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アフリカ人、北を征(ゆ)く  作者: 北浦 寒山
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【二十二】アフリカ人、少女を助ける


 どさっ、と地面に投げ出され、体を打ち付けた衝撃で目が覚めた。


 うッ、と呻く。


 あわてて上体を起こして周囲を見た。

 草で葺かれた壁と半ば崩れ落ちている天井――屋根が見える。


 誰もいないチセの中にいる事は理解できた。


 屋根に開いた穴から月明かりが入ってきている。

 エマリヤが向き直ると、大きな黒い影が眼前に迫ってきた。

 目を見開く。


「助けて! お姉ちゃん! カンガ!」

 立てた両腕で後退りながら声を張り上げた。


 黒い影が肩を揺すってへっへっへ、といびつな笑い声をあげた。


「無駄だよ。誰も来やしねえ。ここを探すのは無理だぜえ」

 喉が潰れたような声だった。エマリヤが影を睨みつける。

「あんたは誰? あたしに何する気?」


 影が月明かりの中に顔を出す。

 鼻のひしゃげた髭もじゃの顔が下卑た笑いに醜く歪んでいる。


「ひへへ、こうして見るとガキとはいえなかなかのもんじゃねえか。くびり殺しちまう前に楽しませてもらうとしようか」

 前へ出る。

「来ないで! 誰か助けて! カンガ!」


 影がまたひっへっへ、と鼻で笑う。

「まだわからねえかい。このマタギの捨三さまはな、またの名を『化けの捨三』と言ってな、気配を消すことが大の得意なのさ。俺が『消え』ちまうと獲物は俺がいることに気づかねえ。おめえも俺が近づいても気づかなかったろ?」

 捨三が黄ばんだ歯をむいて笑う。

「『消えた』まんまおめえを連れてきたからな、俺の後を追ってこられる奴なんざあいやしねえよ。――どうれ」


 捨三が素早くエマリヤにのしかかった。

 強い力で両肩を床に押さえつけられて、息が詰まる。


「何するのよ! やめて! いやあ!」

 首を左右に振って抵抗するが、押さえつけた腕はびくともしない。

 荒く生臭い息が顔にかかる。


 捨三のごつい手が襟元を広げ、エマリヤの白い首にむしゃぶりついた。


「いや! やめて! ああッ!」


 醜く黒い頭が首筋に覆いかぶさった、と思った刹那、捨三の身体がばっと離れた。

 そのままふわりと宙に浮く。


「おわ―――わああ!」


 エマリヤにのしかかろうとした態勢のまま浮かんだ捨三は中空で旋回して、叫び声の尾を引きながら反対側の壁に飛んでいく。

 そのまま竹藪に突っ込むような音を立てて草の壁をぶち破って外に転げ出た。


 大きな黒い影がのしのしとその後を追って外へ出る。

 何が起きたのか理解できない捨三は首根っこを掴まれて再び宙につるし上げられた。

 黒く太い腕が、捨三を捕らえた猫のように高々と宙に差し上げる。


「おご――うげ――が」

「殺すな、とは言われているが、全身の骨をばらばらにするな、とは言われていないんだぜ」


 黒い影がにやりと口元を歪めた。


「カンガ!」

 エマリヤの顔がぱっと輝いた。


「エマリヤ!」

 破れた壁から顔を出したイリカが駆け寄って来る。

「お姉ちゃん!」

 エマリヤが抱き着いた。


「姿が急に見えなくなったから心配したのよ! すぐにカンガたちを呼んだの。二人があっという間に見つけたわ」

 抱きついているエマリヤの頭を撫でながら言った。


「カンガ、あんまり痛めつけると話が訊けん。ほどほどにしておけ」

 近寄ってきたデンババがエマリヤをちらりと見てから言った。

「――もうちょっとやってから、かな」


 歯を見せたカンガがつるし上げた捨三を軽々と背負って床に叩きつけた。

 ぐへあ! とおめいて捨三が胃液を吐き出す。

 カンガの足が腹を蹴り上げる。身体が一瞬浮き上がって再び床に転がった。


 げほげほと咳き込みながら、カンガの手を逃れようとして捨三が地を這った。

 血走った目が黒い男たちを、化け物を見るような眼で見た。


「な、なんで俺の後を見つけられた……。気配は消していたのにぃ……げわッ!」

 カンガが捨三の襟首をむんずと掴むとそのまま捻じり上げた。


「俺たちがアフリカの原野であるかないかもわからない獲物の痕跡を追って何日を狩りに費やすと思っている。お前の通った跡はぷんぷん匂っていたぞ」


 雑巾を投げだすように地面に頭を叩きつけた。

 すでに逃げ出す気力もなく、捨三はなすがままだ。

 デンババが近寄って、先端の尖った棒の先で捨三の顎をくい、と持ち上げた。


「さて、話を聞かせてもらおうか。お前たちはここの土地の者ではないな」


 捨三は一瞬ぼうっとしていたが、棒の先端で首筋をつつかれてはっと目を戻した。

 こくこくと頷く。


「お、俺たちは松前に集められた陸奥国むつのくにのマタギだ。松前の商人あきんど、北見屋の口利きで金で雇われただ」

「金で?」

「あ、ああ。狩りよりも金になる仕事、と聞いてきた」

「その北見屋とやらが、俺たちを殺せ、と言ったのか」


 捨三は首を振った。


「北見屋は人を集めただけみたいだっただ。石狩の河口で直接話をしたのはアイヌの服を着た男が二人だった。名前は知らねえ、一人は髪の毛が紅かった」


 背後でイリカが息を飲んだ。左手で口を押える。

「紅い……髪? ――まさか、サマイカチ?」


 デンババがちらとイリカの顔を見る。

「知っているのか?」

 イリカがぎゅっと眉を寄せた。


「少し、ね。『反長老派』の旗頭よ。なんとなくわかってきたわ。――詳しくは後で話すわね」

 捨三の方をちらりと横目で見て言った。


「お前たちは全部で何人いる」

 デンババが捨三に顔を寄せる。捨三が少し顔を引いた。

「じゅ、十人」


「あそこで何人畳んだ?」

 カンガの方を向いた。

 くうに目をやって、カンガがひのふの、と指を折る。


「五、六人、だと思ったな。一人二人逃げだしたみたいだったが」

「おおむね六人として、二人逃げたとして八人。こいつで九人とすると、――まだ一人二人いるってことか」


 捨三が目を見開いたまま口を曲げた。

 へひひ、と妙な声を出す。


「ひひ、まだ、いるのさ、一人。『()()()()()()』がな」

「誰だと?」


 捨三が顔を引きつらせるように笑った。

「へひひ、彦九は俺たちみたいな並のマタギとは違うぞ。あいつは『人狩人』だ。昔から人だけを獲物にして生きてきた『鬼』だよ。奴に比べたら俺たちなんざ仏様みてえなもんだ。山に入る奴はみんなあいつの獲物だ。あいつに狙われて生き延びた奴はいねえ。お前らも全員死ぬぜ。へっ、ひっひ」


 なおも奇妙な笑い声を上げようとした捨三の頭を、デンババが横から棒で殴った。

 にぶい音がして捨三はぎ、と奇声を上げると横になったまま動かなくなった。


 デンババが立ちあがる。

「長居は無用、という事になるのかな」




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