140 お兄様にとっての幸せって
「たっ、確かにそのようなお話はありましたけど! きちんとお断りしました!」
「……本当か」
「本当です! 私には王妃なんて絶対に無理だし……」
何よりも、ここで父と兄を支えたいのだ。
だから結婚の話は受けられないと、ヴィクトルにははっきりと伝えた。
彼は「気が変わったら教えてね」などと言っているが、オルタンシアをからかっているだけだろう。
オルタンシアの言葉を受け、ジェラールは何か思案するような顔をしている。
「……では、他の奴か」
「えっと、何がです……?」
「どこのどいつとの縁談を受けるつもりだ」
「えぇっ!?」
やはり話が飛躍しすぎている。
確かに、オルタンシアに対して縁談の話が来ないわけではない。というよりも、ものすごい量の縁談の話が舞い込んできているという方が正しい。
年頃の公爵令嬢であり、「救国の聖女」などというたいそうな二つ名もあり、王太子との関係も良好。
誘拐されたり、文字通り「傷物」になったりという汚点はあるが、それを補って有り余るメリットがある、と判断されているのだろう。
そしてジェラールは、何故かオルタンシアが数ある縁談のうちのどれかを受けたと思っているのだ。
(何故!? 私そんなこと一言も言ってないよね!?)
そう考えたところで、オルタンシアは先ほどジェラールにかけられた言葉を思い出しはっとする。
――「近頃のお前は、やけに浮ついているな」
(もしかして……「縁談を受ける」=「恋人ができる」=「浮ついている」と思われてる!?)
なんという早合点……とジェラールを責めることはできない。
例えばオルタンシアの友人のエミリーのように、恋する乙女の放つ春の花畑のような独特の雰囲気をオルタンシアもよく知っているからだ。
この年頃になれば、オルタンシアの周囲でも恋人や婚約者がいる令嬢も増えてくる。
中には家同士の決めた感情の伴わない関係だと冷え切っている者もいるようだが、多くの乙女が常に幸せそうに恋する相手に寄り添っているものだ。
オルタンシアが謎に浮かれているのを見て、ジェラールは「恋人か婚約者ができたのか?」と勘違いしたのかもしれない。
とりあえず誤解を解かねばと、オルタンシアは力強く宣誓した。
「お兄様! 私、誰との縁談も受けていませんし、受けるつもりはありません!」
そう言うと、ジェラールは意表を突かれたような顔をした。
鋭い彼には珍しく、本気でオルタンシアがどこかの縁談を受けると思っていたようだ。
「……そうなのか」
「そうです! だってまずは……私よりもお兄様の縁談の方が大事じゃないですか!」
そう言うと、ジェラールは複雑そうな表情になる。
「俺のことはいい」
「よくないです! だって私、お兄様には誰よりも幸せになってほしいと思ってるんですから」
ジェラールは以前に「無理に結婚するつもりはない」と言っていたし、彼が本当にそう思うのならオルタンシアもそれでいいと思っている。
(でも、お兄様は確実に変わってきている。あの時とは考えだって変わるかもしれない)
いつか彼の凍り付いた心を完全に溶かし、一瞬で燃える恋に落ちるような相手に出会う日が来るかもしれない。
その日が来るまで、オルタンシアはジェラールを傍で支えるつもりだ。
……嫌味な小姑にはならないように気を付けながら。
「幸せになってほしい……か」
ジェラールがぽつりとそう呟く。
「お兄様にとっての幸せって、どんな感じですか?」
思わずそう問いかけると、ジェラールはじっとオルタンシアを見つめる。
その視線の強さに、オルタンシアは一瞬たじろいでしまった。
ドキドキしながら彼の答えを待ったが、ジェラールは何も言わない。
「えっと、お兄様……?」
おそるおそる声をかけると、ジェラールはぽん、とオルタンシアの頭に手を置いた。
「……自分で考えてみろ」
一見突き放すような言葉だが、言い方は随分と優しかった。
ぱちくりと目を瞬かせるオルタンシアの頭をひと撫ですると、ジェラールはすたすたと立ち去ってしまう。
「うーん……?」
なんだかよくわからないが、おそらく誤解は解けたのだろうからそれはよかった。
だが――。
(お兄様にとっての幸せを考えてみろって、どういうことなんだろう……)
その言い方だと、まるでジェラールは自身の幸せがどこにあるのかわかっているようだが……。
「……駄目だ、わからないや」
オルタンシアは早々に思考を放棄し、ソファに背を預けた。
(まぁ、どんな形であれそのうちわかるよね)
きっとオルタンシアは、まだジェラールに対しての観察や理解が足りていないのだ。
時間をかけて彼の傍にいれば、おのずとわかってくるだろう。
(大丈夫、時間はたくさんあるんだもの)
二人を脅かす魔神はもういない。父の死も阻止することができた。
後はのんびりと、ジェラールを見守っていけばいい。
いつになくほわほわした気分で、オルタンシアはそんな甘い考えに浸っていた。
その夜、再び夢を見た。
夢を見ているということに気づいたオルタンシアは、その光景に戦慄する。
(嘘、そんな……!)
それは、ここしばらく見ることのなかった父の葬儀の夢だった。
(何で!? お父様は助かる運命のはずなのに……!)
記憶と、何度も見た夢と同じように葬儀は進んでいく。
そして、オルタンシアに声をかけてきたのはジャネットとエミリーの二人だった。
「まさか公爵が……信じられませんわ」
「どうして公爵閣下のような素晴らしい御方が、通り魔の犠牲になんて……」
(え、通り魔?)
おかしい、前とは死因が違う。
父は毒を盛られ、命を落とすはずなのに……。
オルタンシアはふらふらと父の棺へと近づく。
たくさんの花に囲まれて眠る父は……一度目の人生や以前の夢で見た姿よりも、ずっと血色も肉付きもよく見えた。
(一度目の人生で、お父様は原因不明の病死とされていた)
オルタンシアはヴィクトル王子の花嫁候補として宮廷にいたので詳しくは知らないが、医師が「病気だ」と判断するだけの症状があったのだろう。
実際に、亡くなった時の父は元気な時の姿が嘘のようにやせ細っていた。
だが、今は違う。
目の前の父は、棺に入っていなければただ寝ているだけだと言われても納得できるような、そんな姿をしている。
……毒を盛られ、病気のような症状が出て亡くなったからではない。
ジャネットとエミリーの言葉が正しいのなら、通り魔に襲われたのだ。
「犯人はまだ見つかっていないのでしょう?」
「よほどの手練れの犯行だとか……」
「……ヴェリテ公爵閣下に恨みを持つ者かしら」
周囲が小声でそう囁きかわすのが、嫌でも耳に入ってくる。
(あの人だ……)
オルタンシアには直感的にそうわかった。
父に恨みを持つあの男――デュカスが、毒を盛るのは防ぐことができた。
だが、それだけじゃ駄目だったのだ。
(毒が駄目なら、あの人は他の方法でお父様を殺そうとするんだわ……!)
父の運命を変えられたなんて、とんだぬか喜びだった。
自分が何も救えていなかった事実に、オルタンシアは目の前が真っ暗になるような心地を味わっていた。