77 義妹はお兄様を監視したい
「えいっ、えいっ!」
「そうです、お嬢様! その調子です!!」
「ありがとう、テリエ卿。私頑張るわ!」
その日、オルタンシアはなんとヴィリテ公爵家の擁する私設騎士団の訓練場で、素振りに興じていた。
いろいろと悩みながら散歩していたら、副団長のテリエ卿に誘われたのである。
「何かお悩みですか、お嬢様? 健全な精神は健全な肉体に宿るともいいます。是非我々と共に体を動かしましょう!」
魔神、兄や父に迫る危機、社交界、ヴィクトル王子、オルタンシア自身の今後について……と頭を悩ませていたオルタンシアは、テリエ卿の勧めに従ってこうして素振りを始めたのだ。
(うふふ、やっぱり体を動かすって気持ちいいのね! 後でチロルのお散歩にも付き合おうかな!)
オルタンシアが握るのは軽い木剣だが、何度も何度も振りかぶるのはなかなかの重労働だ。
「もっと声を出して!」
「ヤーッ!」
「さぁ、共にマッスルを目指しましょうぞ!」
「キャー! お嬢様お気を確かに!!」
遠くからパメラの悲鳴が聞こえ、オルタンシアは何だ何だと振り返る。
見れば、パメラが顔をひきつらせてこちらへ駆けてくるところだった。
「テリエ卿! お嬢様になんてことをさせてるんですか!」
「お言葉ですがパメラ殿、こうして筋肉を鍛えれば多少の悩みなど吹き飛びます。どうです? パメラ殿もご一緒に――」
「結構です! お嬢様がムキムキマッチョになんてなったらジェラール様だって泡吹いて倒れますよ!」
「でもパメラ、お兄様も『もっと体幹を鍛えた方がいい』とおっしゃっていたわ」
「絶対そういう意味じゃないですよ!」
パメラに泣きながら懇願され、もうすぐレッスンの時間が近づいているのもあり、オルタンシアはぶんぶんとテリエ卿に手を振って訓練場を後にした。
「またいつでもいらしてください。お嬢様の筋肉を立派に育て上げてみせましょう!」
「ありがとう、またよろしくね!」
「お嬢様~」
「あはは、大丈夫よパメラ。いい気分転換になったわ」
テリエ卿の言う通り、体を動かしたことで頭がすっきりし、気分が前向きになる。
(うん。くよくよ下を向いてばかりじゃダメだよね。何が起こっても大丈夫っていえるように、気持ちだけはしっかり持たないと)
「次の授業は奏楽だったよね。少し練習するから、パメラも聞いてくれる?」
「はい、もちろんです! お嬢様の演奏、私とっても好きなんです……」
「ふふ、ありがとう」
今のオルタンシアの傍には、たくさんの支えてくれる者たちがいる。
皆がいるから、頑張れる。だから、オルタンシアはオルタンシアの大事な者たちを守りたい。
(魔神だか何だか知らないけど、思い通りにはさせないんだからね……!)
あらためてそう決意し、オルタンシアはぎゅっと拳を握り締めた。
◇◇◇
(……よし、お兄様の周りに変な人はいない!)
女神様によると、魔神がジェラールをつけ狙っているらしい。
……というわけで、オルタンシアはこっそりとジェラールの周りを監視していた。
現在、オルタンシアはこっそりとジェラールの執務室の扉の陰から、彼の仕事ぶりをチェックしていたのだが――。
「……用があるなら入ってこい」
「…………はい」
一息ついたジェラールは、普通にそう声をかけてきた。
どうやらバレてないと思っていたのはオルタンシアだけで、ジェラールはオルタンシアの存在に気づいていながらあえて無視していたようだ。
仕事に一段落ついたところで、とりあえず妹の奇行の理由を確認しておこうと思ったのかもしれない。
「えっと……少し、お兄様とお話ししたいと思って……」
おずおずとそう口にすると、ジェラールは表情を変えずに頷いた。
「わかった」
ジェラールから正式に許可を貰ったので、オルタンシアは執務室のソファに腰掛けた。
ジェラールも執務机から離れると、オルタンシアの正面の席に腰を下ろす。
「お兄様、最近周りで変なこととか起こってないですか?」
「お前がこそこそと嗅ぎまわるような真似をしていることくらいだな」
「うっ……私はいいんです! お兄様がまたご無理をされていないか、チェックしてるんですから!」
慌ててそう誤魔化したオルタンシアは、ふとジェラールの顔色に気づいた。
いつも冷たい無表情で、もともと色白の彼の顔色を判別するのは中々に難しいのだが……今の彼は、いつもよりもどこか精彩を欠いているような気がする。
「お兄様、ちゃんとごはん食べてますか? 夜も眠れてますか?」
「……お前が気にすることじゃないだろう」
(否定しなかった! ってことは、あんまり調子よくないのかな……)
オルタンシアは初めて公爵領に足を踏み入れる少し前のことを思い出した。
あの時は、ジェラールの不調を気遣った父に彼を仕事から離れさせてほしいと頼まれたのだった。
今のジェラールも、あの時と同じように何らかの不調を抱えているのかもしれない。
「お兄様、私にできることがあったら何でも言ってくださいね! 私だって、コンスタンにいろいろ教えてもらいましたから! 頼りにしてもらっていいですからね!」
オルタンシアが胸を張ってそう言うと、ジェラールは驚いたように目を丸くした後……苦笑した。
「……あぁ、頼りにしている」
「本当ですからね? お兄様。あっ、ちょうどいいからティータイムにしましょう! パメラ、準備をお願いできる?」
「もちろんです、お嬢様」
「あっ、それでね……」
リラックス作用のあるハーブティーを淹れて欲しいと小声で頼むと、パメラはルンルンと嬉しそうに準備に入った。
(今のお兄様は公爵家のお仕事だけじゃなく騎士団の仕事も忙しいだろうし……少しは、リラックスしてほしいな)
せめて今のこの時間だけは彼に休憩を取らせようと、オルタンシアは半ば強引にジェラールをティータイムに引きずり込んだのだった。




