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アフリカ人、北を征(ゆ)く  作者: 北浦 寒山
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【十六】アフリカ人、少女に助けられる


 二日が経った。


 夜。


 デンババたちが入れられている洞穴牢の外には、見張りの若者が二人いた。

 蔓草の繁った穴の傍らで長い棒を持った二人は顔を突き合わせた。


 じきに初夏になる季節であるとは言え、夜にはまだ冷たい風が強くなる。

 空には月。

 周囲を月光に照らされ白色に光らせたちぎれ雲が濃い紫色の空を次々と流れていく。


 風はざわざわと森を揺らし、山の方からは遠く、エゾオオカミの吠える声が聞こえてきた。


「いやな風だな。この時期にしてはやけに冷てえ」

 灰色の樹皮服アットゥシを着た太りじしの男が言った。

「文句を言うなよツフリ。悪神ウェンカムイに聞こえるぞ。食われてもいいのか。――ちきしょう、なんだってよりによって俺たちがこんな役なんだ」

村長コロクルの言いつけじゃあしょうがねえだろ。パセクル、お前悪神(ウェンカムイ)なんて信じるのか」

 ツフリと呼ばれた男が髭面をにやりと曲げた。


 パセクルが不満げな顔になる。

「お前知らないのか? この山には『出る』んだぞ。年寄り(エカシ)が言っていたのを聞いてないのか。――見ろよこの森、どうも今夜は怪しいじゃねえか」


 言われたツフリが胡乱うろん気な顔で周囲の森を見回す。

 ざざっ、と木々が揺れる。

 二人が少したじろいだ。


「き、気のせいだ、気のせいだっての。くそ、交代はまだなのかよ」

 パセクルが毒づくとがさがさ、と木が揺れる音がする。


「ひ、な、なんだよ! だ、誰かいるのか!」

 大声を出したが語尾が震えているのは隠しようがない。

 ツフリが棒を構える。


 しん、と森が静まった。


「お、おい、エペレじゃねえだろうな。矢は置いてきちまったぞ」

 パセクルの目が左右に動く。

「し、静かにしろ。シタかもしれねえ。――音がやんだぞ」


 二人が茂みに恐る恐る目を向けて、じっと暗い奥を見つめた。


 ざざざっ! と木々が大きくざわめいて、うひひひ、という甲高い声が響いた。


「うわああああ! ウェンカムイだ!」


 ツフリが棒を投げ捨てると脱兎のごとく駆け出す。

「まま、待ってくれ、おおお、置いていくなあ!」

 両手を振り回すパセクルが後を追って必死で駆けて行った。

 ばさばさと藪を蹴立てて足をもつらせながら走っていく。


 二人の悲鳴は徐々に遠くなっていき、やがて消えると再び森は静まり返った。


 がさがさと藪を揺らせて、二つの人影が現れる。

 影の一人はくすくすと笑いながら肩を震わせていた。


「見た? エマリヤ、あれツフリだよ。普段偉そうにしていながらいざとなったらこのザマだもんね。可笑しいったらないわ」

 頭に黒い布を被った少女が笑いながら言う。


「お姉ちゃん、ちょっとやりすぎたんじゃない? 後でばれたらまた村で陰口叩かれるわよ」

 エマリヤと呼ばれたもう一人の少女も黒い布で頭を覆っている。


「かまやしないわよ今更。どうせ普段から白い目で見られてるんだもん。大して変わりゃしないわ」

 姉のイリカが形のいい唇を尖らせた。

「――さて、急ぐわよ」


 ゆっくりと足元を確認しながら洞穴牢に近づく。

 イリカが端から二番目の縦の棒に目を近づけた。


「ここね。一見複雑そうに編んであるけど、ひとつの結び目をほどくと外れるようにできてるのよね」

 月明かりがあるので手元は明るい。

 イリカが結び目から飛び出している蔓を引っ張ると結び目はするするとほどけ、二本の縦棒が露わになった。


「んしょ、っと」

