135 時間干渉
「というわけで、《時間干渉》を使ってみるよ!」
あくる日、自身を鼓舞するためにオルタンシアはそう宣言した。
もちろん誰かにそんなことを聞かれれば止められるかもしれないので、今この場にいるのはオルタンシアとチロルだけだ。
『シア、大丈夫なのか? 間違って変なところに飛ばされたりはしないか?』
「うーん、わからないけど……でも、私はやるよ」
危なそうだからやめておく、では父を守れない。
多少の危険くらいは承知の上で、飛び込んでいく覚悟が必要なのだ。
「チロルはここで待ってて――」
『駄目だ! 僕も行くぞ! シアはそそっかしいからな!』
不安そうに尻尾を丸めていたチロルだが、置いていかれそうになるや否や、オルタンシアの腕の中へと飛び込んできた。
「ふふ、ありがとう」
勢い勇んだのはいいものの、実はかなり心細かったのも事実だ。
チロルが一緒に来てくれると思うと、心が勇気づけられる。
はぐれないようにチロルを抱き上げ、オルタンシアは強く念じた。
(お願い、お父様が亡くなってしまう原因を知りたいの……。未来へ行かせて!)
強く念じると、体が軽くなったような気がした。
それだけでなく、急激な浮遊感にオルタンシアは慌てる。
「えっ、これって大丈……きゃあ!」
急にどこかへ吸い込まれるような感覚がしたかと思うと、オルタンシアの体は上下左右にぐるぐると引っ張られる。
(うぇ、気持ち悪い……)
まるで竜巻の中に突っ込んでしまったかのようだ。
あまりの気持ち悪さに、目を開けることもままならない。
いったいこの感覚がどれほど続くのだろうかと、オルタンシアが絶望しかけた時――。
「ひゃあ!」
急に解放されたかと思うと、オルタンシアの体が宙に放り出される。
したたかに床に体を打ち付け、オルタンシアはうめいた。
「いたたたた……どうなったの……?」
おそるおそる目を開けると、視界に映るのは豪奢な装飾の廊下だ。
すぐそこに窓があったので、オルタンシアは外の景色をのぞいてみる。
「ここって……もしかして王宮!?」
窓の外の景色には見覚えがあった。
どうやらここは、王宮のかなりの高層階のようだ。
「うーん、あんまり今と変わらないみたいだけど……過去か未来に来られたのかな?」
「うぇっぷ、頭がぐるぐるだぞ……」
チロルはまだ先ほどのダメージから回復していないようだ。
よしよしとチロルの背中をさすっていると、コツコツとこちらへ近づいてくる足音が耳に届く。
(しまった!)
どこかへ隠れようとしたが時すでに遅し。
向こうの角から、見知らぬ男性がこちらへ歩いてくるのが目に入った。
(ひぇ~、どうやって言い訳しよう……。不法侵入だって追い出されたら……)
王宮自体は広く門戸を開放しているが、高層階に行くほど出入りできる者は限られる。
先ほど窓から見た景色から考えるに、おそらくここは立ち入りを厳重に制限されたエリアだろう。
いくら四大公爵家の令嬢とはいえ、無許可でうろうろしているのを見逃してもらえるとは思えなかった。
「あっ、あのっ、私……」
オルタンシアは必死に言い訳をしようとしたが――。
「……あれ?」
なんと男性は、オルタンシアに何も言うことなく横を通り過ぎて行ったのだ。
オルタンシアを見逃してくれた……のではないだろう。
(あの人、私に視線すら寄こさなかった)
あえて無視した動きではない。
どう考えても、彼はオルタンシアの存在自体に気づいていなかった。
(もしかして今の私……人から見えてないのかな?)
――『時間干渉とはその名の通り、過去や未来に干渉できる力です。うまく使えば、未来に起こりうる凶事やその火種となった出来事を塗り替えることができるでしょう』
女神は「過去や未来に干渉できる力」とは言っていたが、「過去や未来に行ける力」だとは言っていなかった。
推測になってしまうが、もしかしたら体ごと過去や未来に跳んだわけではなく、オルタンシアの精神だけが時間を超えているのかもしれない。
(でも、干渉はできるんだよね……?)
オルタンシアはおそるおそる、近くの窓に手を伸ばす。
そのまま窓を開けようとしたが――。
(重い……! 開かない……!)
いつもならするりと開くはずの窓が、今は空間に固定されているかのように動かなかった。
それでも、手ごたえがないわけじゃない。
「ふぬぬぬぬ……」
とても令嬢らしからぬ声を上げ踏ん張っていると、窓が動いた。
ほんの指一本ほどの隙間だが、窓が開いたのだ。
「はぁっ、はぁ……こういうことなのね」
今のでなんとなく理解できた。
今のオルタンシアは、おそらく精神体となって時間を超えている。
オルタンシアの姿は周囲からは見えないし、存在を感知されることもない。
だがその分こちらから世界に干渉するのは難しく、窓を開けるだけでもとんでもない労力を消費する……といったところだろうか。
(でも、やらなきゃ! お父様を助けるために!)
今がいつの時間軸なのかはわからないが、「父を助けたい」と願ってここに飛ばされたのにはなんらかの意味があるはずだ。
とりあえず状況を把握しようと、オルタンシアが歩き始めた時――。
「貴様っ……よくもそんなことが言えたものだな!」
近くの部屋の中から怒鳴り声が響き、オルタンシアは驚いて飛び上がってしまう。