二話
息子が三歳になったころ、程よく鄙びた現在の地に移り住み、保健所の勧めで子育て支援に参加するようになった。と、言っても田舎で近所に遊び相手がいない子供から発達障害の疑いがある子まで、いわゆる子育てに不安のあるお母さんを支えることがメインであるように感じた。簡単な親子遊びと歌や、時には公園への散策など、そのカリキュラムは実に穏やかなものである。
そんな中で息子は幾たびか簡単な検査を受けた。結果はいつでも曖昧である。特に目立つ遅れは無い。だが多動の『傾向』はある。
ひどい話ではあるが、このころのアザとーは息子に何がしかの診断がつくことを切に願っていた。それも一日も早く。
息子は確かにいい子だ。決して愚鈍なわけでもなく、特別乱暴なわけでもない。ただ少しばかり癇癪を起こしやすく、集中力におかしな偏りの見られる子供ではあったが。
むしろ当時限界を迎えていたのはアザとーの精神状態であった。
夫は大人しく、母親の洋服の裾を握って歩くような子供だったらしい。そんな夫の性質を一つも受け継がなかったうちの息子は世間で言うところの『ごろつき』である夫の弟に似ているといわれ、何かにつけてはその『ごろつき』の幼少時と比較されていた。アザとー的にも息子の気質は自分にではなく、『キチガイ』である自分の弟に似ていると薄々思っていたのだから、彼の明るい未来など思い描けるはずが無い。
それにくわえて、夫の母親は無神経な人間であった。うちの母親は確かにカンが強くて口遠慮のない人間であるからとっつきにくくはあるが、嫁に来た俺に向かって
「お母さんは意地悪な人だから、優しい私の方が好きでしょ?」
と言ってのけたときには空いた口がふさがらないどころか、顎が落ちるかと思った。
一時が万事その調子でアザとーの神経を煽る。母乳を与えている後ろに来ては「そんな気持ちの悪いもの飲ませるのね」。息子に多動傾向があると知ったときは「仕方ないわよ、あのお母さんの血をひいてたら、ねえ」と、ことあるごとにアザとーの神経を逆なでする。しかも全くの悪意が無い顔をしての所業であるから、反論して夫に怒られるのはいつもアザとーである。
唯一の救いは当時は夫の父がこの上なく子供を可愛がっていたことであろう。老人特有の気難しさと騒々しさでテレビの言葉に怒りのツッコミを入れるような義父は夫とその母にはひどく嫌われていたが、アザとーには付き合いやすい人間であった。
孫が来ると落ち着き無い犬のように大はしゃぎして寄ってくる。テレビのCMソングを息子の名前でもじった歌を大声で歌っては夫に怒られる。
「うるさい! お前がそういうことを教えるから、家の息子がキチガイになったんだ!」
語弊のないように言っておく。夫は息子が『多動』と聞いてもさほどの興味はなく、全てを『キチガイ』で片付けてしまっていたがこれこそ偏見による蔑視発言以外の何物でもない。
もちろん字面だけの話をするなら、その単語が放送禁止用語で所によってはフィルタリングされることをアザとーはよく心得ている。それでもここで敢えて使ったのは、これが読者数を当て込んでいないごく日記的なものであるということと、写実性の問題だ。
それにアザとーはこれから先がどう化けるか解らない子供にも、自分が他人と違うことを悩み足掻くものにも決してその言葉は使わない。アザとーがキチガイ呼ばわりするのは、自分が周りに悪影響を及ぼす存在であることを自覚しながら足掻くことさえ止めたたった一人のキチガイに対してのみである。
ともかくも夫は全てをその一単語のみに込め、息子の多動の原因を自分以外の『何か』に求めようとばかりしていた。「お前の育て方が悪い」とは、何度言われたことであろう……
多動のみならず、いわゆる発達障害とは脳の機能上の障害だ。だが特に知的な障害を伴なわない、しかも家の息子のように『傾向』程度の宙ぶらりんな状態にいる子供の場合はとかく世間から誤解を受けやすい。
家の息子は外食のとき座っていられなくてふらふらと立ち歩くような子供であった。「親のしつけが悪い」と怒られたこともあるが、酷な話だ。
アザとーは拙いなりに躾を手放したつもりは無い。店員さんや他のお客さんの邪魔になることを毎回言い聞かせ、子供達をなだめるために折り紙やペン、落書き帖で鞄はパンパンだった。
あまりにも子供達に鍛えられたせいで、電車待ちの間にすいすいとカブトムシを折りあげる俺の手元を覗き込んでいた外国の人が拍手してくれた話は蛇足ではあるが、子供を飽きさせないための努力はした。
ただ、その努力の方向性を問われると確かに母親的ではなかったかもしれない。だが果たして、アザとーが母親らしい子育てをすることが出来ていたら息子はレストランできちんと椅子に座っていられるような子供になれたのだろうか。
そんなことは今となっては解らない。ただ、レストランで騒いでいる子供をきちんと叱っている父親を目にするとき、アザとー最大の失敗は今の夫を選んだことなのではないかという忸怩たる思いに囚われるのだ。