
転機は突然訪れる。
同居を告げたときと同じ気軽さで義母が告げた。
「(義弟)も就職したし、私、そっちに行くわ」
どこからか金を工面して出所はしていたものの、職もなく車上生活中の義弟の子供を預かっている最中である。その子を返すことは覚悟していたが……
内心躍り上がった俺に対して夫は必死に引きとめようとした。
「でも、アザとーちゃんは私にいなくなって欲しいと思っているんでしょ?」
「俺と子供達が出て行きますから、残った方がよろしいんじゃないですか。いっそ義弟たちもここに呼んで暮らせばいいじゃないですか」
繰り返し言うが、夫は自分の弟とソリがあわない。一緒に暮らすなら愛する母親を手放すくらいには……こうして義母は去った。
息子が二年生に上がるころだから結局一年足らずの同居ではあったが、吹き荒れた嵐が去ったことで単純なアザとーは回復に向かい始めた。
そのころ息子はひらがなカタカナは習得できたがどうしても漢字が出来ないということで検査を勧められる。結果はまたもやADHD『傾向』とLD(学習障害)。文字を認識することはできてもそれを手先で再現することが困難なのだそうだ。
「ああ、やっぱり」
文字に興味のない息子ではあったが、アザとーが語る雑学知識に対する理解力の高さは驚くほどであった。就学前にはマイナスという数の概念を理解し、数字が数学上の記号に過ぎないということも理解していた。優性遺伝と劣性遺伝は両親の血液型から生まれてくる子供の血液型を答えられる程度である。
だがアザとーが教えてやれるのはせいぜい高校までの知識。だからこそ書物を手繰って自分で知識を探求するようになって欲しかったのだが……
LDとクラスでのいじめを理由に息子は『情緒学級』というものを勧められる。夫は激怒した。
「うちの子は障害児じゃないっ!」
今日日障害児という言葉は使われない。代わりに使われるのは特別支援という曖昧な言葉。つまり『特別支援学級』である。特に息子は情緒側ということでいずれは普通学級に戻ることを目的に支援をしたいということだった。
もっと具体的に言えばクラスでトラブルがあったときの『退避所』的な?
「俺は真っ当だった。こいつがおかしいのはお前に似たからだ」
特別支援学級への編入を渋々認めた夫の一言に俺は悟った。
(なんだ、俺に似ているのか。それならば問題ないじゃん?)
実を言うとアザとーも小学校時代はいじめられっこだった。いたって普通に振舞っているつもりなのに、どういう訳かからかいのネタにされる。
それでも深刻ないじめに発展しなかったのは味方になってくれる友人達が多くいたからだろう。これまた特に何をした覚えもないのに他学年にまで俺の顔は知れており、顔も覚えていない上級生に頭を撫でられるようなことがたびたびあった。
(味方が居ないわけではなかろう)
幼稚園時代からの友人達は今でも仲良くしてくれている。学年は違っても近所の幼馴染達は同じ学校に居るのだし、孤立することはないだろう。
(それに、勉強だって)
高校のときは赤点大魔王と呼ばれたアザとーだって、こうして何の問題もなく生き延びている。
文字を書くためのツールは何も鉛筆である必要は無い。
(死なない程度には生きていけりゃあいいんじゃん?)
こうしてアザとー式教育が始まったのである。