序
神に誓って言おう。アザとーは無宗教の人である……あ、誓う神も居ねぇのか。
もちろん死んだら入る墓は仏式だろうが、許されるならそんなものに入りたくも無い。せっかく死んだんだから神様や仏様に縛られず、いっそ野山にどっぱーっと遺骨を撒いてくれればどれほどにせいせいすることか……
そんな不信仰者のアザとーでも『神の采配』とでも呼ぶべきものを感じることがある。
ご存知の方もおられようが、アザとーはれっきとした子持ちである。上は高校生、下は小学生。この二人は実に、アザとーの下に来るべくして訪れた子供たちなのだ。
もっともそう思えるようになったのはつい最近のことであるが……
アザとーは母親としては失格である。
別に自分の子供が愛せないわけではない。人並みに出産の瞬間は感涙し、この上なく大事な宝だとも思って子育てをしてきた。
だが、普通の母親なら難なくこなせる仕事がからきしなのだ。子供の全てを管理し、忘れ物の無いようにチェックしてやると言うことがこの上ない難事業なのである。おまけにおおざっぱな性格なので『玩具を片付けろ』『決まった時間に寝ろ』『歯を磨いて、着替えが終わったらそれはこっちに……』といった細かな子育てが出来たためしは無い。
代わりに何を教えたかと言えば『自由と言うのは人様に迷惑をかけない範囲でのみ許されている』『礼儀正しくしろ。親しき仲にも礼儀ありだ』などなど……自分で振り返っても一般的にそれをするのは父親の仕事であろうという子育てをしてきた気がする。
漢字の書き取りの代わりに虫の取り方を教え、大雪が降れば大喜びで子供達の先頭に立ってカマクラを作る。新聞紙で剣を作ったうえにダンボールで装備品を組み上げ、子供同士の戦いごっこを煽るという……息子がぽそっと言ったことがある。
「家には父親が二人居る」
正確には子供を三人抱えた昭和のおとんが居るだけだ。
自己中心的で自愛傾向の強い夫は父親足り得ない。子供達よりも声高に自分の要求を喚くばかりだ。子供を養い育てると言う『社会的な』父親の役割はこなせても、それが父親の愛として十分かどうかははなはだ疑問だろう。
その証拠に大泣きしてまで子供を産んだアザとーに最初に彼がかけた言葉は新たな生命に対する賛辞でも、もちろん妻への気遣いでもなかった。
「これ、○○(アザとーの男友達)の子?」
本気で浮気を疑ってのことではない。学生時代の友人で遠くに住んでいる彼と逢引することが物理的に不可能なことも、アザとーが新品で嫁に来たことも彼が一番よく心得ているのだから。
本人は軽い冗談のつもりだったのだろうが、アザとーは、ほんの一瞬あっけにとられ、それから……キレた。後産の痛みすらも忘れて彼に泣いて詰め寄ったのだ。
結果は……
「冗談なのに、なんで怒るのか解らない!」
彼は逆切れして子供の顔もろくに見ずに病院を飛び出していったのだが……その後すぐに訪れた彼の母が事の次第を知っていたと言うことは、行き先は明白である。
そこで彼の母から冗談ごときで取り乱したこと、病院内で喚き暴れた非常識を責められて「ああ、悪いのは俺か」と思ってしまう自分も相当だ……
とにもかくにも、こんな失格母親のもとへ生まれてきた子供だ。多少の不出来は親の責任と思って受け入れようと思っていたのだが、息子が変わり者なのはそのせいだけではなかった。