151 不幸な身の上
父を死の運命から救うために、オルタンシアは時間をさかのぼり父と母の出会いを変えた。
本当に、ただ父を助けたい一心だったのだ。
……二人が出会うという出来事を変えたことで、その後の運命が大きく変わるなどと思ってはいなかった。
どうやらオルタンシアは父と血のつながった娘ではなかったようで、過去から戻ってきた今もこうして存在することができている。
だがその一方で、ヴェリテ公爵家では大きく運命が変わったようだ。
「あっ、わかったわ!」
オルタンシアの目の前で、快活に笑う一人の少女――マルグリット。
彼女が……今のヴェリテ家の「公爵令嬢」だというのだから。
「あなた、私のメイド募集の話を聞いて来てくれたんでしょ!?」
ずい、とマルグリットに詰め寄られ、オルタンシアは狼狽してしまう。
「えっと……」
「『公爵令嬢』ってそういうことよね! 大丈夫よ、私はちゃんとわかってるから。ふふ、同じくらいの年のメイドが欲しかったのよ!」
一方的にまくし立てると、マルグリットはぐい、とオルタンシアの腕を引き、門の内側へと招き入れた。
「お嬢様、危険です! まだ何者かもわからないのに――」
門番は慌てたが、マルグリットは気にすることはないというように笑っている。
「大丈夫よ。彼女、武器も何も持っていないただの女の子だもの。ねぇお兄様」
マルグリットがジェラールに話を振り、オルタンシアはどきりとしてしまった。
ちらりとジェラールの方へ視線をやると、じっとこちらを見つめる彼と目が合ってしまう。
「っ……!」
その視線は、いつもこちらに向けられる暖かなものではなかった。
まるで探るような、警戒するような冷たい視線だったのだ。
思わず視線をそらしてしまったオルタンシアに、ジェラールは呟く。
「……問題ない。その女が公爵家の敷地の中で狼藉を働こうものなら、すぐに後悔することになるだろう」
脅しともとれるその言葉に、オルタンシアは思わず息をのんだ。
……ジェラールの性格は変わらない。
無慈悲ともいわれるほどの冷徹さを持つ、公爵家の守護者だ。
だが運命が変わる以前は、その抜き身の刃のような威圧が直接オルタンシアに向けられることはなかった
(他の誰かに向けられたオーラにあてられることはあったが)。
彼はいつも、オルタンシアを「守るべき存在」として扱ってくれていたのだ。
(でも、今は違う)
今のジェラールにとって、オルタンシアは公爵家に押し入ろうとした不審者でしかなく。
……彼が守ろうとしているのは、オルタンシアではなくマルグリットなのだ。
(彼女が、今の公爵令嬢……)
オルタンシアは、上機嫌でぐいぐいと手を引っ張るマルグリットを見つめた。
ジェラールと同じ銀の髪。マルグリットは表情豊かなので一見するとわかりにくいが、よくよく見れば顔立ちもジェラールに似て美しく整っている。
……彼女は、オルタンシアと同じようにどこかから引き取られた娘なのだろうか。
それとも、彼女は……。
オルタンシアが連れてこられたのは、公爵邸の一室だった。
屋敷の内部は、オルタンシアが暮らしていた時と大きく変わりはなかった。
だが細かいインテリアの雰囲気など、違和感を覚える箇所もあった。
……おそらくは、統括している人物が違うのだろう。
「ふふ、じゃあ座って」
マルグリットに促され、オルタンシアはおずおずと椅子に腰かける。
対面の席にはマルグリットが腰を下ろし、その傍らにジェラールが立っている。
まるでマルグリットを守るように傍に控えるジェラールの姿に、オルタンシアの胸はずきりと痛んだ。
(……そこは、私の場所だった)
運命が変わる前まで、ジェラールに守られていたのはオルタンシアだった。
だが今、オルタンシアとジェラールの間には確かな物理的な距離が、そしてそれ以上の心理的な距離がある。
彼にとって今のオルタンシアは、守るべき家族でも何でもない。
ただの他人でしかないのだ。
あらためてそう気づかされ、オルタンシアは泣きそうになってしまう。
(私、なに弱気になってるの……。運命を変えて、お父様を救えたんだから……)
そう自分に言い聞かせても、すぐに気持ちを切り替えることはできそうになかった。
「えっと、そうね……まずはあなたの名前を教えて」
正面のマルグリットにそう声をかけられ、俯いていたオルタンシアははっと顔を上げる。
彼女はにこにこと屈託のない笑みを浮かべ、純粋な目でオルタンシアを見つめていた。
……どうやら彼女は、オルタンシアのことを「公爵令嬢お付きのメイドを募集している話を聞いて公爵邸を訪れた」と思っているようだ。
ここで「違います」などと言えば、それこそ不審者として治安隊に引き渡されてしまうだろう。
それに……今のオルタンシアに、他に行く場所などないのだ。
マルグリットがそう勘違いしてくれているのなら、できる限りそれを利用させてもらおう。
そう決め、オルタンシアはゆっくりと口を開く。
「……オルタンシアと申します。先ほどは勝手がわからず、大変な失礼をいたしました」
「オルタンシア! 素敵な名前ね! 出身はどちら?」
マルグリットにそう尋ねられ、オルタンシアは一瞬言葉に詰まってしまう。
(私は七歳の時に公爵家に引き取られて、それからずっとここで暮らしてきた……)
だがそれは、運命が大きく変わる前の「元の世界」での話だ。
この世界でのオルタンシアは公爵令嬢ではない。
だとしたら――。
「……アルノン孤児院から参りました。生まれた時から父はおらず、母も私が幼いころに亡くなっています」
きっと公爵家に引き取られなければ、オルタンシアはずっと孤児院で暮らしていたことだろう。
当然、成長すれば孤児院を出なければならないので、今のようにどこかで――もしかしたら公爵家で働こうと考えたかもしれない。
そんなことを考えながら精一杯怪しまれないような回答を口にすると、マルグリットは気の毒そうに手で口を追った。
「まぁ……! とても苦労をされてきたのね。私も他の孤児院に慰問に訪れたことがあるの。あなたのような不幸な身の上の子を迎えることができてうれしいわ」
――不幸な身の上。
その言葉に、どきりと鼓動が音を立てる。
……マルグリットがそう思うのも当然だ。
彼女は大きな屋敷で最高級のものに囲まれて育っている公爵令嬢。
一方今のオルタンシアは、粗末な服を着て他に行く当てもない孤児。
客観的に見て、不遇だと思うのもわからなくはないのだが――。
(私、不幸なのかな)
果たしてそれは、他人が決めるものなのだろうか。
どうしても、そう思ってしまうのだ。
「安心して、オルタンシア。是非あなたにはここで働いてほしいと思っているのよ」
善意にあふれる声で、マルグリットがそう口にする。
その様子を見て、ジェラールは眉をひそめた。
「マルグリット。お前の独断で勝手な――」
「いいじゃないお兄様! きっとお母様だって賛成してくださるわ!」
マルグリットの口からこぼれ出た言葉に、オルタンシアは驚いてしまう。