127 戻ってきた日常
「お嬢様、来週の舞踏会のドレスはどうします?」
「そっか、もう来週かぁ……」
パメラに声を掛けられ、チロルのブラッシングをしていたオルタンシアは顔を上げる。
来週には、王家主催の舞踏会が王宮で開かれることとなっている。
参加は自由であるが、父からやんわりと「今後のことを考えると顔を出しておいた方がいいだろうね」と言われていた。
「今の季節にはどんなドレスがいいのかな……」
流行に詳しいジャネットは何と言っていただろうか。
友人との会話を反芻しながら、オルタンシアはドレスを手に取る。
「これなんかいい感じ……あっ」
「どうなさいました?」
「……パメラ。簡単にでいいからここで着てみていいかな?」
「もちろんです!」
パメラの手を借りドレスを身に着け、鏡の前に立つ。
案の定、オルタンシアの懸念は当たっていた。
「あー、やっぱり……」
「よくお似合いですよ! サイズの方も問題なく……あっ」
目を輝かせていたパメラも、オルタンシアが何を気にしていたのかに気づいたのだろう。
一瞬にして泣き出しそうな表情になってしまった。
「ご、ごめんなさいお嬢様、私、何も気づかずに……」
「わー! 待ってパメラ! パメラは何も悪くないから!」
ついにぼろぼろと泣き出してしまったパメラを、オルタンシアは慌てて宥める。
「でも……一番おつらいのはお嬢様なのに! お嬢様の綺麗な肌に傷が残るなんて……ひどすぎます! 神様は残酷です……!」
「パメラ……私、本当に平気なのよ」
魔神――リュシアンと対峙する際に、オルタンシアは彼に胸を刺され大怪我を負った。
今は何とか元通りの生活を送れているが、傷跡が消えたわけではない。
ドレスによっては、うっすらと胸元の傷が見えてしまうのだ。
オルタンシアとしてはただ今後のために確認しておきたかっただけなのが、思いもよらずパメラにショックを与えてしまったようだ。
「泣かないで、パメラ。パメラが泣いてると私まで悲しくなっちゃうよ」
「お嬢様……」
「お兄様やヴィクトル王子を守れたんだもの。このくらいなんともないわ」
別に強がりじゃない。
オルタンシアは本当に、傷跡が残ることくらいなんともないのだ。
元々は破滅の運命を乗り越え生き延びることが目的だった。
運命は変わり、オルタンシアは生き延びた。
魔神は滅び、大好きな父や兄も傍にいる。
それだけで、おつりがくるほどの幸福だ。
だから、本当にそれでいいのだ。
「だから泣かないで、パメラ。傷跡が残ることより、パメラが泣いてる方がよっぽど悲しいよ」
「お嬢様……はい」
パメラはそれでも悲痛な表情をしていたが、しっかりと頷いてくれる。
「お嬢様が気を強く持たれているのに、私がこんなんじゃダメですね……。よぉし!」
ぱん! と両手で自分の頬を叩き、パメラは明るい笑顔を見せてくれる。
「来週の舞踏会にどのドレスがふわしいか、徹底的に試着しちゃいましょう!」
「うん! でも着られなくなったドレスはどうしよう……。もったいないよね」
「……胸元にフリルを足したりして、アレンジすればまだ着られるかもしれません。仕立て屋に連絡を取ってみます」
「パメラ冴えてる! ありがとう!」
てきぱきと動き始めたパメラに、オルタンシアはくすりと笑う。
『シア、楽しそうだな』
足元にじゃれついてきたチロルが、そんなオルタンシアを見上げて喉を鳴らした。
「ふふ、そうだね」
チロルを抱き上げて頬ずりしながら、オルタンシアは微笑んだ。
(だって、またこの日常に戻ってこられたんだもの)
「チロルはどのドレスがいいと思う?」
『うー、全部一緒に見えるぞ……』
辟易とした声を出すチロルに、オルタンシアは声を上げて笑ってしまった。