130 絶望の未来
「この前の話、気が変わったら教えてね。僕はいつでも待ってるよ」
「ほぁ!?」
「あはは、冗談だよ冗談。それではいい夜を!」
ひらひらと手を振りながら、ヴィクトルが去っていく。
……からかわれてしまった。そうわかっていても、ドキドキと鼓動が早鐘を打つ。
オルタンシアは動揺を落ち着けようと手で頬に触れる。
そっと触れたそこは、確かに普段よりも熱を持っていた。
「もぉ、ヴィクトル王子ったら……。ねぇお兄さ……!?」
ジェラールに話しかけようとしたオルタンシアは、彼の表情を目にした途端驚きに目を見開く。
ジェラールは目があったら恐怖で凍り付きそうなほど恐ろしい形相で、ヴィクトルの背中を睨んでいたのだ。
ここは煌びやかな宮廷の大広間であるはずなのに、彼の周囲にブリザードが渦巻いている幻覚が見えるくらいには。
「……やはり消しておくべきだったか」
「お兄様!? 消すって何ですか!?」
物騒な独り言に、オルタンシアの方が慌ててしまう。
いや、きっと自室の灯りを消し忘れたとかそんなことだろう。
ジェラールに限ってそんなうっかりをやらかすとは思えなかったが、今はそう信じたかった。
「それよりお兄様! 私喉乾いちゃいました!」
「……わかった。ここで待っていろ」
ジェラールの気を逸らそうと慌ててオルタンシアはそう口にする。
するとジェラールは、はっとしたようにヴィクトルの背中からオルタンシアの方へ視線を移した。
一瞬にしてジェラールの纏う恐ろしい空気が引っ込み、オルタンシアはほっとする。
(はぁ、よかった……)
時間が巻き戻ってからかなりジェラールのことを理解できるようになってきたと自負しているのだが、それでもまだまだわからないことは多い。
女神アウリエラはやんわりと「これからもジェラールの監視をよろしくお願いします」というようなことを言っていたし、とりあえずヴィクトルとジェラールが顔を合わせる機会があるときは、できる限りオルタンシアも同席するようにしなくては。
(もっともっと、お兄様のことを知りたいな)
誰よりも、彼には幸せになってほしいから。
悲しみも喜びも、どんな感情をも分け合いたいから。
そんなことを考えていると、ずい、と目の前にグラスが差し出される。
「飲め」
「ありがとうございます、お兄様! ちなみにこれは――」
「クランベリージュースだ」
「むっ、私がお酒飲めないと思ってます?」
「またふらついて転倒されては困る。ここから馬車まで足をつくことなく運ばれたいのか」
「……おいしいです、このジュース」
公衆の面前でジェラールに抱っこされながら運ばれる場面を想像し、オルタンシアはとんでもないと俯いた。
先ほどのヴィクトルの言葉は冗談だが、今のジェラールの言葉は冗談などではない。
オルタンシアが酒を飲んだが最後、間違いなく皆の前で子どものように抱っこして運ばれる。
「救国の聖女」があまりに形無しだ。
おとなしくクランベリージュースを口にするオルタンシアを見て、ジェラールは心なしか満足そうな顔をしていた。
◇◇◇
「聞いて、パメラ! パメラのアイディアでアレンジしてもらったこのドレス、すごく好評だったのよ! ジャネットなんて『次の流行間違いなしです!』って目を輝かせて――」
「ふふ、お嬢様が魅力的だからこそどんなドレスでも映えるんですよ。さぁさぁ、今日はお疲れでしょう? もうおやすみなさいませ」
「うん、おやすみ」
無事に舞踏会を終え屋敷に帰り着き、パメラに就寝の挨拶をする。
ベッドに横になると、すぐに眠気が襲ってくる。
(久しぶりの舞踏会……疲れたけど楽しかったな)
ヴィクトルの元気な姿を見られたのはよかったし、何よりも魔神や崇拝集団にもう怯えなくていいのだと実感できた。
ふわふわとした幸せな気持ちで、オルタンシアは眠りの淵へと落ちていく。
(……ん、あれ)
いったいいつからここにいたのだろうか。
気が付けば、オルタンシアは屋外に立っていた。
周囲には多くの人がいる。
皆一様に、黒い装束を身に纏っている。
(なんだろう……お葬式みたい)
じわじわと嫌な予感が足元から這い上がってくるような気がした。
体の自由は効かず、オルタンシアの意志に反して足は進んでいく。
向かう先には、一つの棺が置かれていた。
(嫌だ、見たくない……!)
そう思っているのに、足は止まらない。
そしてついには、棺の中の人物との対面の時が来た。
果たして、そこにいたのは――。
(っ……!)
オルタンシアは声にならない悲鳴を上げた。
だって、嘘だ。こんなの――。
(お父様っ……!)
たくさんの花に囲まれて棺の中で眠っていたのは、オルタンシアの父であるヴェリテ公爵だった。
……この光景には見覚えがある。
一度目の人生で、父が亡くなった時の記憶だ。
(これはただの夢! 目が覚めたら全部嘘! 過去の記憶を見ているだけなんだから!)
だって、魔神はもういない。運命は変わったはずなのだ。
今は元気な父が亡くなるなんて、そんなことあるはずが――。
「……オルタンシア様」
背後から声を掛けられ、オルタンシアはのろのろと振り返る。
そこにいたのは、オルタンシアの友人であるエミリーとジャネットだった。
「まさか公爵が……この度はお悔やみ申し上げます」
「私たちにできることがあったら何でも言ってくださいね、オルタンシア様! 私たち、いつだってオルタンシア様の味方ですから!」
しっかりとオルタンシアの手を握って、二人はそう言ってくれる。
その言葉が、オルタンシアを絶望につき落すとは知らずに。
(だって、おかしいよ……)
これは一度目の人生の記憶のはずで。
今のオルタンシアの人生には、なんの影響もないはずなのに。
(一度目の人生で、私はジャネットとエミリーとは友達じゃなかった……)
父の葬儀の際にも、二人がこんな風に声をかけてくることはなかった。
つまりこれは、単に一度目の人生の記憶を反芻しているのではなく――。
(まさか、これから起こりうる未来なの……!?)
がらがらと足元が崩れていくような感覚に、オルタンシアは何も言うことができなかった。