あるアパートの上階について
私はかつて古い二階建ての木造アパートに一年ほど住んでいたことがある。
一階の一番、端の部屋に住んでいた私は夜になると上階から聞こえてくる音と声に悩まされていた。
聞こえてくるのは男女四人の声で、四人は二組のカップルで構成されていた。
ただ仲良く談笑している声ならいいが、聞こえてくる声はいつも一組のカップルがもう一組のカップルに怯えている声だった。
何が起きているのか分からないが、怯えている方のカップルは何やら音に怯えていて、下の階の私に助けを求めているようだった。
夜、電気を消して眠りに就こうとすると、上階からドタバタと走り回る音と悲痛な男の叫び声が聞こえる。
「……来る!来る!!」
「やめて!ねぇ、やめて!!」
一体、何が来るのだろうか。
私にはそれが何か分からなかったが、毎日聞こえる悲痛な叫び声と床から鳴る木の音に私はいつも怯えながら眠りに就いていた。
ある日、上階から私に向かって怯えている方のカップルがこう囁いた。
「気付いて…ねぇ、気付いて…」
「お願いします。気付いてください…」
一体を何を気付いてほしいのだろうか…私にはそれが分からなかった。
するともう一組のカップルの女性が笑った。
「…聞いた?気付いてだって!気付くわけないじゃん!」
「いや、下の人は気付くよ。」
いじめられているカップルの男が冷静に答える。
「気付くわけがない。」
再びいじめている方が呟く。
ここで登場人物をA、B 、C、Dと名付けよう。
Aはいじめられているカップルの男でこいつが一番、よく喋るしドタバタと走り回っている。
Bはいじめられているカップルの女性の方でため息がよく聞こえる。
Cはいじめているカップルの男性の方で声は低く、常に冷静で少し恐い。
Dはいじめているカップルの女性でとても気が強く、自己主張が強い。
毎晩、聞こえてくるABCDの声に辟易しながら私は眠りに就いていた。
「ねぇ、下の人、まだ気付いてないよ。」
「はぁ?ヤバくね!?」
AとBが話している。するとCとDが笑った。
「ほらね、気付くわけがない。」
するとAが必死に床を叩いて私に向かって叫ぶ。
「気付いて!気付け!!」
うんざりした私は必死に眠ったふりをして気付かぬふりをした。
やがて毎晩、聞こえるその音と声たちに悩まされた私は引っ越しをすることを決断した。
引っ越し作業をすると上階から再び声が聞こえる。
「引っ越し?」
Cが言うとAとBが叫ぶ。
「嘘でしょ!勘弁してよ!」
「終わった…マジで終わったぁ…」
Dは嬉しそうに私に向かって、「バイバ~イ♪」と言った。
引っ越しまでAとBの悲痛な声とCとDの楽しむような笑い声は聞こえ続けた。
「ついていこうよ。」
「ついていっても終わらないよ。」
時折、そういったやり取りも聞こえた。
そして、ようやく迎えた退去日。
家具や家電を全て積んで運んでもらうと最後に管理会社の立ち会いをした。
空っぽになった部屋を欠損がないか見てもらうと私は担当の人に上階の人について尋ねた。
「あの…上の人って何人で住んでるんですか?」
「上の人ですか?」
担当の人は首を傾げた。
「上の人は誰も住んでないですよ。」
え?
じゃあ、私が今まで聞こえていた声や音はなんだったのだろうか。
「いつから住んでないのですか?」
私がさらに尋ねると担当の人は困ったように言った。
「いや~実は上の階は誰かが入ってもすぐに退去しちゃうからここ半年は誰も入ってないですね。」
じゃあ、私が聞こえていた声と音は一体……
"ついてこいこうよ"
"ついていっても終わらないよ"
あれから別の木造アパートに引っ越した私の部屋からはなんの声も音も聞こえなくなった。
あのアパートで聞こえていた声と音は一体なんだったのだろうか。
そしてAとBはなぜ、CとDに怯えていたのか。
その真相は未だに謎のままだ。
そしてあのアパートではまだAとBはCとDに何かをされていて悲痛な叫びをあげているのだろうか。




