心の音
晴太、今年はどうするの? いつものように惰性で二人集まったカフェテリアで、紗奈はつまらなさそうに言う。
頬杖をついて、コップの中の氷をくるくるとストローで掻き回す紗奈。話をする時のその仕草が、彼女の癖なのだと知っているはずなのに、僕は真面目に訊けよとついつい苛立ってしまう。
「せっかくなんだし、集まろうよ」
「ふーん。分かった」
まるで何か文句でもあるかのような頷きに、またもや苛つきが募る。
心の平静を図るため、僕は既に冷め切っていたコーヒーを呷る。砂糖を入れなかったからか、この場の雰囲気と同じくらい苦かった。
紗奈とは、三年前のクリスマスに交際を始めた。もちろん最初の頃から今のような険悪さを孕んでいたわけではなく、毎年のクリスマスに交際記念日としてどちらかの家で二人だけのパーティを開くぐらいには、仲睦まじかったと思う。
けれど、今年に入ってからは違った。僕は今年大学三年生になって、紗奈は一個下の二年生だ。僕の就活活動が忙しくなってしまえば、当然紗奈と過ごす時間も限りが生まれてくる。紗奈はそれがお気に召さなかったようで、「もっと私に時間を使って」と主張をしてきた。僕も僕でその主張に自分勝手すぎるとつい頭に血が上ってしまい、結果大きな喧嘩をする羽目に。
そんな事件があったのが九月の頃。今が十二月初旬だから、三ヶ月も前の話ではあるのだが、この一件のお陰で僕らは俗に言う「倦怠期」を迎えてしまった。
互いに不満があるけれど、言い出せは出来ずただただ苛立ちが募る日々。好きな人とだけは生まれてなど欲しくはなかった、一緒にいるのが辛い時間。
「クリスマスは朝から晩まで空いてるからさ、今まで付き合えなかった分その日一日は紗奈のために費やすよ」
努めて明るい声を出して、紗奈の機嫌を取る。しかし僕の奮闘も虚しく、紗奈は訝しむように眉根を寄せた。
「待って。その日一日って、泊まるんじゃないの? 一昨年も去年もそうだったでしょ?」
「い、いや、申し訳ないけど泊まれないよ。イブは友達と予定があるし、二十六にはインターンシップがある」
あぁまずい。この先の展開には予想がつく。
「何それ。晴太、なんか変わったよね。私をもっと配慮してなんて言うつもりはないけどさ、なんか、自分のことばっか考えるようになった」
ほら来た。就活の忙しさを知りもしないで。
――もう、我慢するのも嫌になってきた。
「どの口が言ってんだよ」
全部言ってやる。
「じゃあ紗奈は僕のこと考えてくれたのかよ。自分のしたいことばっかり言って、僕に何か譲歩してくれたことはあったか。この前のデートだってそうだ、僕を連れ回しただけじゃないか」
売り言葉に買い言葉。紗奈も言い返してきた。
「あれは、晴太を想ってのことだよ! 最近忙しそうだから、気分転換にって」
「取り繕うなよ。買い物の荷物持ちが欲しかっただけだろ?」
言って、僕はその言葉の冷たさに気が付いた。しまった、今のはあまりにも。
紗奈の表情が、一瞬で悲哀に染まる。ドンと、姦しくテーブルが揺れた。
「……ねぇ晴太、今年に入って、一度か私に好きって言ってくれた?」
僕は、答えられなかった。
紗奈はほのかに淋しそうに笑って、「じゃあね」と去っていった。
あぁなんてことだ。やってしまった。これは、本格的にダメなやつだ――。
クリスマス当日がやってきた。あの日から、一度も紗奈には会えていない。何度も謝ろうと連絡を取っているのだが、返事はおろか既読すらつかないのだ。
スマホを眺める。もし今日紗奈に会えなければ、この断絶は決定的なものになるだろう。意を決して、僕はメッセージを送った。
僕が待つ場所は、恋人としての僕らが始まった場所。雑踏と白い息が過ぎていく中で彼女の姿を探す。そうして、しばらく待っていると。
綺麗に団子に結ばれた艶やかな髪。いた。来てくれた。
顔を突き合わせる距離にまで近づいて、気まずい沈黙が生まれる。兎にも角にも謝罪だ。と、僕が口火を切ろうとすると。
「ごめん」
僕よりも先に紗奈が頭を下げてしまった。予想外の行動に狼狽していると、紗奈はゆっくりと話し始めた。
「昨日ね、友達にこっぴどく怒られたんだ。あんたが悪いって。……そうだよね、今晴太は将来が決まる大事な時期だもんね。遊びに現を抜かしていいわけ、なかった」
しおらしく身を縮こませる紗奈。よほど叱られたのか、目元には涙が浮かんでいた。
「僕の方こそごめん。紗奈の言う通り僕は自分のことばかりで、あろうことか君の事を疎ましいとすら思っていた。本当に、恋人失格だよ」
僕も心からの謝罪をする。その後僕らは双方が納得のいく付き合い方を決める、長い長い話し合いをした。こんなに彼女と言葉を交わしたのは久しぶりな気がした。
「あそうだ。はいこれ、クリスマスプレゼント」
話し合いが終わってから、思い出したように紗奈は僕に箱を手渡した。「お返しに」と僕も彼女に手渡す。
箱を開けて、僕らは互いに瞠目した。なんと選んだプレゼントはどちらも色も柄も全く同じのマフラーだったのだ。
驚きののち、二人して破顔する。彼女の笑顔を見て、僕はこの幼気で綺麗な表情に惹かれていたのだと思い出した。
そんな笑顔のまま、彼女は優しく僕に問いかける。
「晴太。私の事、好き?」
「うん。大好きだよ」
心音がうるさかった。この音には、覚えがあった。
三年前、僕の告白が成功した時と、同じ音だった。