134 この穏やかな時間を、これからも続けていくために
「どうしたんだい、オルタンシア。そんなに難しい顔をして」
「うぇっ!?」
晩餐時に父にそう指摘され、オルタンシアは奇妙なうめき声をあげてしまった。
自分としてはいつも通り振舞っているつもりだったが、どうやら父にはバレていたようだ。
「そ、そんなに変な顔してましたか……?」
「いいや? いつも通り可憐だよ。でも、何か思い悩んでいるように見えてしまってね」
優しくそう言われ、オルタンシアは胸がぎゅっと押しつぶされるような心地を味わった。
……本当のことを打ち明けるわけにはいかない。
「お父様の葬儀の夢を見たんです」なんて、言えるわけがなかった。
オルタンシアは無理に笑顔を作り、それらしい理由を並べ立てた。
「えへへ、実は……友人に面白い古典小説を教えてもらったんですけど、内容が難解で……」
「それはそれは……誰でも通る道だよ。確かアナベルがその分野には詳しかったはずだ。困ったら彼女に聞いてみるといい」
「はい、お父様」
オルタンシアの言葉に納得したのかどうかはわからないが、父はそれ以上追及してくれることはなかった。
それにほっとしたオルタンシアは気づかなかった。
父とオルタンシアの会話を黙って聞いていた義兄ジェラールが、探るような視線をこちらに向けていたことに。
「……おい」
晩餐の後、部屋へ戻ろうとしていたオルタンシアは背後から呼び止められる。
振り返れば、案の定そこにいたのはジェラールだった。
「お兄様、どうかなさいましたか?」
「少し付き合え」
「ふぇ?」
よくわからないままに、オルタンシアはずんずんと歩みを進める兄の背を追った。
ジェラールが向かったのは、公爵邸の庭園だ。
そこに咲き誇る美しい花々に、オルタンシアは表情を緩める。
「シャングリラの花、今日もたくさん咲いていますね」
この花はオルタンシアがこの屋敷に来たばかりの頃、ジェラールがオルタンシアのためにたくさん植えてくれたものだ。
この花を見るたびにあの時のジェラールの不器用な気遣いを思い出し、オルタンシアの頬は緩んでしまう。
ぼぉっとシャングリラの花を見ていると、頭上からジェラールの視線を感じた。
顔を上げれば、彼の美しい瞳がこちらを向いていた。
「……最近のお前は、少し様子がおかしい」
開口一番そう言われ、オルタンシアはどきりとしてしまう。
「そ、そうですか……?」
「何かあったのか」
まっすぐにそう問われ、オルタンシアの心は揺れる。
(お兄様、私のことを心配してくださるんだ……)
そう実感すると、なんだか泣きたいような気分になってしまう。
まっすぐにジェラールを見つめ返し、オルタンシアは口を開く。
「……お兄様。私、今とっても幸せなんです」
その答えは予想していなかったのか、ジェラールは少し驚いたように瞬きをした。
「魔神はいなくなったし、ヴィクトル王子のことも助けられたし、お父様もお兄様も傍にいてくれるし……これ以上はないくらいに幸せです」
一度目の人生では手に入らなかった平穏。
それが、今ここにあるのだ。
……では、ジェラールはどうなのだろう。
「お兄様にとっての幸せはなんですか?」
そう問いかけると、ジェラールはふっと視線を外した。
彼が見ているのは美しく輝く夜空の星々だ。
「また哲学的な問いかけだな」
「えへへ、オルタンシア派の開祖をもう一度目指してみようかな、なんて」
くすくす笑っていると、ジェラールの手がこちらに伸ばされる。
彼はゆっくりと、そして優しい手つきでオルタンシアの頭を撫でた。
「……幸せというものはよくわからない」
ジェラールは静かにそう口にした。
幼いころのつらい境遇から心を凍らせてきた彼のことだ。
今も、彼の心を覆う氷は溶け切っていない。
だから、何が自分にとっての「幸せ」なのかもわからないのだろう。
(お兄様……)
思わず泣きそうになるオルタンシアに、ジェラールは続けた。
「だが……今のこの状況が続けばいいと思っている」
その言葉は、オルタンシアにとっては一筋の光明のように思えた。
オルタンシアが父と兄と一緒にいたいと思っているように、ジェラールもこの時間が心地いいと感じてくれているのかもしれない。
(きっとそれが……お兄様の幸せにつながるはず)
つらい過去を持つ彼だからこそ、オルタンシアは誰よりも幸せになってほしいと願っているのだ。
(お父様が亡くなってしまったら、お兄さまの幸せは壊れてしまうかもしれない。再び心を凍らせて、もう二度と戻らないかもしれない)
そう考えると恐ろしくてたまらない。
だからこそ、オルタンシアは覚悟を決めた。
(大丈夫です、お兄様。私がお兄様の幸せを守ってみせますから)
彼の幸福のためなら、オルタンシアはなんだってできる。
……未来を変えて、父を守ることだって。
「……私も同じ気持ちです」
そう呟いて、オルタンシアはジェラールの手に頭を寄せた、
「お兄様、私にできることがあったら何でも言ってくださいね」
「……いきなりどうした」
「例えば気になるお相手ができたら、こっそり教えてくださいね! うまくいくように援護しますから!」
「どうしてそうなる」
「お兄様の幸せのお手伝いがしたいんです!」
意気込んでそう言うと、ジェラールは少しだけ呆れたような顔をした。
そして、ぎゅむぎゅむと頭を押さえつけるように手で押される。
「まずは自分のことだけを考えろ」
「あっ、私の援護を信用していませんね!? 確かに実績はないですけど、ちゃんとお兄様の恋のキューピッドになってみせますよ!」
「いらん、必要ない」
「もぉ、そうやって強がって。後で後悔しても知りませんからね!?」
「もういい、早く寝ろ」
照れたのか面倒くさくなったのかは知らないが、ジェラールはオルタンシアの手を引きくるりと背を向ける。
そのまま屋敷へ向かって歩き出す彼の背を眺めながら、オルタンシアはそっと微笑んだ。
(待っていてくださいね、お兄様。私がお父様を守ってみせますから)
もうジェラールから何も奪わせない。
この穏やかな時間を、これからも続けていくために。