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深夜特急の缶ビール(執筆中)

CWAVE の2026.2/15(日) 21:30-22:00

「みちこの寄り道くまもと話」投稿テーマが「おつまみ」と言うことで、投稿原稿書いてるつもりがこんなストーリになりました。

ラジオで読んでいただくことが目的でもなく、自身の不思議な感覚といただいた「おつまみ」を組み合わせてみました。

ご丁寧にみちこさんが意見までいただいた。

御指摘いただくとは思ってもいませんでした。3遍のストーリを一つにまとめ、記念にアップしておくつもりなのが始まりです。

深夜特急の缶ビール


一、ビールの精霊


「ご乗車ありがとうございます。この列車は、寝台特急サンライズ出雲、出雲市行きです」


無機質なアナウンスが流れ、車体がゆっくりと動き出した。

東京駅のホームに並ぶ人々の姿が、窓の外を流れていく。誰もが家路を急ぐ顔をしている中、**美咲みさき**だけが、どこへ向かうとも知れない旅路についていた。


大学三年の冬。就職活動を目前に控えたこの時期に、美咲は全てを投げ出して列車に飛び乗った。

理由は、ありふれた失恋だ。

三年間付き合った彼氏に、「他に好きな人ができた」と言われた。しかも相手は、美咲のサークルの後輩だった。

怒りよりも、虚無感が勝った。東京にいると息が詰まる。だから、一番遠くへ行ける切符を買った。それだけだ。


「……はぁ」


個室寝台「シングル」の狭い空間で、美咲は深くため息をついた。

車窓の外はすぐに闇に包まれた。街の灯りが遠ざかり、自分の顔だけがガラスに映っている。泣き腫らした目は赤く、メイクは崩れ、酷い顔だ。


「なんか、飲もう」


美咲は東京駅で買い込んだ駅弁と、缶ビールを取り出した。

普段はビールなんて飲まない。苦いし、太るし。でも今日は、酔わなきゃやってられない気分だった。

プシュッ。

小気味よい音が個室に響く。

冷えたアルミ缶の感触。一口目を煽ろうとした、その時だった。


シュワワワワ……。


缶の飲み口から、異常な量の泡が溢れ出した。

「わっ、嘘! 振ってないのに!」

慌ててティッシュを探すが、泡は止まらない。それどころか、重力を無視して上へと昇っていくではないか。

白い泡の柱は、天井近くでソフトボールほどの大きさの塊になり、そこで静止した。


「え……?」


美咲は目を疑った。

泡の塊は、雲のようにフワフワとしていて、時折ポヨンと弾むような動きを見せる。

よく見ると、泡の表面が微妙に隆起し、短い手足のような突起が生まれていた。目も口もないが、全身で「やあ!」と挨拶しているような愛嬌がある。


「な、なによこれ……」


幻覚? ストレスで頭がおかしくなった?

