153 同じようで違う世界
「マルグリットお嬢様が希望された通り、あなたにはお嬢様のお付きとして奉公してもらいます。指導役がつくので、しばらくの間は彼女に仕事を教わるように」
「……わかりました」
メイド長がオルタンシアを伴ってやって来たのは、使用人ホールだった。
さすがのオルタンシアも公爵令嬢だった時は足を踏み入れたことのない場所だ。
新鮮さを覚えながら周囲を見回していると、メイド長が聞き覚えのある名を呼ぶ。
「パメラ! パメラはいますか?」
(えっ、パメラ!?)
驚くオルタンシアの前で、奥からパタパタと走って来たのは――。
「はい、ここに!」
元の世界でオルタンシアのお付きだったメイド――パメラがそこにいた。
(パメラ……!)
もはや懐かしさすら感じるその姿に、オルタンシアは涙が出そうになってしまう。
やって来たパメラはメイド長の背後のオルタンシアに気づき、目を丸くする。
「あれ、その子は……もしかして新人さんですか!?」
パメラとしては、当然の反応だったのだろう。
だがオルタンシアはその言葉に存外ショックを受けてしまった。
(やっぱり、私のこと覚えていないんだ……)
オルタンシアが公爵家に引き取られてすぐに、パメラはオルタンシアのお付きのメイドになった。
それからは文字通りずっと一緒にいたのだ。
オルタンシアにとってパメラは家族同然の大切な存在だ。
だが、この世界での彼女は……オルタンシアのことを覚えてはいない。
いや、きっとこれが初対面なのだから、そもそもオルタンシアのことを知らないのだ。
「新しくお嬢様付きとして採用されたオルタンシアです。あなたの後輩となりますので、しっかり指導するように」
「わっ、私の後輩!? わぁ、嬉しいな!」
「これ、パメラ! ヴェリテ公爵家の使用人たるものもっと落ち着きを――」
オルタンシアはぼんやりと、メイド長にたしなめられるパメラを眺めた。
「よろしくね~、オルタンシア!」
にっこりと笑うパメラに、オルタンシアは泣きたいような気分になって……慌てて表情を悟られないように頭を下げた。
「……よろしくお願いいたします。パメラ……さん」
「あはは、パメラでいいよ。これから一緒に働く仲間なんだもん。ね?」
「はい……」
パメラは優しく、これが他の新人だったらさぞや安堵したことだろう。
だがオルタンシアは、奇妙な居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。
(いつか、この場所にも慣れるのかな……)
オルタンシアがよく知っているようで、何もかもが少しずつ異なっている世界。
果たして自分はここで、うまくやっていけるのだろうか。
そんな不安がさざなみのように胸の内に広がり、オルタンシアはぎゅっと指先を握り締めた。
「わぁ! 似合ってるよオルタンシア!」
さっそくお仕着せに着替えたオルタンシアを見て、パメラは歓声を上げた。
オルタンシアも顔を上げ、正面の鏡に映る自身の姿を眺める。
自分でも驚くほど、どこにでもいる使用人の一人にしか見えない。
きらびやかなドレスを身に纏い、「公爵令嬢」として暮らしていた頃よりもよほど身の丈に合っているような気もした。
(……これが、正しい世界だったのかな)
そもそも、オルタンシアが公爵令嬢として引き取られたのが間違いだったのかもしれない。
実際にオルタンシアは父とは血がつながっておらず、ただの庶民の娘でしかなかったのだから。
(だったら、私にできることは……)
たとえ運命が変わる前の世界だとはいえ、オルタンシアは公爵家に引き取られてから多くの者に守られ、慈しまれ育ってきた。
だから、どんな形であれその恩返しをしたい。
成り行きとはいえ公爵家で働けるようになったのだ。
今のオルタンシアにできることなどたいしてないだろうが、少しでも公爵家の役に立ちたかった。
「……ご指導よろしくお願いします、パメラ」
そう言うと、パメラは驚いたように目を丸くした。
「わっ、オルタンシアはしっかり者だね。私も先輩として頑張らないと!」
ひとまずは屋敷内を案内してくれるというパメラに続いて部屋を出る。
「まずは私たちの部屋だね。オルタンシアは私と相部屋だよ!」
やって来たのは、地下にあるメイド用の寝室だ。
公爵令嬢の私室とは比べようもないほどに狭いが、オルタンシアが幼いころに暮らしていた酒場や孤児院の部屋に比べれば、なんて広くて立派な部屋なのだろうと思わずにはいられない。
(さすがはヴェリテ公爵家……)
偶然とはいえここで働けるようになったのは運がよかったのかもしれない。
オルタンシアはあらためてそう実感した。
使用人の居住区画の案内が終わると、いよいよ屋敷の表部分の紹介が始まる。
「ここが図書室。マルグリットお嬢様はあまり立ち寄らないから私たちには縁がないかもね」
