139 お兄様の早合点
「んふふふふ……」
見事に父を死の運命から救うことができた。
それが嬉しくて、ここ数日のオルタンシアは周囲に「何かいいことがありましたか?」と聞かれるほどの上機嫌っぷりを発揮していた。
今も談話室の隅で、締まりのない笑みを浮かべて手紙をしたためている。
すると、通りがかったジェラールが声をかけてきた。
「……おい」
「あ、お兄様! どうされました?」
ぱぁっと明るい表情で顔を上げると、ジェラールが何かを探るような目つきでこちらを見ていた。
「何をしている」
「何をって……お手紙を書いているんです」
「誰に充てた手紙だ。まさかあの王子じゃないだろうな」
「え!?」
不快そうにそう呟いたジェラールが、ぐい、と顔を近づけて手紙を覗き込んできた。
「お兄様、マナー違反ですよ!」
オルタンシアは慌ててしまった。
確かにジェラールに関してはよくわからない部分も多いのだが、こんな風に人のプライベートを勝手に覗き見るような、そんなあからさまなマナー違反をしでかすような人物ではないはずなのだが。
(あの王子って……ヴィクトル王子のこと?)
そもそもオルタンシアには他に王子の知り合いはいないので、ジェラールが言っているのはヴィクトル王子のことで間違いないだろう。
何故ジェラールが突然そんなことを言い出したのかはわからないが、残念ながらこの手紙の宛先はヴィクトル王子ではない。
「これは公爵領のコンスタンに充てた手紙です!」
「本当か」
「本当です! 何なら中身を見てもらっても構いませんよ」
コンスタンとは定期的に近況報告を交わす約束をしていて、この手紙もその中の一通だ。
別に、見られて恥ずかしいようなことが書いてあるわけではない。
ジェラールは無言で手紙を手に取ると、内容に目を走らせている。
(本当に読むんだ……)
コンスタンに間違った報告をされては困ると思ったのだろうか。
すぐに手紙の内容を確認し終わったジェラールは、じっとオルタンシアを見下ろしている。
(え、何だろう。何か間違ったことでも書いちゃったかな)
手紙の内容に駄目だしされるかと、オルタンシアは不安になったが――。
「近頃のお前は、やけに浮ついているな」
「…………ん?」
想定外の言葉に、オルタンシアの思考は一瞬フリーズしてしまった。
(浮ついている……?)
そう言われれば、思い当たる節はある。
他の皆がそうしたように、ジェラールなりに「何かいいことがあったのか」と聞きたいのかもしれない。
だが、まさか「実はお父様が死ぬ運命だったのを変えられたんです!」なんて馬鹿正直に話すわけにはいかない。
オルタンシアは必死に頭を働かせ、慌てて笑顔で誤魔化した。
「うふふ、何があったと思います?」
別にジェラールとクイズ大会がしたかったわけではなく、ただの時間稼ぎだ。
ジェラールも面倒くさくなって立ち去るかもしれない。
オルタンシアはそう予想していたが――。
「ひっ!」
何故かジェラールは、一気に不機嫌そうなオーラを纏いはいじめたのだ。
久方ぶりに彼の背後に荒れ狂うブリザードの幻覚を見て、オルタンシアは竦みあがった。
(お兄様、何か怒ってる……!?)
オルタンシアがくだらないクイズを出してきたのが気に障ったのだろうか。
「お、お兄さま……あの……」
「あの王子か、それとも他の奴か」
「え?」
凍り付くような冷たい表情で、ジェラールはそんなわけのわからないことを言い出した。
彼の意図が全くわからず、オルタンシアは固まることしかできない。
そんなオルタンシアと目線を合わせるようにジェラールは屈みこむと、オルタンシアの小さな顎を掴んだ。
至近距離で彼の瞳に見つめられ、オルタンシアは息が止まりそうになってしまう。
「……縁談を受ける気なのか」
「…………え?」
ジェラールの口から出てきた言葉に、オルタンシアはまたしてもぽかんとしてしまう。
はて、縁談とはいったい何のことだろう。
……よくわからないが、ジェラールとオルタンシアの間に何やら行き違いがあるということだけはわかる。
オルタンシアは勇気を振り絞り、口を開く。
「お兄様、一度話を整理しましょう。縁談って何の話でしょうか」
オルタンシアがそう問うと、ジェラールは驚いたように目を丸くした。
しばしの間、二人の間に沈黙が落ちる。
その静寂を破ったのは、意外にもジェラールの方だった。
「あの王子に」
「はい」
「結婚を申し込まれただろう」
「えっ!? 何で知って――」
慌てふためくオルタンシアに、再びジェラールの纏う空気がぴりついていく。