美咲が恐る恐る指で突っつくと、泡の塊――泡モジャは、くすぐったそうに「シュワッ」と音を立てて身をよじった。

指先には、ひんやりとした冷たさと、炭酸が弾ける微かな刺激が残った。

怖くはなかった。むしろ、その間の抜けた姿に、美咲の強張っていた心が少しだけ緩んだ。


「あんた、ビールの精霊かなんかなの?」


泡モジャは、プルプルと震えて肯定した(ように見えた)。

そして、空中に浮かんだまま、ガタンゴトンという列車の振動に合わせて、楽しそうにリズムを取り始めた。


二、思い出の検閲官


「はあ……どうでもいいや。おばけでも何でも、一人よりマシかもね」


美咲は諦めて、少し減ってしまったビールを飲んだ。

苦い。でも、喉越しは悪くない。

アルコールが回ると共に、またあの思考が戻ってきた。

『なんで私じゃダメだったんだろう』

『あの子のどこが良かったの?』


美咲は無意識のうちにスマホを手に取り、フォトフォルダを開いていた。

そこには、元カレ・**健人けんと**との思い出が詰まっている。

笑顔のツーショット。江ノ島の夕日。誕生日のケーキ。

消さなきゃ。わかってる。でも、指が動かない。

消してしまったら、あの三年間が本当に「無駄」になってしまう気がして。


「うぅ……」

また涙が滲んできた時、視界に白いものが割り込んできた。

泡モジャだ。

フワリと降下してきて、スマホの画面の上にドスンと着地したのだ。

「ちょ、ちょっと! 濡れちゃうでしょ!」

美咲が慌てて退かそうとするが、泡モジャはへばりついて動かない。

それどころか、画面上の健人の顔を、自分の体で隠すように広がっていく。


「何すんのよ! 見えないじゃない!」

『見なくていい』

泡モジャがそう言ったわけではない。でも、その行動は明らかに美咲を「守ろう」としていた。

過去という毒から、美咲の目を逸らさせるように。


泡モジャの表面が、スマートフォンのスクリーンのように発光し始めた。

そこに映し出されたのは、健人の顔ではなかった。


それは、窓の外の風景だった。

ただし、今の真っ暗な景色ではない。

昼間の、太陽が降り注ぐ、美しい日本の原風景だ。


――どこまでも広がる青い海。

線路沿いに続く海岸線。波が白く砕け、カモメが飛んでいる。

――山あいの集落。

段々畑に菜の花が咲き乱れ、黄色い絨毯を作っている。

農作業をするおばあちゃんが、通り過ぎる列車に手を振っている。

――鉄橋を渡る瞬間。

眼下に広がるエメラルドグリーンの川。河原で子供たちが石投げをしている。


「綺麗……」


美咲は見入ってしまった。

この列車が今まさに走っている場所には、こんなに美しい世界が広がっていたのだ。

自分の心の闇のせいで見えていなかっただけで、世界は光に満ちていた。

泡モジャは、美咲に教えてくれているようだった。

『スマホの中の狭い過去より、今、窓の外にある広い世界を見ろ』と。


「あんた……余計なお世話焼きね」


美咲が苦笑すると、泡モジャは得意げに「プシュッ」と音を立てて、少しだけ大きくなった気がした。

美咲の胸にあった「執着」という重い塊が、炭酸の泡のように少しずつ溶かされていくのを感じた。


三、高村タカシの短編集


「ねえ、あんたみたいな不思議な生き物の話、読んだことある気がする」


美咲は旅行バッグの中から、一冊の文庫本を取り出した。

旅のお供に買っておいた、**高村タカシ**の短編集『境界線の歩き方』だ。

その中に、「忘れ去られた記憶を食べる怪物」や「悲しみに寄り添う影」の話が出てくる。


「高村タカシって作家、知ってる? 彼の書く物語には、いつも不思議な『隣人』が出てくるの。目に見えないけど、確かにそこにいて、主人公を助けてくれる存在」


泡モジャは、その本の表紙を見ると、懐かしそうに(?)表面を波立たせた。

まるで「ああ、あいつか」と言っているようだ。


「もしかして、あんた高村さんの知り合い?」

まさかね、と笑いながら美咲はページをめくった。

高村タカシのエッセイの一節が目に留まる。


『旅とは、移動することではない。日常という殻を破り、新しい自分と出会う儀式だ。その儀式の最中には、時として不思議な案内人が現れることがある。彼らは言葉を持たないが、雄弁に語りかけてくる。今、あなたの隣にもいないだろうか?』


