129 大事な友達だから
「……悪いが、今日は病み上がりのオルタンシアのお守りがある。誰とも踊るつもりはない」
ジェラールははっきりとそう口にし、女性の誘いを断ったのだ。
その途端、女性ははっとしたように謝り始める。
「そ、そうですよね……。私ったら、申し訳ございません……」
しゅんとする女性に、これはいけないとオルタンシアも声を上げる。
「お兄様! 私は大丈夫ですから――」
「少し前までもふらふらしていたくせに何を言っている」
「うっ、あれは少し人に酔っただけで……」
「いいえ、オルタンシア様。ジェラール様のおっしゃる通りですわ。オルタンシア様にもしものことがあってはいけませんもの。どうか、ジェラール様のおっしゃる通りになさってくださいな」
「あ、はい……」
彼女にまでそう言われてしまっては、それ以上オルタンシアが反論できるはずがない。
美しくお辞儀をして去っていく令嬢の後姿を眺めながら、オルタンシアはこそりとジェラールに問いかける。
「……よかったんですか?」
「何がだ」
「さっきの方、すごく綺麗で性格もよさそうで……この機会を逃したらもう別のお相手ができちゃってるかもしれませんよ?」
「それがどうした。俺には関係ない」
ジェラールはまったく焦ることなく、心底どうでもいいとでも言うようにそう口にする。
(まったく……)
ジェラールの心を覆う氷が少しずつ解け始めているのは確かだが、まだまだ身内以外の他者を受け入れるまでには至っていないようだ。
……その事実に、オルタンシアが少しだけ安堵したのは確かだった。
そんな後ろめたさをごまかすように、オルタンシアはいたずらっぽく告げる。
「でも、お兄様が優しくお断りしていて感動しました。もっとばしっと斬り捨てるものだとばかり……」
「……前にそうしたら目の前で泣かれて厄介なことになった。あんな面倒ごとはごめんだ」
どうやらオルタンシアが知らないだけで、やらかした過去があるらしい。
(モテすぎるって言うのも大変だよね……)
オルタンシアも家名目当てとはいえ、大勢の求婚者に群がられた時は辟易としたものだ。
ジェラールはずっとそんな世界で生きていたのだと思うと、無性に彼を労わりたくなる。
「ふふ、じゃあ今日は私を理由にお断りできるから気が楽なのでは?」
笑ながらそう問いかけるオルタンシアに、ジェラールも表情を緩める。
「……あぁ、そうだな」
二人の間に穏やかな空気が漂う。
だがその時、コツコツと靴音を鳴らしながらこちらへ近づいてくる者がいた。
「シア!」
聞き覚えのある声に、オルタンシアはぱっと顔を上げる。
嬉しそうな表情で、こちらに近づいてくるのは――。
「ヴィクトル王子!?」
「久しぶりだね、シア。君が来てくれて嬉しいよ」
ヴィクトルのいきなりすぎる登場に、オルタンシアは慌ててしまった。
王太子が姿を現したということで、会場中の視線がこちらに向けられているのを意識してしまう。
「……そんなに固くならないで。大事な『友達』に挨拶をさせてほしいな」
「は、はい……」
その言葉に、オルタンシアは少しだけほっとした。
ヴィクトルと最後に会ったのは、彼が独自にオルタンシアの見舞いに来てくれた時だった。
その際に彼は……「体に傷が残ってしまった責任を取りたい」と結婚を申し出てきたのだ。
断ったとはいえ、やはりこうして会うと意識してしまうのだが……ヴィクトルの口から「友達」という言葉が出てきて少しだけ緊張が和らいだ。
ちらりと傍らのジェラールに視線をやると、彼は恐ろしいほどに無表情だった。
(お兄様、その表情の意味はなんなんです!?)
駄目だ。「今のジェラールの気持ちを30文字以内で表現せよ」という問題が出たら、お兄様検定に落ちてしまう。
そう思ってしまうほど、オルタンシアには今のジェラールの感情が読めなかった。
……ジェラールはどうにも、ヴィクトル王子に対してあたりが強い傾向がある。
魔神騒動に関して彼は完全に被害者だし、ジェラールがヴィクトルを嫌う理由はないような気がするのだが――。
「ジェラールも久しぶり。今日こそは君が誰かと踊るのではないかとご令嬢方がざわついているそうだよ」
「……お戯れを。誰とも踊るつもりはありません」
温度を感じさせない平坦な声で、ジェラールはそう口にする。
それが何故か恐ろしく思えて、オルタンシアは無意識に身震いをした。
「ふーん、それは残念。ところでシア」
ヴィクトルの視線が再びこちらを向いたので、オルタンシアは慌てて背筋を伸ばした。
そんなオルタンシアを安心させるように、ヴィクトルは優しく笑う。
「……こうして君とまた会えてよかった。僕にとっての君は数少ない大事な友達だから、これからも仲良くしてくれると嬉しいな。もちろん、チロルも一緒に」
「ヴィクトル王子……」
すっかり大人びたヴィクトルの顔に、時間が巻き戻ってから初めて出会った幼いヴィクトルの姿が重なる。
……王太子という重圧の中で、王位継承を巡った事件にも巻き込まれても。
彼は歪むことなくまっすぐに成長している。
あの日であった純真な少年ヴィクトルは、彼の中に確かに息づいているのだ。
「…………はい!」
オルタンシアはヴィクトルの目を見つめ、はっきりと頷いてみせた。
妃にはなれない。オルタンシアは傍で兄と父を支えたいから。
だが、友人として彼を支えることはできる。
そういった関係を、これから築いていきたかった。
「ありがとう、シア。それと……」
ヴィクトルはオルタンシアの耳元に顔を近づけると、とんでもないことを囁いた。