167 きっと、耐えられるはず
翌朝、夜明けよりも早く起床したオルタンシアはさっそく昨晩干しておいたドレスの下へと向かう。
(天気も良かったし乾いているよね。このペースならなんとか間に合いそう……!)
そんな希望をもってやって来たオルタンシアだったが――。
「なっ……!」
干していたドレスが目に入った途端、オルタンシアは足を止めてしまった。
(そんな、嘘……!)
昨晩最後に見た時には、何の異常もなかったのに。
だが目の前で風に揺れるドレスには……一目でわかるほどに泥の汚れが付着していたのだ。
(昨晩は雨も降っていない。このあたりには水たまりもないし、どうして……)
こんなの、誰かが作為的にやったとしか思えない。
いったい誰がそんなことを。
いや、原因を考えている暇はない。
今はとにかく、もう一度洗い直さなければ……。
「あらあら、ひどい有り様ね」
その時背後から聞こえてきた声に、オルタンシアは戦慄した。
「お、嬢様……」
ゆっくりと振り返ったオルタンシアの目に映ったのは、まるで愉快でたまらないとでもいうような笑みを浮かべたマルグリットの姿だった。
「私の大切なドレスをこんなに泥だらけにして……いったいどういうつもりなの?」
まるでいたぶるようにそう言いながら、マルグリットは一歩一歩こちらへと近づいてくる。
だがその顔に浮かんでいるのは怒りではない。
オルタンシアを責め立てるのが楽しくてたまらないという、愉悦の表情だった。
そんなマルグリットを見て、オルタンシアは悟る。
(ドレスを汚したのは……マルグリットお嬢様自身なんだ……)
そもそもいつもならオルタンシアやパメラが起こさないといつまでも寝ているマルグリットが、夜明け前のこの時間に使用人でなければ足を踏み入れることはないこの場所にいるのがおかしいのだ。
すべてはマルグリットの自作自演。
オルタンシアを貶めるために無理難題を言い渡し、こんな妨害工作をしてまで。
……彼女は、オルタンシアを罰しようとしている。
その執念深さに、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
「お兄様が目をかけるなんてどれだけ優秀なのかと思ったけど……とんだ思い違いだったみたいね」
意地悪く口角を上げながら、マルグリットはそう口にする。
「私の大事なドレスをこんな風にした罰、受けてもらうわよ」
「…………はい」
オルタンシアは震える声を絞り出し、頷いた。
マルグリットには何を言っても無駄だとわかっていた。
――「……困ったことがあったら俺に言えと言っただろう」
昨夜、ジェラールがくれた言葉が蘇る。
きっと彼に言えば、この状況をなんとかしてくれるだろう。
だがそれはジェラールとマルグリットの不和を招き、ヴェリテ公爵家の平穏を壊す引き金となってしまうかもしれない。
(そんなこと、できないよ……)
元の世界で、ジェラールが苦しんでいるのをオルタンシアはよく知っている。
幼少期に家族の愛を得られなかった彼は、今でも他人の愛し方がわからない。
自身の幸せがどこにあるかも、きっとわからないのだ。
(元の世界ではママと私がお兄様の……ヴェリテ公爵家の幸せを壊してしまっていた。だから、この世界では守らないと……)
オルタンシアがどれだけ理不尽な扱いを受けようとも構わない。
……きっと、耐えられるはずだ。
「さぁ行くわよ」
マルグリットは乱暴にオルタンシアの腕を掴み、どこかへと連れて行くつもりのようだ。
重い足取りでその後に続くオルタンシアは、それでも救いを求めてしまう。
――『 目 を 覚 ま せ 』
――『 シ ア 』
(お兄様……)
もしもどこかに、オルタンシアの大好きな義兄のジェラールがいるのなら。
(助けて、お兄様……)
まるで檻に閉じ込められたようなこの状況で、オルタンシアはそう願わずにはいられなかった。