 棒の下を掴んで、ぐっと上に引き上げる。

 上は岩のくぼみに挟まっているので多少遊びがあるのを知っているのだった。

 手前に引くと棒が外れ、人が抜けられるぐらいの隙間が開いた。

 ひょいと中に首を入れる。


「おーい。お二人さあん、――いる?」



『誰か呼んでるな、行くか?』

 横になっていたカンガがむくりと起き上がった。

『――それとも、出たらまずいか?』

 デンババは座ったまま入口の方に目を向けていた。

『外から開けてもらえる分には構わんのじゃないか』


 二人は腰をかがめて入口に近づいた。

 月明かりを背にした人影が二つ見える。


 開いた隙間から外へ出た。

 見上げると月が中空で煌々と照っている。

 久しぶりの外だ。


 カンガがううん、と伸びをする。

『あーあ、狭かった』

『肩がこったぜ』

 デンババが首筋を揉みながら下を見下ろす。


 目の前にいるのは二人の少女だ。二人とも十代後半に見える。

 立ち上がってみると、少女の頭はちょうどデンババの胸の下辺りにあった。


 少女の一人がデンババの顔を見上げてわあ、と小さく声を上げた。

「大っきいんだ背え……。ほんとに黒いんだね」

 白い指先でデンババのむき出しの腕をちょんちょんと突っつく。


 物怖じしないその様子に、デンババは少し感心した。

 

 尻っ端折りをした水夫のなりのままの二人は、他の船員たちのように着物を下ろしておらず、下は褌一丁のままだ。

 原野にいた頃のように、裸に近いなりをしていた方が気分が落ち着くからだった。


 少女が頭に被った黒い布を外すと、下から月光を反射するまばゆい銀色の髪が現れた。

 この国へ来てから、オランダ人以外髪の色が違う人間を見たことがなかったデンババは少し驚いた。

 もっとも、表情はいささかも変わらなかったが。


 デンババが髪を見ているのに気付いた少女がかすかに微笑んだ。

「ああ、この髪の色ね。あたしたちの父親はこの国の人間じゃないの。――ロシア人よ。あなたたちも普通の和人シサムじゃないわね。元々はどこの国から来たの?」


「アフリカ。言ってもわからないだろう。ずっと、ずっと遠い西の国だ」

 デンババが初めて口を開いた。


「あ、言葉、話せるんだ。よかった。喋れなかったらどうしようかと思ってたわ」

 大きな目を少し丸くする。瞳の色も銀色のように明るく見えた。

「アフリカ、かあ。知らない、けど、知りたいな。教えてくれる?」


 デンババはなんと答えていいかわからなかったので、曖昧にああ、と答えた。

 ツフリたちが投げ捨てた六尺程の長い棒が傍らの地面に落ちていたのに気づいた。

 手に取ってくるくると回してみる。

 手ごろな獲物であるように見えた。


 ふと、まだなんの礼も言っていないことに気づいた。


「助けてもらって、すまない。わたしの名前、伝旙。こっちは勘賀」

 デンババが言うと、カンガがひょこりと頭を下げた。

「よろしく。お嬢さん」


 少女がくすりと笑った。

 やけに眩しく見える笑みだった。


「それは和人シサムとしての名前でしょ? 元の名前が知りたいな。ちなみに、あたしはイリカ。ロシア人としての名前は、イリーカ・スヴェルトコワよ。隣にいるのはひとつ下の妹、エマリヤ。正しくはエマーリヤね」


 デンババとカンガが顔を見合わせた。


「デンババだ。――デンババ・ガレ・ナザリ」

「おれ、カンガ。そのまんま。カンガ・ダン・バヤットだ」


「デンババとカンガね、覚えたわ。いつまでもここにいても仕方ないわよね。――とりあえず、私たちの家に来ない?」


 再び二人が顔を見合わせる。

 特に断る理由もない。



 姉妹が先に立って夜道を歩き出した。




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