144 この世界から消えることになったとしても
「というわけでね! お父様とデュカスが揉めないように私が過去を変えれば万事解決なんだよ!」
『なるほど……?』
部屋に戻ったオルタンシアは、さっそくチロルに思いついた策を聞かせていた。
チロルはよくわかってなさそうに、首をかしげている。
『そんなことができるのか?』
「今までだって毒殺を防いだりはできたんだし、できると思う。ううん、できる! お父様とママが出会った日に跳んで、お父様がママを助ける前に私がデュカスを何とかするの。そうすれば、お父様はデュカスの恨みを買わなくて済むからね」
オルタンシアは生き生きとそう説明したが、なぜかチロルの表情は冴えない。
『なぁ、シア……』
「どうしたの、チロル?」
『シアの父親の話だと、そのデュカスって奴からシアの母親を助けたのが二人が仲良くなったきっかけなんだろ?』
「そうだよ。お父様って本当に勇敢で――」
『だったら』
ぴょん、とオルタンシアの膝に飛び乗って来たチロルが、珍しく真剣な目でじっと見つめてきた。
『シア、落ち着いて聞け』
「私は落ち着いてるよ。チロル、何を――」
『シアは二人の子どもなんだぞ。もし過去を変えてシアの父親と母親が仲良くなる機会がなくなったら……シアはどうなるんだ』
「え…………?」
考えてもみなかったことを指摘され、オルタンシアは呆然とした。
(ママとお父様の馴れ初めを変えたら、二人が恋人になることもなくなる……?)
それはすなわち、二人の間に生まれるはずのオルタンシアの存在も消えてしまうというわけで――。
「っ……!」
事の重大性に気づき、オルタンシアは一気に青褪めた。
そんなオルタンシアを慰めるように、チロルがぺろぺろと頬を舐める。
『考え直せ、シア。いくら公爵を救うと言っても、シアが消えたら元も子もないぞ!』
「でも……」
今まで心の奥底に仕舞っていた懸念が、心を揺らす。
「私、お父様の本当の子どもかどうかわからないし……」
父の話しぶりからして、父とオルタンシアの母が恋人同士だったのは間違いないだろう。
だが母は恋多き女性だ。父と同じように母と懇意だった男性は他にもいる。
父が孤児院に迎えに来てくれた時から、ずっと心の片隅に引っ掛かりを覚えていた。
果たして自分は、本当に彼の娘なのだろうか……と。
「私はお父様にもお兄様にも似てないし、お父様の本当の娘じゃない可能性だって……」
『シア……』
「やっと……やっと見つけたお父様を救う策なの! 私がお父様の本当の娘じゃなかったら、二人の出会いを変えたって……」
気づけば、オルタンシアの目からはぼろぼろと涙がこぼれ始めていた。
なんとしてでも父を救いたい。
だが自分の存在自体が消えてしまうなんて恐ろしい。
それでも、オルタンシアが父の実子でなければオルタンシアが消えることもない。
そして、他に父を救う手立てはない……。
様々な考えが頭の中でぐちゃぐちゃになって、うまく感情が制御できない。
チロルはそんなオルタンシアを慰めるように、頬に額をこすりつけてくる。
『……今日はもう寝た方がいい。元々、まだ前の《時間跳躍》の負担が回復していないんだ。今夜過去に跳ぶのは無理なんだぞ』
「うん、そうだね……」
『ほら、そうとなったら寝るぞ!』
いつもは猫用のベッドで寝るチロルも、今日はオルタンシアのベッドから降りるつもりはないようだ。
彼がこちらを心配してくれていることが分かり、オルタンシアは涙を拭い微笑む。
「ありがとう、チロル」
『……シア、忘れるなよ。僕はいつもシアの味方だからな』
「うん……」
ぎゅっとチロルを抱きしめ、オルタンシアは目を閉じる。
それでも、様々な考えが頭の中に浮かび、なかなか寝付けそうにはなかった。
やっと見つけた父を救う手立て。
だがそれを実行すれば、オルタンシアの存在自体が消えてしまう可能性がある……。
(でももし、私とお父様の血がつながっていなければ……この策はうまくいく)
父を死の運命から守り、オルタンシアの存在も消えることがない。
……いわば、リスクの高い賭けだ。
(こんな時、お兄様だったら冷静に最善手を打つことができるのかな……)
頭の中に、いつも凛とした兄の姿が浮かぶ。
(お父様が私を迎えてくれたからこそ、お兄様と出会うことができた)
ジェラールだけじゃない。パメラやアナベルと言った公爵家の者たちや、ヴィクトル王子。
エミリーやジャネットもそうだ。
皆、父がオルタンシアを公爵家に迎えてくれたからこそ出会えたのだ。
(今の私があるのはお父様のおかげ。だったら……)
とるべき道は、決まっている。
……たとえ、オルタンシアの存在がこの世界から消えることになったとしても。