一
雨が降っていた。
静かな雨である。
時折、暮れかけた空に光が走るのだが、これもまた、音はなかった。
濡れ縁に座し、その雨を凝っと視ているのは、少女かと見紛わんばかりに容姿の整った少年である。
白き顔のうちにある、宝玉のような輝きの黒瞳と、紅を履いたような唇と。
それらが、極めて人の印象に残るようであった。
童姿に淡雪色の水干を着けている。
その傍らに、桜色の花弁の浮いた杯。
内を満たすのは、甘露の酒であった。
ひとり、舐めるようにして飲んでいる。
雨に打たれ、庭の草が、ざわざわと揺れた。
*****
「晴明」
不意に、背後から、少年に、声をかけるものがある。
自分の他に、誰もないはずの屋敷のうちに、突として生まれた人の気。
しかし、晴明と呼ばれた少年は、驚く様子もない。
声は、女性の声であった。
幼い。
いや、声そのものは、年頃の娘のそれであった。
だが、情や艶というものが、微かにも感じ取れぬのである。
故に、幼く聞こえるのであろう。
形よく整った眉を微かにひそませ、少年は、ゆるりとした動きで、振り向いた。
「何か用か」
声が滑り出る。
凛と張りのある声であった。
見目よりもずっと大人びている。
視線の先に、娘がひとり。
年頃で言えば、十七、八。
少年よりも、五つ、六つばかり年嵩のようである。
それでいながら、晴明の物言いに腹を立てる様子もなく、娘は、彼の座す濡れ縁へとあがりこんだ。
衣の濡れるも気にせず、晴明と向き合うようにして、座る。
晴明に、その声をかけるまで、気配を感じさせなかったのだ。
この娘、只者ではない。
そも、娘の身に着けた衣すらも、かつて晴明の目に馴染んだものとは、大いに様子が違っていた。
といって、唐のものとも違う。
やけに体に添い、決して豊満とは言えない胸や尻の線までも、見えるようである。
そのうえ、四肢の半ほどより先は布がなく、完全に肌が露出していた。
晴明のするように膝を立てると、ひらりと布が持ち上がり、腿のあたりまでが曝け出される。
別段、色香があるわけでもない。
とはいえ、通常の男であれば、全き意識の外、というわけにもいくまい。
目がゆくのは、当然のことである。
晴明は、僅か、咎めるような顔つきになった。
しかし、直ぐに思い直し、何も言わぬまま、庭へと視線を戻す。
その耳元が、ほんのりと赤くなっていた。
娘は、含み笑いを浮かべ、晴明を見る。
くすり。
こらえきれぬ笑みの欠片がこぼれ、音と成った。
「ただ、会いに来た。それだけよ」
「戯れ事を」
晴明が、杯を口元へ運ぶ。
「用がないのなら、来るな。ここは、気軽に訪う場所ではない」
鋭い眼光が、娘をとらえた。
最早、それは、少年のそれではなかった。
娘は、自分を睨み据える視線を、はっきりと見返した。
真っ直ぐに、切り結ぶ。
火花の散るのが、見えるようであった。
くらり。
景色が揺れる。
くらり、くらり。
歪みゆく。
地面が、鳴動する。
空が、白く塗りつぶされる。
そうして――……、