141 お父様を救うために
「っ……はぁっ!」
暗闇の中、オルタンシアは飛び起きた。
汗をびっしょりかいており、体中の震えが止まらない。
「どうして、お父様……」
父に忍び寄る死の運命を変えられたと思っていた。
だがそれは大間違いだった。
父の命を狙うあの男。
彼は一度失敗しただけで諦めるような、そんな甘い性格ではなかったのだ。
(私が毒殺を未然に防げるようにしたから、別の方法でお父様を殺すなんて……!)
あまりにもひどすぎる。
通り魔に襲われて亡くなった棺の中の父と対面したときのことを思い出すだけで、吐き気がこみ上げてくる。
(駄目だ、このままじゃ……)
落ち込んでいる暇はない。
こうしている間にも、あの男は刻一刻と父への恨みを募らせ、殺害計画を練っているはずなのだから。
「私が、止めなきゃ……」
これでも一度は成功したのだ。
毒殺を防ぐ手立てを見つけたように、父が通り魔に襲われることを防ぐことだってできるはず。
ベッドから降りると、室内の猫用ベッドで寝ていたチロルがむにゃむにゃと声を出した。
「シア……? まだ夜中だぞ……」
「うん、でも行かなきゃ」
「行く? どこに……?」
「未来でも、過去でも。お父様を救いに行くの!」
「んにゃ!?」
《時間跳躍》を使い始めたオルタンシアの足元に、慌てた様子のチロルがしがみついてくる。
オルタンシアはそのまま、父の運命を変えるべく時間を飛び越えた。
◇◇◇
「であるからして、スマートかつ後腐れなく殿方の誘いを断るには――」
アナベルの声が、ぐわんぐわんと頭にこだまする。
アナベルによる淑女レッスンが行われる中、オルタンシアは平静を装いながらも襲い来る頭痛と戦っていた。
「ではお嬢様、次は実践です。こちらへいらしてください」
アナベルの言葉に、オルタンシアは慌てて立ち上がる。
その途端に強い眩暈に襲われ、体がふらついてしまった。
「お嬢様!」
間一髪、アナベルが支えてくれたのでみっともなく床に倒れることは回避できた。
だがオルタンシアをソファに横たえたアナベルは、血相を変えて大声を上げたのだ。
「早くお医者様を! オルタンシアお嬢様がお倒れに!」
(あぁアナベル。そんなに慌てなくても大丈夫なのに……)
そう声をかけたいのに、視界がぐるぐるとまわってうまく声が出ない。
……不調の原因はわかっている。
単純に、体に負荷がかかる《時間跳躍》を使いすぎているせいだ。
(こんなところで、倒れている場合じゃないのに……!)
己の不甲斐なさに、じわりと涙が滲んでくる。
父が通り魔に襲われて亡くなった夢を見てから、オルタンシアは何度も何度も《時間跳躍》を使い過去や未来に跳んでいる。
必死に、父の運命を変えようとあがいた。
だが駄目なのだ。
一つの死に方を防いだとしても、数日後には別の死に方をした父の葬儀の夢を見てしまう。
あの男はオルタンシアの想像以上に執念深く、どんな手を使っても父を殺すことを諦めようとはしない。
短期間に《時間跳躍》を使いすぎているせいで、最近ではこのように日常生活もままならない始末だ。
(でも、私があがくのをやめたらお父様が……)
父の死は絶対に防がなくてはならない。
オルタンシア自身のためにも、父のためにも……そして、ジェラールのためにも。
(お兄様にとってのお父様は大事な家族で、なくてはならない大切な存在。お兄様の幸せのためには、お父様の存在が必要不可欠なんだから……)
ジェラールの母に関する確執もあってか、父とジェラールのやりとりは親子というにはどこかよそよそしく感じられることもある。
だが、決して互いのことを嫌っているわけではないのだ。
父はジェラールのことを後継者として頼りにし、誇りに思っているのが伝わってくる。
それに、家族としての深い愛情を持っているのも確かだろう。
……ジェラールの性格上、ベタベタした関係性を嫌っていそうなのであまり表には出さないが。
基本的に他人には冷淡で無関心なジェラールも、父に対しては一目置いているのがよくわかる。
ジェラールはすこぶる優秀だが、対人関係においては圧倒的に父に軍配が上がる。
ジェラールも父のそういった面には敬意を抱いているようで、基本的に二人が衝突することはない。
(今お父様がいなくなったら、お兄様はあの時みたいに……)
……一度目の人生で、きっと父が生きていてくれたらあんな悲劇は起こらなかった。
いくら魔神の脅威が取り除けたとはいえ、父がいなくなってはまたあんな悲劇が繰り返されるかもしれない。
(私は、お兄様に誰よりも幸せになってほしいから)
だからこそ、ジェラールのためにも父を死なせるわけにはいかないのだ。
「お嬢様!」
駆けつけた医師に声を掛けられ、オルタンシアはそっと重い瞼を開いた。