3 今日から即席公爵令嬢です
「初めまして、オルタンシアお嬢様。お嬢様の教育係を担当させていただきます、アナベルと申します」
「…………はじめまして」
……今のところ、何もかもが一度目の人生と同じように進んでいる。
公爵邸へと足を踏み入れてすぐに、教育係となるアナベルという女性と引き合わされた。
(本当は「はじめまして」じゃないんだけどね……)
実は一度目の人生(?)でもアナベルはオルタンシアの教育係を務めていた。
アナベルはキラリと光る眼鏡の奥から、侮蔑交じりの視線でこちらを見据えている。
彼女はヴェリテ公爵家傘下の由緒正しい貴婦人であり、オルタンシアのような躾のなっていない妾腹の娘が大っ嫌いなのだ。
(一度目の人生では、これでもかっていうくらいビシバシしごかれて、何度涙を流したことか……)
くどくどとこの屋敷で過ごす際の注意事項と、公爵令嬢としての心得を説くアナベルに、ついついため息が出そうになってしまう。
「まぁまぁ、アナベル。オルタンシアも疲れているだろうし、まずは食事にしようじゃないか」
父の取りなしもあって、アナベルのお説教から解放され食堂へと通される。
(はぁ……それにしても懐かしいな)
正直、この屋敷にいい思い出はあまりない。
けれども妃候補として王宮に上がってからは、不思議とオルタンシアはこの屋敷に帰りたくて仕方がなかった。
(まさかこんな風に一度死んでから戻って来るなんて、思ってもみなかったけどね……)
「オルタンシアお嬢様、こちらへどうぞ」
席に通され、すぐに食事が運ばれてくる。
祈りの言葉を唱え、何の気はなしに食事を進めていると……父が驚いたようにこちらを見ているのに気が付いた。
いや、それだけではなく……。
(え、みんなこっち見てるけど……なんで!?)
よく見ると、父だけじゃなくて、アナベルや他の使用人も目を丸くしてこちらを見ているではないか。
(……あれ、私なにかまずいことしちゃいました!!?)
内心あわあわしていると、目を丸くした父がぽつりと問いかけてきた。
「驚いたな……オルタンシア、食事のマナーが完璧じゃないか。いったいどこで習ったんだい?」
…………そうだった!
一度目の人生のこの時点――公爵家に引き取られたばかりのオルタンシアは、もちろん貴族の食事のマナーなんて知らなかった。
公爵邸に着いて最初の食事の場であるここでみっともない失敗をして、アナベルや他の使用人には「躾のなっていない山猿のようですね」と盛大に嫌味を言われたものだ。
アナベルに馬鹿にされながら血の滲む苦労をして、何とかマナーを会得したのだが……
(どどど、どうやって誤魔化そう!!?)
まさか正直に「未来で殺されて過去に戻って来たみたいです」なんて言うわけにはいかない。
「あ、あの……」
うろうろと視線を彷徨わせていると、離れた席に座っていた義兄ジェラールと視線が合ってしまった。
その途端絶対零度の視線に晒され、オルタンシアは体の芯から凍るような心地を味わった。
(ひぃ、怖! とと、とにかく何か言い訳しないと……! 助けてお母様!)
天国の母に助けを求めた途端、急にピキーンとアイディアが降って来た。
もしかしたら、これで切り抜けられるかもしれない。
できるだけジェラールを視界に入れないように顔を上げ、オルタンシアは大きく息を吸うと堂々たる態度で嘘をつき通す。
「実は……お母様が教えてくださったのです」
(よし、おかしくは……ない、はず!)
オルタンシアの母は恋多き人で、ヴェリテ公爵の他にも幾人かの貴族の男性と懇意にしていたようだった。
だから、母に教えてもらったという体で貴族と食事する際のマナーを会得していても、おかしくはないはずだ。
(……たぶん)
ドキドキと返答を待っていると、父は優しく微笑んだ。
「……そうか、ベルナデットが……。もしかしたら彼女は、将来こうなることを見越していたのかもしれないな」
そう言って、父は感傷モードに入ってしまった。
その様子を見て、オルタンシアは心の中で安堵のため息を漏らす。
……ジェラールの様子を確認しようかとも思ったが、怖くてそちらは向けなかった。
(……よし! なんとか切り抜けられたみたい!!)
その後も何度か話を振られることはあったが、オルタンシアはしどろもどろになりつつも何とか言葉を返すことができた。
一度目の人生とは違い、失敗を咎められることもなく、オルタンシアは公爵家に来て初めての食事を無事に終えることが出来たのだった。