二
ばしんっ。
激しい音が鼓膜を突き破らんかの如くに爆ぜる。
次の瞬間には、激しい衝撃とともに、その場を弾き出されていた。
固い床で強かに尻を打つ。
「痛ってぇ……!!」
嫋やかだの淑やかだの、およそ女性らしい形容とは程遠い声をあげ、少女は、うめいた。
煌々(こうこう)と辺りを照らすのは、不自然なほどに白い光。
ほとんど無明の夜闇を見つめていた目が、痛んだ。
慣れるまで、二呼吸、三呼吸ほどの時を要する。
慣れてしまえば、そこは、馴染みの部屋――少女の自室であった。
広い。
高校生の少女が一人で占有するには、十分すぎる広さである。
特徴的なのは、壁一面を埋めるように架けられた書架であろうか。
隙間なく並べられた書物に、小説や漫画の類は見当たらない。
無論、彼女だとて、それらを全く読まぬということはない。
が、少なくとも、この部屋に置かれている書物は、そういったものではなかった。
そして、もうひとつ。
この部屋を、女子高校生の部屋らしからず見せる『もの』がある。
「晴明の阿呆」
腰をさすりながら起き上り、少女は、目の前に鎮座する『それ』に向かって、子供っぽい仕草で舌を突き出した。
『それ』は、一見すると、大きな箱庭のようであった。
正方形をしたその一辺が、両の腕に余りそうなほどである。
碁盤の目のように、整然と整った道がついている。
精緻な細工の屋敷が並ぶ。
木々が茂り、川が流れる。
雨が降っていた。
雨の中、大路を、牛の引く車が、ゆっくりと渡っていく。
それは、千年以上も前の、京の姿であった。
生きている。
箱庭の中に配された様々のものが、よくよく見れば、微々細々(びびさいさい)、動いているのである。
雨に打たれた木の葉は落ち、地面へと積もっていく。
不思議のことであった。
だが、少女にとっては、それらは当たり前のことであるらしい。
気にする風もなく、むしろ、変化を楽しんでいる様子でもあった。
箱庭の上を動いていたその視線が、一軒の屋敷にさしかかったあたりで、止まる。
土御門。
そう通称される屋敷であった。
草の茂る庭に面した濡れ縁に、小さな影が動いているのが、見える。
先ほどの少年――晴明であった。
安倍晴明。
言わずとも知れた、希代の陰陽師の名である。
平安の世に、この人ありと恐れられた。
不思議の仕業は、千年を経た今でも、語り継がれている。
その晴明の魂魄を宿した人形であった。
動き、酒を飲むのも、また、道理といえば道理であろう。
晴明の人形と、目があった。
箱庭から少女を弾き出したそのやり方が、些か乱暴に過ぎたと、反省したのだろうか。
晴明が、口元に運ぼうとしていた杯を、横へ置く。
「伊織。怪我はないか」
気遣わしげな声に、少女――伊織は、しかし、そっぽを向いた。
「別に」
棘棘しく、言う。
「人形の晴明の術ごときで、怪我なんて。そんな間抜け、するわけないでしょ」
その返答に、
「ふん」
今度は、晴明の声が、尖った。
「可愛げのないことだ」
それきり、黙る。
伊織の方も、
「どういたしまして」
そう言ったきり、それ以上、話を続けようとはしなかった。
激しさを増した雨に、晴明は、屋敷の奥へと姿を消す。
蔀戸を下す微かな音が聞こえ、それきり、沈黙してしまった。
ただ、雨の打つ音だけが、残る。
やむことなく、いつまでも、いつまでも――。