175 二人のお兄様
裂け目から現れたジェラールは、まっすぐにオルタンシアを見つめている。
彼はそのままオルタンシアの目の前までやってくると、床に転がっていたオルタンシアを優しく抱き起こす。
そして、言い聞かせるように告げた。
「約束通り迎えに来た」
その言葉で、こちらに向けられる視線ではっきりとわかった。
彼はオルタンシアと長い時間を共に過ごした……まぎれもなく「義兄の」ジェラールであると。
――「不確かな未来を必要以上に案じても仕方がない。それに、お前がどこに消えようとも……」
――「必ず迎えに行く」
運命を変える直前に彼と交わした会話が脳裏に蘇る。
……あの時の言葉通り、ジェラールはこんなところまで迎えに来てくれたのだ。
「お兄様、お兄様……!」
胸の奥から様々な感情があふれ出し、オルタンシアはジェラールに縋りつくようにして泣いてしまった。
そんなオルタンシアの背を優しく抱きしめながら、ジェラールはそっと囁いた。
「帰るぞ、シア」
その言葉でオルタンシアがどれほど歓喜したか、きっとジェラールにはわからないだろう。
運命が変わって、この世界にやって来てからずっと心のどこかに穴が開いたような気分を味わっていた。
もうオルタンシアの帰る家はないのだと、自らの手で消してしまったのだと思うと悲しくてたまらなかった。
だがジェラールは、そんなオルタンシアを迎えに来てくれた。
一緒に帰る場所があるのだと教えてくれた。
それだけで……何もかもが満たされるような気がしたのだ。
泣きぬれた顔で何度も何度も頷くオルタンシアを、ジェラールがそっと抱き上げようとする。
だがその途端、制止の声が飛んできた。
「待て……!」
それは紛れもなく、ジェラールの声だった。
今オルタンシアに触れているジェラールではない、この世界の、義兄ではないジェラールの声だ。
「っ……!」
弾かれたようにオルタンシアが振り返ると、この世界のジェラールがよろよろと立ち上がるところだった。
「何者だ、貴様は……。オルタンシアをどうするつもりだ……!」
この世界のジェラールは敵意に満ちた瞳でやって来たジェラールを睨みつけている。
服装の差異などはあれども、二人の容姿は瓜二つだ。
だが満身創痍のこの世界のジェラールに対し、オルタンシアを迎えに来たジェラールはまるで不快な虫でも見るかのような目でもう一人の自分を見つめている。
(というか、どうしてお兄様が二人いるの……!?)
元の世界のジェラールが迎えに来てくれた感動で気づかなかったが、よく考えればジェラールが二人いるのはおかしいではないか。
オルタンシアは父と母の運命を変え、その結果公爵家の歴史も変わった。
心を凍らせた義兄ジェラールは両親と妹に愛されるジェラールになったはずなのに、なぜ元の世界のジェラールがここに存在しているのだろうか。
……どちらかが、偽物なのかもしれない。
オルタンシアはすぐにそう察した。
普通に考えれば、消えたはずの義兄ジェラールがいきなり現れるのがおかしいように思えるが……。
(……違う、このお兄様は本物だ)
本能的に、わかるのだ。
今オルタンシアの傍にいるジェラールは、共に長い時を過ごした「兄」なのだと。
だが、この世界のジェラールが偽物だとも思えない。
混乱するオルタンシアに、この世界のジェラールが手を伸ばす。
「こっちへ来い、オルタンシア! そいつから離れろ!!」
「ぁ……」
オルタンシアは戸惑ってしまった。
この世界のジェラールは、孤独なオルタンシアに手を差し伸べ確かに救ってくれたのだ。
「オルタンシア!」
必死な形相のこの世界のジェラールに、オルタンシアの心は揺れる。
だがその途端、オルタンシアの迷いを察知したかのように背後からぐっと強い力で抱き寄せられた。
「聞くな、帰るぞ」
元の世界のジェラールが、言い聞かせるようにそう口にする。
だがこの世界のジェラールも黙ってはいなかった。
「黙れ偽物! 俺のオルタンシアをどこへ連れて行くつもりだ!」
「俺のオルタンシア、だと……?」
その途端、元の世界のジェラールの機嫌が急降下したのがはっきりとわかった。
背後から感じるのは、おそろしいほどの殺気と威圧感。
だがそれが向けられている相手はオルタンシアではない。
まるで合わせ鏡のようにそっくりな、もう一人のジェラールに対してだ。
「戯言を。オルタンシアは貴様の物ではない。思いあがるな」
まるですべてを凍らせる吹雪のように冷たい声で、元の世界のジェラールはそう言い放つ。
この世界のジェラールは一瞬気圧されたような顔をしたが、すぐに果敢に睨みつけてきた。
「何をごちゃごちゃと……! とにかくオルタンシアを返せ!」
ついにこの世界のジェラールは、傍に落ちていた剣を手に取った。
実力行使に出るつもりなのだ。
「待ってください、ジェラール様!」
オルタンシアは思わず悲鳴を上げる。
このままでは大変なことになってしまう……!
「下がっていろオルタンシア。お前を巻き込みたくはない」
「ですがっ……」
オルタンシアはなおも言い縋ろうとしたが、背後からぐい、と肩を押されたたらを踏んでしまう。
「どいていろ。すぐに終わらせる」
そう言って前に出てきたのは、オルタンシアを迎えに来た元の世界のジェラールだ。
「お兄様、この方は……決して悪い人ではなくて……」
「少し黙らせるだけだ」
手荒な真似はしないで欲しい、というオルタンシアの意図は伝わっているのか、ジェラールは淡々とそう言い放つ。
だがその瞳は、鋭い視線でこの世界のジェラールを睨みつけていた。
緊迫した空気の中、睨みあう二人のジェラール。
……先に動いたのは、こちらの世界のジェラールだった。
彼は素早い動きで元の世界のジェラールへと斬りかかる。
(お兄様っ……!)
オルタンシアは心の中で悲鳴を上げ、思わず足を踏み出そうとしてしまった。
だが、その前に勝負はついた。……ほんの一瞬で。