美咲は顔を上げ、空中に浮かぶ泡モジャを見た。

「あんたが、私の案内人ってこと?」

泡モジャは、フワフワと宙返りをして見せた。

イエス、ということらしい。


「そっか……。じゃあ、案内してもらおうかな」

美咲は缶ビールを掲げた。

「乾杯、案内人さん」

泡モジャも、体の一部を突き出して、缶にコツンと当ててきた。


それからの時間は、不思議と穏やかだった。

美咲が愚痴をこぼすと、泡モジャはその言葉をパクパクと食べる真似をした。

「あいつ、服のセンス最悪だったのよ」

パクッ。

「誕生日にくれたネックレス、金属アレルギーだったし」

パクパクッ。

ネガティブな言葉を吐き出すたびに、泡モジャはそれを美味そうに平らげ、代わりに美しい風景の映像を見せてくれた。

桜吹雪の舞う駅、満天の星空、祭りの灯り。

美咲の心は、少しずつ「過去」から「現在」へ、そして「未来」へと視点を移し始めていた。


四、夜明けのトンネル


「まもなく、夜明けです」


いつの間にか眠っていたらしい。

ふと目を覚ますと、車内放送が入った。

列車は長いトンネルに入ろうとしていた。

ゴーッという轟音が響き、窓の外は完全な漆黒になる。

トンネルの圧迫感が、美咲の不安を呼び覚ます。

これから一人でどうしよう。帰ったらまた独りぼっちだ。

やっぱり寂しい。健人に会いたい。


心の弱さが頭をもたげたその時、泡モジャが動いた。

フワリと美咲の耳元に近づき、体を細かく震わせたのだ。


シャン、シャン、シャン……。


鈴の音だ。

いや、鈴というよりは、氷がグラスの中で触れ合うような、あるいは炭酸が弾けるような、涼やかで清浄な音色。

その音は、轟音をかき消し、美咲の脳内に直接響き渡った。


『大丈夫。もう手放せる』


言葉ではないメッセージが聞こえた。

それは、泡モジャの声であり、高村タカシの本の言葉であり、美咲自身の内なる声でもあった。

執着は愛ではない。それはただの恐怖だ。

恐怖を手放せば、手は空く。空いた手で、新しい何かを掴める。


シャンシャンシャン!

音が最高潮に達した瞬間、列車はトンネルを抜けた。


「あっ……」


眩しい光が個室に溢れ出した。

窓の外には、息を呑むような朝焼けが広がっていた。

東の空が紫色からオレンジ色、そして黄金色へとグラデーションを描いている。

その光を浴びて、海がキラキラと輝いている。

新しい朝だ。

昨日までの悩みなんて、この圧倒的な光の前では塵のようにちっぽけに見えた。


「綺麗……本当に、綺麗」


美咲は涙を流していた。でもそれは、昨夜のような悲しみの涙ではなかった。

古い自分を洗い流し、生まれ変わるための浄化の涙だった。


ふと横を見ると、泡モジャの姿が薄くなっていた。

朝日に溶けるように、輪郭がぼやけていく。

「え、消えちゃうの?」


泡モジャは、最後にニッコリと笑った(ような気がした)。

そして、パンッ! と小さな音を立てて弾けた。

後には、ほんのりとしたビールの香りと、爽やかな風だけが残った。


五、旅の始まり


終点、出雲市駅。

列車を降りた美咲は、ホームの冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

体は軽かった。憑き物が落ちたようにスッキリしている。


「ありがとうございました」


誰にともなく呟き、美咲はスマホを取り出した。

フォトフォルダを開く。

指はもう震えなかった。

「全選択」そして「削除」。

画面から健人の顔が消え、「データがありません」という文字が表示される。


「よし!」


美咲は顔を上げ、駅の売店に向かった。

「ホットコーヒー、一つください」

温かいカップを受け取り、一口飲む。苦味が心地よい。

そういえば、高村タカシのエッセイには続きがあったはずだ。


『案内人と別れた後、旅人は気づくだろう。自分がもう、以前の自分ではないことに。そして、その旅が本当の意味で始まったことに』


美咲は駅の観光案内板を見上げた。

出雲大社、日御碕灯台、宍道湖。

行きたいところは山ほどある。

誰のためでもない、自分のための旅だ。


「次はどこに行こうかな」


美咲はキャリーバッグを引き、改札へと歩き出した。

その顔は、旅を楽しむ冒険者のそれだった。


駅の雑踏の中で、すれ違った男性がふと足を止め、美咲の方を振り返った。

その男性――高村タカシは、美咲の背中に微かな白い泡の残像を見た気がしたのだ。

「……おや。また一匹、いい仕事をしたみたいだな」

高村は嬉しそうに微笑み、手帳を取り出した。

「『深夜特急の缶ビール』……悪くないタイトルだ」


美咲の背中からは、もう悲しみの匂いはしなかった。

あるのは、新しい物語が始まる予感と、ほのかなホップの香りだけだった。


(了)

何らかの縁でこの作品に出会っていただき、後書きまで辿り着いていただいた。

御既得なあなたへ心から感謝申し上げます。

前作がたまたまランキングの末端に載ったを見て、本当に読んでいただいている方の存在を感じました。

これからも活動していく励みになりました。心から感謝申し上げます。

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