173 豹変
「マルグリット……!?」
突如現れたマルグリットに、ジェラールは驚きの声を上げる。
だがマルグリットはその声を気にすることなく、ずかずかと室内に踏み込んできた。
抱き合うような体勢のジェラールとオルタンシアを間近で目にし、マルグリットはますます眼を吊り上げた。
「……こんなところにいたのね、オルタンシア」
「お嬢様、これは――」
「よくも私の前でこんな真似ができたわね! この尻軽女!!」
マルグリットはヒステリックにそう叫ぶと、強い力でオルタンシアの腕を掴み、ジェラールから引き剥がすように引っ張った。
更にマルグリットは大きく腕を振り上げ、オルタンシアが何か言う前にその頬を激しく打ったのだ。
「っ……!」
「やめろ! マルグリット!!」
痛みと衝撃でオルタンシアはよろめき、ジェラールが慌てたように間に割って入ってくる。
だがそれでも、マルグリットは止まろうとしなかった。
「あんたみたいなのを屋敷に入れたのが間違ってたわ! このっ……!」
「いい加減にしろ!」
更にオルタンシアを殴りつけようとしたマルグリットを、ジェラールが突き飛ばした。
きっとジェラールからしたら、存分に手加減をしたのだろう。
マルグリットは背後に尻もちをついただけで済んだのだから。
だが彼女は、信じられないといったように大きく目を見開き、目の前の兄を凝視している。
「お兄様……? どうしてオルタンシアを庇うの? そいつはお兄様をたぶらかす悪魔みたいな女なのよ?」
「……悪魔はお前の方だろう、マルグリット」
ジェラールの言葉に、マルグリットは息をのむ。
「な、なにを言っているの、お兄様……」
「俺が何も知らないとでも思ったのか」
ジェラールの言葉に、冷たい瞳に、何よりも自身に向けられたその気迫に……マルグリットはオルタンシアへの折檻がジェラールに露見したと悟ったのだろう。
「わっ、私はただオルタンシアを躾けてやっただけです! お兄様を誘惑するような恥知らずな女なのよ!? 他の男にも同じことをしているに違いないわ! お兄様は騙されているんです!!」
ぎゃんぎゃんと喚くマルグリットを、ジェラールは冷めた目で見下ろしている。
「私はオルタンシアの腐った性根を叩きなおそうとしただけ! お兄様の……お兄様のためにそうしたの! 私は悪くないわ! 悪いのは全部オルタンシアよ!!」
オルタンシアを睨みながら、マルグリットはなおもそう言い放つ。
そんな妹の態度に、ジェラールはぞっとするほど冷たい声で告げた。
「……マルグリット。俺は今まで、お前の度を過ぎたわがままには目を瞑っていた。普段はそんな態度でも、お前の芯にはヴェリテ公爵家の者としての矜持が根付いていると思ったからだ。だが――」
一度言葉を切ると、ジェラールはちらりと背後のオルタンシアへ視線をやる。
「お前がオルタンシアにしたことは、どんな言い訳をしようと許されないことだ。まずはヴェリテ公爵家の跡継ぎとして、お前のような者をヴェリテ公爵家の一員だと認めることはできない。俺が当主になった暁には、勘当も辞さないと覚悟しろ」
「っ……!」
ジェラールの厳しい言葉に、マルグリットの顔色が一気に青褪める。
「そしてこれは……俺自身、ジェラールとしての言葉だ」
「お兄様……」
マルグリットが縋るような目をジェラールに向ける。
だがジェラールは、その視線を斬り捨てるように言い放った。
「オルタンシアは俺が初めて愛した相手だ。そんな存在を理不尽に痛めつけ、挙句の果てには耳に堪えない言葉で罵るようなお前を……俺は軽蔑する」
「っ……!」
マルグリットは呆然とした表情で、それでもジェラールを見つめ続けていた。
「……どうして? どうしてそんなことを言うの? 私はお兄様の妹なのよ。大切な家族のはずでしょう? なのにどうして、私よりもそんな庶民の女を庇うの?」
……これだけ言われても、マルグリットはわかっていないのだ。
ある意味で、彼女は貴族らしい思考の持ち主なのかもしれない。
マルグリットは高貴なる貴族令嬢で、オルタンシアは孤児院出身の庶民の娘。
いついかなる時でさえ、オルタンシアよりも自身の方が価値がある存在だと信じて疑っていないのだ。
だが、ジェラールはそうではない。
彼は激情を抑えるようにぐっと拳を握り締め、突き放すように告げた。
「たとえ血縁がどうであれ、オルタンシアを傷つけたお前を俺は妹だとは思わない」
「っ……!」
マルグリットとオルタンシアは同時に息をのんだ。
――「黙れ、公爵家の恥さらしめ。……俺は一度たりとも、お前を妹などと思ったことはない」
一度目の人生で、ジェラールに言われた言葉が脳裏に蘇る。
あの時オルタンシアが感じた絶望を、今まさにマルグリットは味わっているのだろう。
「……して」
ぽつりと、乾いた声でマルグリットが呟く。
「どうして、どうして、どうして……」
まるで壊れた人形のように、マルグリットはひたすらにそう繰り返している。
……もしかしたら、彼女の心が壊れかけているのかもしれない。
「お嬢様……」
「放っておけ」
声をかけようとしたオルタンシアを、ジェラールが制止する。
「それよりも、きちんとした手当の方が先だ。医務室へ行くぞ」
そう言って、ジェラールがオルタンシアを抱き上げようとしたその時――。
「どぉしてよぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
鼓膜が破れそうなくらいの金切り声が部屋中に響き渡り、それと同時にものすごい衝撃に襲われた。




