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161 あなたの世界の一部でありたい

 その後は何事もなく、馬車は公爵邸への帰路を進んでいく。

 オルタンシアは今日の朝よりは幾分か穏やかな気分で、ジェラールと二人馬車に揺られていた。

 相変わらず沈黙がその場を支配していたが、不思議とそこまで苦痛にはならなかった。

 そんな中、ジェラールが唐突に口を開く。


「おい」

「はい!」


 オルタンシアは慌てて背筋を伸ばし、ジェラールを見つめた。


「やる」

「…………?」


 相変わらず端的な言葉に戸惑っていると、ジェラールは何かを握った手をオルタンシアの方へ差し出した。

 慌てて受け取ろうとてのひらを差し出したオルタンシアの下へ、ころりと落ちてきたのは――。


「っ……! これ……シャングリラの花ですか!?」


 オルタンシアのてのひらに鎮座しているのは、シャングリラの花を模した美しいブローチだった。


(もしかして、植物園で購入したのはこれ……?)


 となると、これはマルグリットへのお土産なのだろう。

 こちらに手渡したということはマルグリットへ渡せということなのだろうが、オルタンシアはどうしてもおせっかいを焼かずにはいられなかった。


「……差し出がましいようですが、ジェラール様自らお渡しされた方がマルグリットお嬢様はお喜びになると思います」


 オルタンシアとしては、ヴェリテ公爵家の更なる幸せのために自然とそう口にしたつもりだった。

 だがその言葉を聞いたジェラールは、瞬時に不服そうな表情を浮かべる。


「……なぜマルグリットが出てくる」

「マルグリットお嬢様へのお土産ですよね?」

「違う」


 あっさりと否定され、オルタンシアは驚いてしまう。

 そんなオルタンシアに、ジェラールは念を押すように告げる。


「お前にやると言ったんだ。マルグリットに知られればあいつが騒ぐのは目に見えている。見つからないようにしろ」

「………………え?」


 ジェラールが口にした内容を、オルタンシアはすぐには理解できなかった。

 だが困惑している間に、馬車は公爵邸へと帰り着いてしまう。


「行くぞ」

「は、はい!」


 ジェラールが馬車から降りたので、オルタンシアも慌ててその後に続く。

 屋敷に帰り着いてしまえば、もうジェラールと行動を共にする理由はなくなる。

 オルタンシアは通常の業務に戻るように指示され、どこかふわふわした足取りで持ち場へと戻った。

 今朝からの一連の出来事が、まるで夢のような気がした。


(実は私の妄想とか白昼夢だったりしない……?)


 だがそっとポケットに手を入れると、確かな感触がある。

 ……ジェラールがくれたシャングリラの花のブローチが、今日の出来事は決して夢ではないと教えてくれるのだ。





 その夜、オルタンシアはさりげなくパメラに尋ねてみた。


「ねぇパメラ。ヴェリテ公爵家の使用人って、王都の情勢とかいろいろな知識や教養があった方がいいのかな……? そういう研修とかってあるの?」


 そんなオルタンシアの疑問に、パメラは明るく笑って答えてくれる。


「あはは、そんなに心配しなくても大丈夫だよ! そりゃあ実際に執務に携わるような人だと幅広い知識が必要だろうけど、私たちはただのお嬢様のお付きだし! 難しい知識よりお嬢様の好みを覚える方が重要だよ~」

「そうなんだ……」

「そうそう、あらたまった研修とかはなし! 実戦で覚えていくって感じかな。もちろん私がついてるから大丈夫だよ!」

「……ありがとう、パメラ」


 パメラに礼を言い、オルタンシアは寝る態勢に入る。

 すぐにパメラのベッドの方からは穏やかな寝息が聞こえてきたが、オルタンシアはなかなか寝付けなかった。

 そっとベッドサイドの引き出しに手を伸ばし、中の物を取り出す。

 ……ジェラールがくれた、シャングリラの花のブローチだ。

 オルタンシアはこのブローチをもらったことを、マルグリットにもパメラにも告げていない。


(パメラの言い方だと、ヴェリテ公爵家の使用人として雇われた人が皆、今日みたいにお兄様の視察に付き従うわけじゃないんだ……)


 てっきりオルタンシアは今日の出来事も使用人教育の一環なのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


(じゃあ、お兄様が私を連れて行った理由は私が泣いていた場面を見たから? それに、使用人にブローチを渡すなんて……)


「マルグリットには見つからないようにしろ」と言っていたことから考えても、使用人全員に渡しているわけではないのだろう。


(だったら、どうして……)


 考えれば考えるほど、思考は沼にはまっていくような気がした。


(お兄様は優しい方だから、やっぱり泣いていた私を元気づけようとしてくださったのかな……)


 ジェラールとしては、ただの気まぐれだったのかもしれない。

 だが今のオルタンシアにとっては、その気まぐれな優しさが何よりも有難かった。


 知っているようで知らない世界。

 元の世界ではずっと傍にいたのに、オルタンシアのことを知らない人たち。

 そんな生活で、思ったよりもオルタンシアの精神は擦り切れていた。

 ……あの一人で泣いていた夜も、限界だったのだ。

 だがジェラールは、そんなオルタンシアを見つけ、救いの手を差し伸べてくれた。

 それがどれだけオルタンシアにとっての救いになったか、きっと彼は知らないだろう。


(お兄様……)


 彼のことを考えるだけで、胸が熱くなる。

 そっと触れたブローチの感触が、あの時間は夢ではなかったと思い出させてくれる。


(この世界での私はただの使用人。元の世界みたいにお兄様に近づきたいなんて、望んではいけないけど……)


 それでも、そっと彼を見守ることくらいは許されるだろうか。

 ここはジェラールが望んでいた幸せな世界。

 公爵夫妻に、マルグリットが今のジェラールの家族だ。

 だが、ほんの片隅にでもいいから……オルタンシアはジェラールの世界の一部でありたいと願ってしまった。

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― 新着の感想 ―
お互い一方通行やんなぁ、そこが美しいんだけども
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