155 幸福の象徴
その後のことは、あまりよく覚えていない。
気が付けばオルタンシアは、パメラととともに与えられた部屋へと戻って来ていた。
「ふぃ~、今日も疲れたぁ。オルタンシアはどうだった? 私から見れば初日とは思えないほどしっかりできてたよ!」
上機嫌に声をかけてきたパメラの様子から考えるに、大きな失敗などはしていないようだ。
だが晩餐の場での光景を思い出すだけで、じくじくと胸が痛むのを止められない。
(私が、私の存在がヴェリテ公爵家の歪みの象徴だったんだ……)
ヴェリテ公爵と歌姫ベルナデットが出会ってしまったからこそ、公爵家に不和が生じた。
二人の子どもである(実際は違ったようだが)とされていたオルタンシアは、まさしくその不和の象徴だ。
二人が出会わなければ、公爵家には平穏で温かな幸せがあった。
オルタンシアが必死に探さなくとも、ジェラールの幸せは最初からここにあったのだ。
そんな現実を突きつけられ、胸が苦しくてたまらなかった。
「明日も頑張ろうね! おやすみ~」
「……おやすみなさい、パメラ」
パメラに就寝の挨拶をして、ベッドに横になっても……とても眠れる気がしなかった。
(……運命を変えたのは正しかった。公爵夫人も健在で、お父様もお元気で、何よりだもの)
何度も何度も、自身にそう言い聞かせる。
……そうしなければ、身勝手な想いがあふれ出しそうになってしまう。
こみ上げてきた感情を押し殺すように、オルタンシアはぎゅっと目を瞑った。
◇◇◇
「今日は街にお買い物に出かけようと思うの! オルタンシアもついてきて!」
今日も自由なマルグリットは、身支度をしている最中に思いついたかのようにそう宣言した。
「ですがお嬢様、本日は音楽と詩のレッスンの予定が入っております」
オルタンシアはそう言ってみたが、マルグリットはまったく意に介さないとでも言うように笑っている。
「い・い・の! 音楽と詩なんかよりも、新しい靴が欲しいの! あと今度仕立てるドレスにあう宝石も見ておきたいのよね。それと――」
マルグリットの言葉を聞きながら、オルタンシアは昨日パメラが教えてくれたマルグリット専用の衣裳部屋の中身を思い返してみた。
……靴も、宝石も、オルタンシアの目から見れば十分すぎるほどの量が揃っている。
今から新調しなくとも、いくらでもなんとかなりそうだとは思うのだが――。
「……お嬢様はどのような品をご所望ですか」
「そうね……銀の靴が欲しいわ! 綺麗な宝石やリボンの装飾がついた、とびっきりの可愛いのが!」
「それでしたら、衣裳部屋の中にいくつかお嬢様の気に入りそうなものがございますが――」
「嫌よ!」
マルグリットが眼を吊り上げそう声を上げたので、オルタンシアはびくりと肩を跳ねさせる。
「衣裳部屋にあるのは古い物じゃない! 私は新しいのが欲しいの! 一番新しくて一番素敵な物じゃないと駄目なの!!」
衣裳部屋の中にある物も、きっと一度着用しただけ……もしかしたら一度も着用したこともない物も混じっているのかもしれない。
美しく手入れのされた物ばかりだったが、それでもマルグリットのお気には召さないようだ。
「馬車の用意をお願い、オルタンシア。もちろんできるわよね?」
「……承知いたしました」
にっこりと笑顔で威圧され、オルタンシアは静かに頭を下げた。
昨日、パメラに言われたのだ。
マルグリットは少々わがままな性格で、数回諫めても考えを変えない場合は素直に言うことを聞くしかない。
あまりにも苦言を呈しすぎた者は、マルグリットに嫌われ解雇されてしまう……と。
(私はまだ、ヴェリテ公爵家の皆のために何もできていないもの)
まだ、ここを追い出されるわけにはいかないのだ。
マルグリットのわがままっぷりは気になるが、今すぐどうにかできる問題でもないだろう。
静かにマルグリットの下を辞し、オルタンシアは馬車の手配に奔走するのだった。
「ふふーん! 楽しみね!!」
馬車に乗ったマルグリットは、上機嫌に鼻歌を歌っている。
引きこもり気質のオルタンシアはあまりこのようにして街に出ることもなかったのだが、パメラによるとマルグリットはオルタンシアとは対照的に、街に出ての買い物が大好きなのだとか。
事前に予定を組んであるのならともかく、その場の思い付きで他の予定が入っていてもこうして出てきてしまうのだから困りものなのだという。
マルグリットに指名されたオルタンシアは、本日予定されていた教師への謝罪やスケジュール調整はパメラに任せ、こうして随行することになった。
オルタンシアの仕事はマルグリットが何か買った際の荷物持ちや、公爵家への請求書の作成や管理だ。
そこまで難しい仕事ではないが、昨晩のことを引きずっていたからかどうにも気分が落ち込んでしまう。
(マルグリットは、皆に愛されてるんだな……)
公爵夫妻が彼女を溺愛しているのは明らかだ。
あのジェラールですらも、マルグリットのことを大切に想っているようだった。
アナベルのように彼女の奔放さに苦言を呈する者もいるが、それも愛ゆえだろう。
(私にはできなかった。お父様とお兄様をあんな風に幸せにはできなかった……)
しょせん偽物の公爵令嬢だったオルタンシアには、土台無理な話だったのだ。
どれだけ頑張っても、公爵家をめちゃくちゃにしていただけなのかもしれない。
考えれば考えるほど、自己嫌悪でどうにかなりそうだ。
(でも、今はマルグリットがいる)
皆に愛され、幸せを振りまく本物の公爵令嬢。
彼女こそが、公爵家の幸福の象徴だ。
「なぁに、オルタンシア。何か気になることでもあった?」
オルタンシアの視線に気づいたマルグリットが、きょとんと愛らしく首をかしげる。
オルタンシアは慌てて誤魔化した。
「えっと……本日はどちらに行かれますか?」
「うふふ、まずはソルシエールでしょ。それからベル・エテルネルに行くの! 知ってる?王都で一番の靴屋よ。それから――」
嬉しそうに行き先を話すマルグリットに、オルタンシアはふっと表情を緩める。
(マルグリットは皆に愛され大切にされている……。だったら、私も精一杯マルグリットに尽くさないと)
きっとそれが、今のヴェリテ公爵家のためなのだから。
そう決意し、オルタンシアは気を引き締めた。