(そうなんだ……。意外だな……)
「こっちはお嬢様の第三衣裳部屋! マルグリットお嬢様ってこだわりが強いから、ご要望にぴったり合うドレスを探すのが大変なんだよ~」
「わぁ、すごい量……!」
衣裳部屋に足を踏み入れて、オルタンシアは驚いた。
王都で一番のブティックでも開けそうなくらい、所狭しとドレスがひしめいていたのだ。
(私もとんでもない量のドレスを持ってたけど、マルグリットは更にその上を行くんだ……)
これが第三衣裳部屋というのだから、同じような部屋が最低でもあと二つはあるのだろう。
そのあまりの量の多さに、オルタンシアは眩暈がするほどだった。
「この前なんてドレスの整理だけで一日が終わっちゃって……、お嬢様って絶対に自分のドレスを手放さないものだから、そろそろ第四衣裳部屋が必要になるかも」
「そ、それは大変だね……」
オルタンシアも多くのドレスを所持していたが、小さくて着られなくなったものや、あまり着る機会がないものなどは寄付したり仕立て屋に引き取ってもらい、新たな持ち主に譲るものだと教えられ、その通りにしてきた。
それを一着たりとも手放さないとなると……パメラのような使用人の気苦労は計り知れないだろう。
(私もパメラの役に立てるように頑張らなきゃ)
ずらりと並べられたドレスに圧倒されつつも、オルタンシアはそう決意する。
次なる場所に向かって廊下を歩いていると、不意にパメラが足を止めた。
「あ、この声は――」
耳を澄ませてみれば、近くの部屋から聞き覚えのある声が響いてくる。
「いいですか、お嬢様。淑女たるものいついかなる時も――」
「もぉ、アナベルはしつこいなぁ。そうやってガミガミ言ってばっかりだと皺が増えるよ?」
「お嬢様! なんて言い草ですか!」
耳に届くのは、アナベルとマルグリットのやり取りだ。
おそらくは、元の世界でオルタンシアが受けていたようなレッスンの最中なのだろう。
「ちょっと覗いてみよっか」
小声でそう囁くと、パメラはこそりと開いた扉の陰から室内を覗き込む。
オルタンシアも慌ててその後に続いた。
「まったく、既に社交界デビューも済まされた身だというのに嘆かわしい。そんな風ではいずれ相手にされなくなりますよ!?」
「そんなことないわ! 知ってる? 毎日毎日私に元にあらゆるところから招待状が届くの! みんな私に夢中なのよ! この前の宮廷舞踏会ではヴィクトル王子とも踊ったのよ! すごいでしょ!」
「……お嬢様。皆はお嬢様自身を見ているのではなく、『ヴェリテ公爵令嬢』というお嬢様の立場を見ておられるのです。あまりに常識はずれな振る舞いを繰り返せば、まともな者は去っていきろくでもない者ばかりがお嬢様の周囲に残ることになりますよ」
口を酸っぱくしてそう諫めるアナベルに、マルグリットは不服そうに口をとがらせている。
「アナベルの意地悪! 私はみんなに愛されているから大丈夫よ!」
「わっ!」
マルグリットがこちらに走って来たので、パメラとオルタンシアは慌てて柱の陰に身を隠した。
幸いにもマルグリットはこちらの存在には気づかず、反対方向へ走っていった。
「まったく、お嬢様は……」
後を追うようにして部屋から出てきたアナベルが、走り去るマルグリットの背中を見て大きくため息をつく。
(……アナベルは意地悪をしているんじゃなくて、マルグリットのためを思って厳しくしているはず。でも、それはマルグリットに伝わっていないんだ)
かつての自分を思えば、オルタンシアも偉そうなことは言えないだろう。
だが本意が伝わらないアナベルの心中を思うと、歯がゆさを覚えずにはいられなかった。
「おや、あなたがたは……」
マルグリットとは違い、アナベルは柱の陰のパメラとオルタンシアに気づいたようだ。
「お嬢様のお付きのメイドですね。まだレッスンは完了していないので、お嬢様を見つけ次第戻ってくるようにお伝えください」
「はっ、はい! 承知いたしました!」
「まったく、公爵様も奥様もマルグリットお嬢様に甘すぎます」
ぶつぶつ言いながら、アナベルはマルグリットが消えた方向へと歩いていく。
彼女が角を曲がったところで、パメラは大きくため息をついた。
「あちゃー、お嬢様はまたアナベルさんに反発かぁ」
「……よくあることなの?」
「そうなのよ、なんというか相性が悪いのかな。アナベルさんも悪い人じゃないんだけどね」
「…………うん」
それはオルタンシアもよくわかっている。
マルグリットがオルタンシアの話を素直に聞いてくれるかどうかはわからないが、今度「アナベルはあなたのためを思って厳しくしている」と伝えよう。
「さて、私たちもマルグリットお嬢様を探しに行きますか!」
そう言って微笑むパメラに、オルタンシアはそっと頷いてみせた。