143 大事に思っているからこそ
オルタンシアの不調は、当然父にも伝わったようだ。
きちんと休養と食事をとり、体調も回復した頃……オルタンシアは父の部屋へ呼ばれていた。
「皆が君のことを心配していたよ、オルタンシア。美しくありたいという気持ちは尊重したいが、それで体を壊していては元も子もない。もっとも、こんなことはもう耳にタコができるくらい聞いただろうがね。父としては伝えておきたいんだ。君のことを大事に思っているからこそ、君のことが心配なのだと」
「お父様……」
父の愛情あふれる言葉に、オルタンシアは涙が出そうになってしまう。
……やっぱり、彼を守りたい。
諦めたくなんてない。絶対に、運命を変えてみせたいのだ。
(お父様があの男に殺されることになった原因は、きっと私のママ……)
そのあたりのことがもう少し詳しくわかれば、何か手の打ちようがないだろうか。
そう考えたオルタンシアは、思考を巡らせ口を開く。
「ごめんなさい、お父様。実は私……ずっとママに憧れているんです。ママみたいに素敵な人になりたいから、あんまり太りすぎたら困るなぁって」
自然を装い、話題をオルタンシアの母へと持っていく。
父は驚いたように目を丸くした後に、上機嫌に笑った。
「確かに、ベルナデットは誰よりも美しかった。彼女が通りがかるだけで、皆がうっとりと見惚れたものさ。もちろん、この私もその一人だ」
「わぁ……!」
「だがベルナデットの美しさは外見だけじゃない。内面や所作の美しさが滲み出るからこそ、多くの者に愛されるんだ。それを忘れてはいけないよ」
「はい、お父様。それで……」
意を決して、オルタンシアは言葉を続ける。
「お父様と私のママって、どんな風に出会ったんですか?」
はぐらかされることも覚悟していた。
だが父は、きちんとオルタンシアに向き合ってくれたのだ。
「そうだね……君には話しておこうか」
父は昔を思い出すかのように遠くを見つめ、ゆっくりと語り始める。
「彼女は下町の酒場の歌姫だった。身分を隠し酒場に出向いた私は、そこで初めて彼女と出会い……一瞬でその存在の虜になったよ」
父の声色からは、オルタンシアの母への深い愛情が伺える。
(お父様はちゃんと、ママを愛していた……いいえ、今も愛しているんだわ)
オルタンシアは二人がどのように出会い、別れたのかを知らない。
だから一夜限りの軽率な火遊びのような顛末も覚悟していたが、父の話しぶりだと二人の間にはきちんとした交友が、愛情があったのだろう。
「彼女の美しい歌声に、輝くような笑顔に、誰もが夢中になっていた。だがその中には、強引に彼女に迫ろうとする輩もいないわけじゃない。ベルナデットだって迷惑客の対処は慣れていたが……その男は特にしつこかった。見かねた私はそいつから彼女を庇った。ベルナデットは嫌がっている、そんなこともわからないなら出ていけ……とね。それがきっかけで、彼女は私のことを気に入ってくれたんだ」
「そんなことが……」
「その男は今でも私を恨んでいるようだが、ある意味彼がいなければベルナデットとお近づきになれることもなかっただろうね」
そう言って父は快活に笑ったが、オルタンシアは浮かべた笑みがひきつりそうになってしまった。
(今でもお父様を恨んでいるその男って……)
背筋を冷や汗が伝う。
最初に《時間跳躍》を使った際に、父と揉めていた男の声が脳裏に蘇る。
――「貴様が! 貴様のせいで……! 私なら必ずやベルナデットを幸せにしてやったというのに……!」
――「黙れ! 貴様は私とベルナデットのことを邪魔した挙句、責任を取りもせずに彼女を捨てた甲斐性なしだ!」
――「あの男、どれだけ私の邪魔をすれば気が済む……。いつもそうだ! あいつさえ、あいつさえいなければ……」
(あの人だ……!)
彼はオルタンシアの母に無理に迫ったのを邪魔されたことで、ずっと逆恨みを続けているのだ。
どんな手を使ってでも、父を殺そうとするほど……。
「……彼女との時間は楽しかった。彼女は人を幸福にする天使のような人だった。これは言い訳ではないが……本当に、一緒になろうと思っていたんだ」
父は眉間にしわを寄せ、苦渋を滲ませた声でそう呟く。
決してオルタンシアに気を遣っているわけではなく、心からそう思っているのは明白だった。
高位貴族の中には男女問わず愛人を囲っている者は多い。
政略結婚が基本の貴族社会では、そこまで非難されるようなことではないのだ。
(もしかしたらママがお父様の正式な愛人になって、私も小さいころからお父様やお兄様に会っていた可能性もあるのかな……)
無駄な想像だとわかっていても、考えずにはいられない。
「だが、ベルナデットは私の申し出を断った。彼女は自由を愛していたからね。私の用意した鳥かごに入るよりも、酒場の歌姫として多くの客に幸福を届ける道を選んだんだ」
「ふふ、ママらしい」
「そうだろう」
オルタンシアの言葉に、父は誇らしげに笑う。
「そんなベルナデットだからこそ、私を含め多くの者に愛されているんだ。……その後、私は家のことで忙しくなり酒場には行けなくなり、彼女とも疎遠になってしまった」
父は言葉を濁していたが、きっと心を凍らせたジェラールを領地から王都の屋敷へ連れてきた頃なのではないかと、オルタンシアは推測した。
(お兄様のお母様――公爵夫人が心を病んでお兄様につらくあたってしまった原因には、きっと私のママも含まれているんだよね……)
そう考えると、なんとも複雑だ。
「だからこそ、君と出会えた時はまさに奇跡だと思ったよ。……ここへ来てくれて本当にありがとう、オルタンシア」
父はまっすぐにオルタンシアを見つめ、優しく笑う。
その愛情のこもった視線に、オルタンシアは泣きたくなってしまった。
「お父様……」
この優しい人を失いたくはない。
心から、そう思った。
(絡まれていたママを助けたことで、お父様はデュカスに恨まれることになってしまった)
そう考えた時、オルタンシアは閃く。
(私は加護の力で過去にも跳べる! お父様とママが出会った日に跳んで、お父様がデュカスに恨まれないようにすれば……)
デュカスは執念深い男で、どんな手を使ってでも父を殺そうとしている。
だったら、根本から原因を取り除いてしまえばいい。
父とデュカスの不和の原因となる出来事を、オルタンシアの手で改変するのだ。
(どうして今まで思いつかなかったんだろう。まさかこんなに解決策があるなんて!)
今度こそ、父を救うことができる。
一気に心の重荷が取れたような気がして、オルタンシアは目の前のお菓子に手を伸ばした。
「おや、もう体型のことはいいのかい?」
からかうようにそう口にする父に、オルタンシアはにっこりと笑った。
「ちょっと無理しちゃったんで今日は何でも食べていい日にします!」
「はは、それはいい。私も頂こうかな」
同じようにお菓子に手を伸ばした父と視線を合わせ、二人で微笑みあう。
(大丈夫ですからね、お父様。私が絶対にお父様を守ってみせます!)